青森の縄文時代の三内丸山遺跡から日本海のヒスイや、殷(商)時代の青銅器時代の絵柄が出る。といったらあなたは「まさか」だろうか?
でもそれらが発掘されてもう何十年も経った。
「ちなみに、山形県遊佐(ゆざ)町の縄文後期の三崎山(みさきやま)A遺跡からは、殷(いん)代の青銅製刀子(せいどうせいとうす)が、鶴岡市羽黒町(はぐろまち)の縄文中期の中川代(なかがわだい)遺跡からは、甲骨文字風(こうこつもじふう)の記号が記された有孔石斧(ゆうこうせきふ)が、青森県東津軽郡外ケ浜町(そとがはままち)の縄文晩期の今津遺跡からは、古代中国の「鼎(かなえ))」によく似た3本足の土器がみつかっている」
縄文後期の人の海上移動は、「動かなくなった現代人」の想像を超えている。必要は人を動かした。そしていちたびそれを得て行くと、人は次第に動かなくなった。
お忘れなく。