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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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新春書き始め ケルト神話とハリポッタ・指輪・妖精魔術師妖怪

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 諸氏、あけおめ、ことよろ
 
新年書初めはケルト神話と妖精と土蜘蛛
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上の立石はどことなく吉備の楯築墳丘墓の立石に似ている
 
 
 
 
われわれ日本人でも知っている欧州の神話や民話の大半は、ケルト神話を基盤にしてできていると言っても過言ではない。ゲームをやらない筆者でも、昨今はやったロード・オブ・ザ・リングやハリーポッターなどが、みなケルト神話の中から生まれてきたロールプレイング・ゲームや魔術師譚の大元であろうことはうすうす気づいていた。
 
昨年末のある読者のコメントに「妖精」というキーワードが書かれていたのをきっかけに、それまで考古学と遺伝子学といった科学的解明にしか気が向いていなかった筆者に、民俗学的な関心がむくむくとわきあがった。それで、この寝正月の「つんどく」本の中から、妖精・妖怪・神話を念頭に読み進んでゆくと、案の定、アーサー王伝説、円卓の騎士ランスロット物語、トリスタンとイゾルデ(イズー)、指輪物語、魔術師マーリン、エクスカリバー、王妃グウィネヴィア、聖杯伝説、ガリア戦記などのあまりにも有名なヒントがぞくぞくと現れた。
 
一覧がWikiリンクページとして存在する。便利である。
 
参考になるサイト
 
 
 
それに付随して登場するさまざまの奇天烈な妖精人種?や土蜘蛛や鬼のごとき妖怪人種、魔法使いのキャラクターが、あたかも日本神話の敗者・・・平定されていった縄文原住民族と類似することもひしひしと感じ取った。ケルトという好戦的な民族が首狩りにまい進した理由は、南島ボルネオの首狩り族とまったく同じ、人頭に精霊・魂魄が宿るという理由からである。ボルネオの首狩りについてはすでに書庫を設営して解説してある。→「首狩り研究・世界と日本
 
ロード・オブ・ザリングは新しい小説作品であるが基層にあるのはやはりケルト神話である。奇しくもこの正月に深夜上映された。筆者はすでに劇場で観たが、三部作と長丁場で、まとめ下手な饒舌映画として切り捨ててきた作品である。しかしなんとなく暇にまかせて一作目とその前のテレビシリーズ?だけもう一度ぼんやり眺めていた。するとむくむくとケルト神話と妖精への興味が再燃したではないか。
 
 
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ちなみにこの正月に観たテレビ・・・うまいぐあいに先月からBS契約したのも偶然だが・・・ほとんどBSの映画と、パラオ海洋民や海外に俳優が訪問して深くピンポイントでその土地の文化を掘り下げる番組、なつかしの名画、なつメロ番組、ドキュメンタリーばかりを観たわけで、その中に民俗学的に興味の涌いたよい番組があったことはラッキーだった。そういうものの中に、意外に筆者のヒントは転がっていることが多い。福山君のアフリカ訪問では類人猿のチンパンジーとボノボとゴリラのすみわけとその原因となった大地溝帯(Great Rift Valley・グレートリフトバレー)の大変動による人類発祥問題とからめて非常にヒントになった。いわゆるチンパンジーの攻撃性とボノボの平和性の相違が、大河を隔てた南北で相違があり、豊かな雨林を選んだボノボは、メスを争奪する野生なら当然の本能を、メスがオスの性欲を管理抑制させるために、不定期発情と模擬セックスというとんでもない行動を発明したという、極めて人間的行動の面白さで眼からうろこを落とされたのである。
 
 
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ルーシーは東大地溝帯で発見されたが、ここでは続々と新しい人類そ祖先たちがその後も発見されている。人類は大地溝帯の東側という雨のない乾燥した不利な場所にいたサルの子孫である。だから旅立った。
 
