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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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旧石器時代から「単一民族」などではなかった日本人

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日本人のルーツを探る手法は、現在ではすでに形質人類学では真実には到達できないことが明白で、やはり遺伝子DNA分析だけが真実に到達できる最善の方法だということがはっきりしている。それは稲作の渡来も当然そうである。

外見や骨格の類似からでは類推の論理しか生み出せない。しかし遺伝子まで遡れば、数学的な精度で、その民族の来た道や、その後の拡散と混血によるひとつの民族の複雑なシャッフルによったであろう形成過程までつぶさに知ることができるようになってきた。

●進化論も変わっている
なんとなれば、われわれが学校で習ったダーウィンの自然淘汰説もすでに否定されはじめ、今はニュー・ダーウィン説が主流である。これは突然変異のランダムな継承によって生物が進化するという、ちょっと前までは考えも及ばなかった論理を導き出している。また、人類は、サルや犬のような、生まれてすぐの幼児の形質から、口吻部や額庇が大きく変化する成長(アロメトリー)ではなく、ウーパールーパーのように、幼少型があまり変化せずに成長する「ネオテニー型」であることもわかってきた。
人類がほかの哺乳類のように、成長すると全身多毛にはならない理由も、もしやここに見出せるのではないかと言われる(尾本惠市 1998)。

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成長にともない部分が大きく変化する類人猿。人類はほとんど変化せず、子どものまま大きくなる。幼少時のチンパンジーは、ほとんど人間の子どもとそっくりで、眉の上のひさしもほとんどなく、口吻もつきだしていない。頭脳は人間の三歳児を上回るが、その後の脳の成長はほとんど横一線である。人類は、脳の発達と毛髪だけが顕著に成長する。





●日本人は絶対に単一民族ではない


その答えは今後、絶対に変わる事はない。
なぜならその理由が、外見や言語や文化や風習ではなく、日本人の基層であるDNAに如実に示されているからである。原子・分子・細胞では日本や天皇が神州とか神でないことは一目瞭然。遺伝子では、あきらかにアフリカのミトコンドリア・イヴの子孫であり、すべての人類の仲間であり、しかも世界一の混血児である。すべての外国人と同じ、サルの子孫であり、最古の脊椎動物カクレウオの子孫である。そこに、どんあイデオロギーも入り込む余地はない。これは唯一の解答である。日本人も、日本国も、地球上の人類の一種に過ぎない。あらゆる生物同様、まったく一切の民族の優劣も特殊性もそこには存在しない。ただのヒトでしかない。ゴリラやチンパンジーやボノボと同じ霊長類ヒト科ヒトであり、アフリカ人ともアメリカ・欧州人とも、中国人とも、朝鮮・韓国人とも、あらゆる民族とも同じ人類である。



わかりやすい日本人成立の暫定モデルの一例
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 「日本人の起源は縄文人がそのまま各地の環境に適応した「変形説」、縄文人を弥生人が追い出して定着した「人種置換説」も知られているが、総研大の斎藤成也教授(遺伝学)は「研究結果は混血説のシナリオに一致した」と説明している。」
縄文・弥生人の「混血」 遺伝子解析で裏付け 
総合研究大学院大など発表
2012/11/1 0:38 http://www.nikkei.com/article/DGXNASDG31040_R31C12A0CR8000/

● 北部九州弥生人ですでに三種類の渡来がある

北部九州の弥生人-渡来人とその末裔
「ほぼ1万年余りも続いた縄文時代、日本列島には背が低く、いかつい顔立ちの縄文人たちがほぼ全域に渡って住み着いていました。発掘された彼らの遺骨の数も、既に数千体に上っています。ところが、今から約2000年余り前の弥生時代になると、そうした状況が一変します。それまでの日本列島では見られなかった、長身で、しかもひどく面長な、のっぺりとしたかおつきの人骨が、累々と出土するようになるのです。他でもない、この北部九州においてです。

  なぜ弥生時代になると、こんな見慣れぬ人々が、しかも北部九州に住み着くようになったのか。その謎の裏に、じつは明治の昔から延々と論議が続けられてきた日本人の起源に関する解答の一つが隠されていました。国内で見る限り  は特異な彼らが、朝鮮半島や中国大陸の古代人にそっくりだということが近年の研究でわかってきました。  つまり、この弥生人達はどうやら大陸を起源とする渡来人だったらしいのです。

  筑紫野市一帯から出土する弥生人骨はこうした「渡来系弥生人」の中でも、とくにその特徴が際だっています。先年、発掘の終わった隈・西小田遺跡からは400体を超す人骨が出土しましたが、彼らは近隣の弥生人に比べ、さらに面長で背も高かったことが分かりました。つまり、骨の特徴から判断して、渡来系の遺伝子が最も濃厚に入り込んでいる可能性があるということです。実際に、骨からその遺伝子、つまりDNAを抽出して分析する研究も既に佐賀医科大学で始まっています。 

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北部九州弥生渡来人で、すでに三種類の渡来がある。それぞれ江南、半島、北方の子孫たち。大友遺跡の人骨は北西部九州人の呉の太伯子孫伝承を確かに証明する。半島由来の人骨は二種。あとはそれぞれの先住民との混血のパーセンテージによってほとんどの西日本人のバリエーションが生まれる。これが「倭人」である。


 
  一方、弥生時代のこの筑紫野一帯は、かなり騒然とした社会状況だったようです。隈・西小田遺跡や永岡遺跡からは、首を切られた遺骨や首だけの埋葬列、さらには頭を割られたり全身に傷を受けた人骨が集中して出土しています。しかも興味深いことには、その一方で目ざましい人口増加が起きていたことも、骨や甕棺の分析からわかってきました。

