文献を弄り回す人々には邪馬台国がどこにあったか?という仮説、推論、憶測、は必要だろう。しかし考古学や科学から探す人々には仮説は無意味である。結果待ち。それしかないからだ。
最初から恣意的に、まず「どこか?」・・・つまり位置論ありは戦前の妄想でしかない。科学なら、最初は答えは空欄であってしかるべきだ。
何度も言うけれど、最初から邪馬台国は九州だとか大和だとか吉備だとかで、考えている人は頼むからここへはこないで欲しい。
そういう人はそれぞれの恣意的方向性のサイトを見つけ出してそこへゆき、傷をなめあうか、真逆に、反対の人々のところへ殴りこんで血を流すかして勝手に粉砕していただきたい。
ここにくるべきひとは、どこになってもおかしくない、と思える人だけである。
もし心を入れ替えてまた読みたいというなら、だまって読んでいただけたらそれでいい。
邪馬台国などは、どこであったっておかしくはないし、なにも大和至上主義、九州至上主義のどっちかに寄るほどの問題でもない。欧米もアジアも、邪馬台国なんか関心がないことだ。日本人だけがわあわあ言っているが、その理由は純粋に知りたいからでもなく、ただの学閥、地域の宣伝のための、金が動く動かないの世界の欲得が生み出す妄想の群れでしかない。見たわけでもないのに、あるいは中華が嘘を書いたかもしれないわずか2800文字で、馬鹿が右往左往し、喧嘩し、傷つけあいしている。
はたから見たら、朝鮮の内乱となんら変わらない。
そんなばかばかしいことでしか生きていけない・・・仮想敵を作るしか生きていけない、議論できない、邪馬台国が決められない・・・なんだか日大みたいだぜ。
そんなの大人がすることじゃない。
科学は結果だけがすべてだ。
安本も古田も近畿学派も、おれには馬鹿まぬけとしかみえねえな。