ケルトもトルキスタンもインディアもみな、その枝分かれした最初期の人類である。おそらく彼らには共通の伝承がDNAの中に、まだ新しい共通観念として組み込まれ、その鮮度は落ちてはいなかったことだろう。だから世界の東西に、原人、旧人から受け継がれてきたそれらの基層観念が作り出してきた神話に類似点が多いのだ。『古事記』を扱った番組の中でも『古事記』『日本書記』の神話と西欧ギリシア神話の類似を、そうした広い始点で解説しようとする歴史学者が出ていたが、これまでなかったのは、その中間点にあるアッシリアやアナトリア、イラン・イラク・アラビアなど西アジア・中央アジア・インド神話などとのそれらの共通点まで言及するさらに広い視野のまとまった論考であろう。しかもそれをわかりやすく読ませてくれる学者本になかなか出合えない。それは筆者のような在野の物書きがなんとかしなければならない命題だが、なにしろ世界史の知識に疎いままで、ヒントをもらっても書き始めるまでに長い時間がかかってしまう。まことに愚鈍なことで申し訳ない。
 
 
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次回、考古学的遺物の類似点
 
1 霊魂不滅思想
2 竪穴式住居
3 立石遺跡祭祀
4 鏡信仰
5 鉄器崇拝
6 火葬
7 土盛り型大墳丘墓
8 二輪戦車と車輪埋葬
9 小アジアのガラティア人
10 人頭崇拝
 
 
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遅筆ですが、不定期にこのカテゴリーは更新していきます。
合間に思いついたものを全公開する予定。
 
 
 
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ケルトと鉄鍋料理と竪穴式住居と円の思想

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欧米人は自分達の祖先が輪になって鍋料理を食べていたことを完全に忘れている。
 
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なぜ忘れたか?
中世以降に成立してゆくフランス料理のディッシュスタイルを王道だと思い込んだからではないか?フランス料理はロシアスタイルとイタリアスタイルを取り込んだ、王家のディナースタイルである。しかし古代欧州人は、鉄器の導入とともに「自在鍵」「鉄鍋・銅鍋」「吊り下げ方式」で、家族が炉を中心に円になって鍋をつついていたのである。
 
 
住んでいた住居はこのようなものだった。
 
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竪穴式住居である。水上に木材で土台を作る住居もあるが、やはり藁屋根の円形住居だ。
まったく日本の縄文人の竪穴式住居にそっくりだ。
縄文人はこうしたわらぶき住居の屋根に土を盛っていたことがわかっている。
地面よりも一段低いその土盛り住居から彼等が這い出してくる姿は、記紀に描かれている土蜘蛛の姿そのものだっただろう(岡村道雄『縄文人からの伝言』2014)。
 
 
古代人たちのすることはみな似ている。
風俗も信仰も。
 
 
これはあきらかに野生の志向=円の思想の世界共通である。
 
 
ストーンヘンジの円形祭祀と、東北縄文人の円形集合住居や環状列石に、なんの違いもないことがわかる。
 
 
日本の鍋を囲む文化は縄文時代の円の思想でできている。明治時代の牛鍋からはじめて始まったなどという認識は、勉強不足と言えるだろう。
 
 
それが明治に「復活」した理由は、獲得した自由平等への復帰である。つまり縄文時代の円の思想は、そもそも自由で平等な社会だったということなのだ。古代は世界中がそうだったのだ。そうした始原的理想郷は、今や、島嶼社会や陸の孤島として残された孤立社会にしか存在しなくなりつつある。
 
 
寄り集い、助け合う社会への憧憬が、現代日本の鍋ブームとして出現している。
 
現代日本の若者たちは、いわば時代の敗北者としての自分を、大震災以来強く認識し、シェアし、語り合える囲炉裏端に飢えているのだろう。
 
 
指輪物語の種族よりそって指輪を捜し求める姿も、実は円のよりつどう思想である。放浪し=苦痛と経験、炉を囲み=同じ釜の飯を食う=連帯を味わうのは、ちょうどサンカの漂泊に似ている。差別された人々にはそうした互助社会が残存したわけである。何が自由かはまことにわからないものだ。
 