  北部九州に先進文化の花を咲かせた渡来人たちは、時には紛争に明け暮れながらも急速にその人口を増やし、中国地方から近畿、あるいはさらに東へと進出して行きました。我々現代日本人の体には、その渡来人達の遺伝子が確実に入り込んでいる、というのが弥生人研究からもたらされた現在の結論です。」(中橋孝博)
http://www.city.chikushino.fukuoka.jp/furusato/sanpo51.htm
 
●日本人の亜型遺伝子のアジア各地からの来訪と混血

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「赤丸で囲んだ亜型が、日本列島に居住する三民族、すなわちアイヌ民族・本土日本人・琉球民族が保持しているmtDNAの亜型の種類である。
  日本人は、無意識のうちに自らを単一民族だと考えがちであるが、実はDNAという観点から見ると、非常に多様な人々の集りであることが解る。

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  三民族別に、それぞれのmtDNA亜型の割合(頻度)をグラフ化すると上のとおりである。
 
1.このグラフを見ると、日本の3民族には全て、東アジア最大のmtDNA亜型、D亜型(Gを含む場合もある・・・mtDNAのDループ解析だけでは、DとGの区別がつかないからである。)の人々が4割前後の割合(頻度)で存在し、なかでも北方系のD4亜型が圧倒的多数を占める。」
http://www.geocities.jp/ikoh12/honnronn4/004_08_1.mitochondria_karamita_sosennhtml.html



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「日本人の縄文・弥生の割合に最も近いのはやはり半島南部人である。細長い顔つきで短頭で胴長短足で、毛が薄いといった人々が、真逆の人びとと混血している。西日本の初期はこの先住縄文人とはおそらく半島伽耶にも存在する海人系人種だったと考えてよいだろう。つまり東日本・北日本のような北方から南下した縄文人とは別の人びとであろうし、縄文人にすら複数の人種がいたことは間違いない。
その東・北からの縄文人と、九州や日本海沿岸からやってくる弥生人が、出会うのは近畿地方なのである。だから従来のように、日本人を東西のざっくりした捉え方で考えるのは古いのだといわざるを得ない。弥生と縄文の混血する人種がすでに三ヶ所で異なるのである。」
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/56544612.html



●旧石器時代人がすでに多種来訪していた

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氷河期、すでに列島南北からだけでなく、半島南下でも来訪した人々がいる。このときすでに原日本人の基層には、少なくとも三種以上の血脈が混在していた。


そこに縄文海進による海上渡航によって、さらに三種以上の来訪者があり、さらに弥生時代までには、最古の渡来地である北部九州の有明海沿岸・玄界灘沿岸だけでも複数の民族の渡来がある。列島全体ではさらに複数民族が続々と混入したのである。

考えてみれば、東北・北海道でさえ、バイカル湖血脈の人々には多種存在し、アイヌという古い形質を持つ人々も混在していた。いったい、現代までに、いかほどの民族がこの列島で定住し、原日本人である旧石器時代人や古北方形質、新北方形質の縄文人たちと混血していったことか知れない。


遺伝子の上でも現代日本人には、少なくとも旧石器、新石器、青銅器、鉄器時代の混血のバランスによるバラエティ溢れる多様性が存在する。


多種多様な民族が混ざったということは、歴史的、政治的に考えれば、それだけの何度もの軋轢、差別、和合がこの列島の各地に、大小の差はあろうが起こったことは間違いないのである。当然、彼らの別々に持ち込んできた風習や言葉や文化や信仰などは、淘汰され、ひとつにまとまっていったであろう。その結果、たとえば朝廷の唯一絶対信仰による民衆の統一も起こったわけである。そして、それが最も顕著に現れるのが戦争前夜であることは忘れてはなるまい。明治~昭和大戦までの短い期間には、それが過去最大の振れ幅で引き起こされた。それがアマテラスを中心とした皇国史観であろう。このとき以前には、あれほどのひどい変換はなかったのである。わずかに、朝廷内部における白村江敗北~壬申の乱までの信仰統一があり、あとは天下布武を掲げた織田信長が天皇をないがしろにして神、王になろうとした戦国時代くらいのものだっただろう。しかしどれもみな、為政者内部での信仰の統一でしかなく、明治時代のような、万世一系天皇による単一民族の皇国史観と、アマテラス中心の右翼思想によった侵略のための民衆の末端まで及ぶ統一を目指した時間はほかになかったのだ。あまつさえ、そのためには日本本土ばかりか、周辺諸島、半島、中国にまで、それを押し付けた時代は、先の大戦時のわずか数年間だけだったのである。

朝鮮民族、琉球民族、小笠原諸島人、あるいは南洋のパラオ人たちにまで、彼ら軍部は日本人であることを強制したのだった。


もし今後、政治家の言動に日本人単一民族、日本は神州、神は伊勢だけ、わが国は皇紀2000年・・・などの大戦イデオロギーの断片が見えたときは、ようやく手にもどった専守防衛のための自衛権という宝物を、曲解し、乱用し、民衆を悲劇に導く時代の再来を疑うべきである。「日本は神の国である」と言った政治家がいる。いまだに文部の根幹に居座っている。ここが肝である。宝物をおもちゃにする、国家を、民衆を弄び、あたら危険を招きかねない、それは災害神スサノヲとなることだろう。

アマテラスなどはまた、瞬く間に国家統一のための道具神にされてしまうだろう。

日本人は世界に冠たる複数民族が和合してきた唯一の国である。和合の道こそは唯一の平和への近道であり、最善の選択肢である。さまざまな民族がいとつ国土に同居し、血を交わすことこそが、世界を平和にする唯一の方法ではないだろうか?


時間を元に戻そうとする政治家に注意せよ。詭弁を多用するその人々に。






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