 
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乙羊・ハッブル定数・宇宙論・神

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「乙未(きのとひつじ、いつび)は、干支の一つ。
干支の組み合わせの32番目で、前は甲午、次は丙申である。陰陽五行では、十干は陰の十二支は陰ので、相剋(木剋土)である。」Wiki乙羊
 
今年は乙羊である。
 
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この筆者のタグは今年の魔よけの意味がある。
木は根を地中に張って土を締め付け、養分を吸い取って土地を痩せさせる。
それが木剋土の相剋=陰の気である。
羊もまた土に生えた牧草を食うことで肥えるが、同時に糞は土を肥やすので問題はない。
 
時流は衰亡に向かっているが、消費大国アメリカがシェールガスのおかげで復活し、原油を買わなくなると原油価格が暴落し、中東が冷える。一時的に株価は暴落するが、ドルに代わって円は高騰し、ロシアや中国は手を組まねばならなくなる。
欧州は英国のEU脱退で衰弱を加速する。中国・ロシア・北鮮が手を組んでも西側包囲網の既成社会が作ってきた世界動向には従わねば経済的に立ち行かない。
 
今年は大事な年になりそうだ。これは干支や陰陽とは関係がない。
 
 
 

 
 
 
ニュートンは科学者にとっては始祖とも言える万有引力をリンゴから発見した人だが、彼が同時に錬金術師だったことはあまり一般では知られていない。
科学者の代表みたいな人が、錬金術のごとき眉唾な非科学的魔術なんぞにひたっていたなんて信じられないことだろう。しかし錬金術は中世では最新科学だった。
ところが彼は「賢者の石」を発見したと自筆原稿に書いており、当時の科学が一方で、非常に不条理なところから出てくることに気づかされる。錬金術やアルコール=アクア・ヴィエータの探査に耽溺することは、高度な数学理論と同じマニアな慶びなのだった。つまりニュートンもまた「魔術師」のひとりだったのだ。面白い時代である。科学は正反対の神秘主義・魔術から生まれでた。
 
ガリレオと同時代人であるデッラ・ポルタには『自然魔術』という神秘主義まがいの著書がある。ガリレオが地動説という科学理論で宗教と戦っていたほとんど同じ時代に、実は魔術は世間一般の興味対象のNO.1だった。自然魔術はオカルト的な感覚主義で宇宙(マクロコスモス)と地上(ミクロコスモス)との感応によって統一しようというわけのわからん理論である。神学的には彼は汎神論者=多神、器物すべてに神は宿る=つまりそれはケルトと同じ多神教からあまり変わりがない。つまり中世とは言えども、まだ人々の神感覚は古代である。日本などは今でも多神教だから、心的古代人である。しかし多神教は、同時に真理でもあるし、近代教義宗教が言っている唯一絶対神とは、宇宙の摂理にほかならない。つまりそれは天文学であり数学の手中にある真理追及となんら変わりはない。
 
宗教家が文学的、オカルト的に神を考えるのと、数学者が数学的に、物理学者が物理的に神を科学から遠のけ、宇宙を考えるのとは、実は昔はひとりの人間の中では同時進行していけた。錬金術や魔術はつまり科学への橋渡し役だったのである。
 
 
 
ついでだが、小保方晴子は、そういう中世の着想にとっぴでよかった科学者に似ている。自分を信じて、まったく疑わないのだが、実は大元でそれがまがいものにすりかえられていたことに気づかない。科学論理の正しい手法も知らない。着想だけが先行し、証明方法が伴わない。その弱点を穴埋めしてやった教授が登場して、彼女自身が「やっぱりあったんだ!」と大喜びしてしまう。実に罪のない可愛い性格である。すべての罪は理研と言う組織構造内部のいい加減な構造にある。それで国は別に、医療開発機関を今度立ち上げることとなった。理研から医学関係の研究部門を切り離そうというわけであろう。
 
 
ハッブル定数が大きいと宇宙の密度は大きくなり、時間速度はゆっくりになる。小さいと時間は早くなり、人間は生まれ出ることができなくなる。なぜなら宇宙が星や銀河を形成する暇がなくなるからだ。星がなければ生命体は生まれ得ない。
 
そういう適度な時間速度は偶然この宇宙が生み出したもので、だから人類の誕生も偶然である。ゆっくりと宇宙が膨張すると宇宙はブラックホールだらけになってしまう。やはりそれでは人間は生まれることができない。
 
ならばはなからそれを逆手にとって、人間が生まれるための諸条件つまり物理的量を逆算すればいいのではないか?こういう人間の存在から逆算するシナリオを「人間原理理の宇宙論」という。
 
光の速度、重力の強さ、電荷の大きさ、電子や陽子の質量、ブランク定数、空間の次元・・・それらが物理定数である。どこでも普遍的に同じ値を示す。
これらが全部、都合のよい適度な数値にあてこそ生命は生まれる。何かがちょっとでも少なければもう生命体ももちろん人間も生まれてはこない。原子が安定できなくなるからだ。原子が安定していなければ物質は生まれない。星も銀河も生まれないのである。だったらその適度な条件を持った宇宙空間ならば人間は生まれてくることになる。
 
しかし、ではなぜわれわれの宇宙がそういう条件をもてたのかは、これまたまったくわからないのである。つまりまだ神=謎は完全に死んではいないのだ。科学者は科学から神=謎を遠ざけるために出現したといってよい。謎を解明してゆけば、いつか必ず神=自然の法則は解明できる。神の姿を見るために実は科学は存在する。しかし神学者たちはそれを「不遜」としてきた。神を信じるものは実は、自分では神を見ようとはしない人々なのである。恐れ多くて土下座してしまいたがるので、見えるはずがない。現実を観ずに、それは在るとしてしまう。あるものはあるのであって、あえて探すことも泣く、ただ信じればよいと言いつづけて来た。そこには感応はあれども客観性はまったくない。それは古代人である。中世人はすこしづつ、おずおずとそれを疑い始めた人々、近代人はもう嘘とはわかっているがなんとなくまだ古い流れに従った人々、現代人は神を捨て去ろうとする人々。
 
 
すでに宇宙もまた無数に存在していることがわかっている。神もまたそれぞれの宇宙にあり、それぞれの摂理を持っているということになる。唯一絶対神など理論的にありえない。だがこの宇宙の中にはこの宇宙の作り出す摂理と言う、数値と言う絶対神がいる。それは自然神であるから古代多神教の神々の中でも器物神などではなく、災害を引き起こす自然崇拝の神=あるときは悪魔と原理はまったく同じなのである。
 
 
アマテラス・ツクヨミ・スサノヲに神としての違いなどない。もちろん男女など関係はない。すべてひとつの銀河系の物体の神格化したものでしかない。太陽・月・地球である。つまり神とは宇宙の銀河構造なのだと神話はちゃんとささやいているにも関わらず、オカルト信者たちは未だに神は私の心の中にいつもいると言っている。
 
人間一人のちっぽけな心の中にいるのは、それはあなたの解釈している神のほんんお一部でしかない。あなたにとって都合のよい神でしかない。神は実は都合の悪いぞんざいでもあるのだ。それがスサノヲとして言い表されている。つまり自然災害である。すると今度は災害は神が与えたもうた試練であるという。ならば死んでしまったものは髪の天罰をうけたふとどきものとなってしまうのに。大震災と津波で流されたあなたの家族は、ならば天罰を受けるほどの大罪人だったのかと逆に問わねばなるまい。
 
 
 
神は数値で動いている。一定の定物理的数がある。それが科学の考え方である。そういう意味でなら「神は確かに存在する」しかし、なぜそうあるかはまだわからない。わかったところでわれわれの運命は変わるわけでもない。
 
 
 
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人類の共通的志向 住居

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野鳥の巣が、環境に応じてさまざまあれども、似たような環境では世界中、その形態には大差がないように、人類の住居にも、世界で似たところは多い。
 
太古は川沿い、湧水に沿った崖にひさしが突き出たような暗所や洞穴を利用していた人々は、狩猟採集や栽培による安定生活、ないしは周遊生活によって前者は竪穴式、後者は簡便な移動式の住居を作るようになっていった。その多くが穴を掘る掘らないに関わらず円錐状のものが多いのは、形状の丈夫さと安定を三本の木組みによる三点で作り出すのが最も容易だったことから始まるだろう。
 
 
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ネイティブ・アメリカンのティビー野営用住居
 
 
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同じく長期野営用藁葺きティビー
 
 
 
もっと簡便なのは壁を背にして布や毛皮などを張り出す方法であるが、これはあくまで仮の宿営テントに過ぎない。屋根によって横からの風や雨を防ぐことこそが定住がもたらす安定感、幸福感を人類に最初にもたらしたことは、現代のNPOらでもが、途上国の援助の中で安心感を与えられる最初にできることだと共通して言うことである(曾野綾子)。
 
 
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古代ブリトン人の円形住居
※ブリトンとはフランス語ではブルターニュ。英国・ブリテン島の語源である。往古はブリトンであった。フランス最西端のブルターニュ地方はつまりケルト系ブリトン人が船出した場所で、今でも古いブルターニュ方言つまりケルト系言語を使う別世界である。
 
 
 
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歴史愛好家たちの中には、たくさんの、世界の東西であまりにも似通った遺物や習慣を特にとりあげて、日本人起源をそこに求めようとするやや強引な論者がままあるが、石器時代の住居のような卑近な例証の類似を取り上げてまで、そこにもっていこうとする人はあまりいないようである。しかし住居や食習慣などは狩猟採集・農耕定住などと同次元の必須の基層アイテムである。まるで石器時代は同じ住居に住んでいて当たり前のようにほったらかすが、すでにその時代から共通であるならば、文明時代にそれが継承されていてもおかしくないという当たり前のことには、都合が悪いから触れまいとしているように思えて仕方がない。
 
 
その円形の竪穴の住居の内部は、これもまた判でついたように炉を中心とした円形広間になっている。
 
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入り口から見て一番奥がだいたい家長が座す場所と決まっている。女系社会の時代ならそこは巫女、妻の座となるだろうか?男系社会なら一家を支える父親となる。
 
 
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日本の縄文時代の集合住宅もまた円形に集まってできあがり、中央の広場にははかが置かれた。
 
 
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中国にはまだこのような円形の長屋集落が現存して、人が生活している村がある。ドーナッツ型の住居を仕分けして人々が住み、ちゃんと集会するスペースもある。
 
 
 
文明時代になって神を北の北極星だとした中国文明人や奈良時代の日本人、朝鮮国家人は、建物・神殿を南向きに作ったが、それに比べて新石器時代の人々の神は、住居、集落の中央に祭られた。これは非常に大きな考え方の違いである。つまり死生観の違いなのであろう。しかし人類の基本的思考はまずは中央に神=祖霊が祭られたのである。神は自然神であり災害神で、これは西欧のゼウスにほぼ等しいが、神から命のいぶきを受け取って降りてくるのはその一族の祖霊なのである。この考え方はのちのキリスト=イエス=救世主の構造とまったく同じである。信仰・宗教の基本部分はこれにつきる。わざわざ三位一体などという言葉に置き換えるのは、権威の添付でしかあるまい。本質は石器時代から何も変わっていない。
 
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ただまわりくどく、婉曲的に、粉飾をつけたしているだけである。基本さえ見極めれば、それらが隔絶している信仰ではないことは一目瞭然となるのだ。信仰にはまり込んでゆく人々は、こういう理念に頓着のない弱い人々なのである。脳みそをちゃんと使って、なぜ?を極めようとすれば、カルトな宗教にはまりこんだり、高価な壷を買って見たり、悪徳商法にはまり込んだりしないはずなのに、なぜか老いると人は、淋しくなり、人とのふれあいに飢えはじめ、だまされてしまう。それは心の奥底に死への恐怖が起こり始める年齢の人々の「死を忘れようとする反対心理」が引き起こすのではないかと考えている。死を覚悟できない弱い人々は、決まって宗教にはまったり、だまされたりすることからそう考えられる。逃げているのだ。逃げるから向うが探して近づくのだ。彼らには弱者、逃避したがる人間の匂いが嗅ぎ分けられるのだ。なぜなら彼らは羊の皮をかぶった悪魔の手先だからである。
 
 
 
 
 
 
 
 
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なぜ東洋で科学は始まらなかったか?その2

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この答えは意外と簡単なところにあるかも知れない。
 
 
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これはケルト民族の外科手術の痕跡が考古学的に存在したことがわかるという一文である。外科手術はエジプトでもあったと言うから、医術はすでに古代西世界に始まっていたことになる。
 
その外科手術とは、ものすごく単純な言い方をすれば、生物の内側を覗き込む仕事である。医者とはつまり人体のピーピング・トム・・・覗き屋・・・悪く言えば「デバガメ」ということになる。よく言えばこれを「物理的インナートリップ」という。日本語で言えば「内視鏡的探求」。普通インナートリップは心的用語であるがあえて使おう。
 
宇宙を見に行くのがアウタートリップならば、人体の内部を覗くのはインナートリップである。
 
実は古代中国人やインド人にも、「人間を裏返してみる」着想はあった。
 
 
 
http://img4.blogs.yahoo.co.jp/ybi/1/0a/2d/kawakatu_1205/folder/1608010/img_1608010_53635367_2?20111204162331
 
これはあきらかに西欧科学で言うトポロジックな幾何学になる発想だ。ところがその後、東洋で実際に人間の裏側・・・つまり内側を覗き込むような医学実践は起こらなかった。近いのは罪人や妊婦の腹をさいて殺したくらいのものだ。せっかく切り裂いても中身を分析してみたりしない。漢方や鍼灸学でさえも人体の表面上のつぼ・・・気孔にしか興味を示さない。それはなぜか?理由は孔子である。
 
儒学が技術者を蔑み、差別したために、医術も科学も、とにかく解体による解剖も一切できなくしたからである。儒学に締め付けられた東洋医学は、本質的に「触診」しか認めなかった。だから幕末になって日本人和蘭法医学者が解体するまで、まったく科学・近代医術は東洋に起こりえなかったのである。杉田玄白は東洋近代医学の父と言える。
 
東南アジアや中国には、いまだに摩訶不思議なオカルト医療が存在する。あんなものはもちろんマジックでしかなく、患者に安心感を与えるだけの心理的効果以外、なんの効果もない「おためごかし医療」である。
 
今、韓国の政治社会が混迷している大きな原因も儒教である。古い観念にがんじがらめになった世代が居座って、大統領の進むべき道を邪魔してばかりいるから、韓国は一向に近代的精神に目覚められないのである。哀れなパク・くねくねおばちゃんだ。
 
 
 
 
このように儒教にはよいところも少しはあるが、ほとんどが孔子の頑迷な迷信でできあがっている学問で、どこが「教」なのかといつも思うのである。官僚主義を促し、権威主義、男尊女卑、ブルーカラー差別、人種差別を増徴させるばかり。まさに軍人勅諭・教育勅語とか皇国史観の生みの親こそが「論語」である。「子曰く、男女八歳にして席をおなじうせず」これが論語の最たる差別である。東洋では医者は被差別者だった。西洋でピエロ、錬金術師。つまりマーリンだった。その鉄を編み出す精錬学が科学者を生んできたのである。日本の古代は?鍛冶屋・鉱山師は呪術しか生んでいない。まさに論より証拠、論語より論外の学問を孔子の偏向が生み出してしまったのだ。おかげで東洋は西洋よりも500年近く遅れてしまった。だからアジアはまだ大いなる心的古代なのである。
 
 
 
 
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新説・賀夜奈流美命 かやなるみのみこととはカヤの実か? 本来は出雲大社の柱はカヤではないか?

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榧(かや)
「東北地方に見られる高木で、その分布は尾久島に至ります。イチイ科カヤ属に分類され、雌雄異株となります。大木も見られ、本州の日本海側で雪が非常に多く降る地域には、チャボガヤが見られます。カヤの大木に比較すると低木になりますが、種子を炒ったりして食用にされています。カヤは、新しく生えてきた枝の先にある葉腋(ようえき)に雌花が二つずつ現れ、このうち片方が発達して、果実へと生長して行きます。年を越えて秋頃には成熟に至りますので、その際、仮種皮と言われる果皮部が裂けます。その内部には、仁が内種皮に覆われて存在しています。内種皮は、紫赤色を帯びていて、食用とされるのは、胚乳(はいにゅう)と言われる部分になります。胚乳には脂肪が豊富に含有されており、特有の風味があります。かつては、カヤの実を救荒食品として使われていた経緯が有り、更に漢方の領域では、天日に干して乾燥させたものを駆除薬として十二指腸虫に対して用いられています。また、この種子を榧子(ひじつ)と言います。尚、カヤから抽出された油は、天ぷら油として上質であるとされています。通常、カヤの実は、煎って食用にされています。」
http://garop.jp/c3/tane/kayanomi.htm
 
 
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「榧(かや)はかや属ーいちい科の植物で日本の宮城県より南の温かい地方や四国、九州の山地に自生しているか、神社や寺の境内、庭先などにも植えられる常緑大木です。
 榧の実は近畿地方や他の地方では「バイ」と呼ばれています。
 榧の名前の由来として榧の木を昔は「加倍(かへ)」と呼んでいたが榧の枝、葉を燻すと防虫効果、 特に蚊を追い払う効果があり、蚊を追い払う言葉を蚊遣り(かやり)と言い、これが榧の木を蚊が嫌がるので「榧(かや)」と呼ばれるようになりました。

 榧の実は神農本草経の中薬(中品)に記載されており、内容として「主腹中邪気、去三虫、蛇螫、蠱毒、鬼伏尸。生山谷。」と書かれています。
 
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 他にお正月のお祝いの品として神様に奉納する所もあります。
 余談・・・四国、香川の金毘羅さんこと金刀比羅宮のお正月の飾り神饌には「かちぐり」(皮をむいて乾かした栗)と一緒に榧の実も奉納します。

 榧の実は縄文時代より食用として食されており、時代が下って平安時代(927年)に編纂された「延喜式(えんぎしき)」の医療や調薬について書かれている「典薬寮(てんやくりょう)」に書かれており、 蛔虫や十二指腸虫を駆除する薬としてや、榧実(ヒジツ)を搾って得た油で灯火油、塗料油、頭髪油に用いたと書かれています。
 
 榧の木で造られた家は10年経っても蚊が寄り付かないと言われます。他に榧の大木の柾目材は水湿に強いので風呂桶、船材に用いられます。
 他にそろばん玉、数珠、仏像などの彫刻材、碁盤や将棋盤などに加工され、榧で作った碁盤や将棋盤は最高級品と言われます。
 榧の実は炒って食する事も出来ますが、榧の実を絞って油を取って整髪油、行燈の灯火、榧の実油として料理に使用する事も可能です。とある高級料亭では榧の実油と胡麻油又は菜種油を混ぜ合わせて上級の食用油として使用する場合もあります。 高野山の宿坊・櫻池院(ようちいん)では榧の実油を使った「三品豆腐(さんぴんとうふ)」と言われる料理があります。

榧は江戸時代に庭園樹として多くの人に愛されました。
 庭木として江戸の人に愛された木を「江戸五木」と言い、「木斛(モッコク)」、赤松(アカマツ)」、「榧(カヤ)」 「糸檜葉(イトヒバ)、「犬槇(イヌマキ)」などが江戸五木と言われます。」
http://www.yanagidou.co.jp/syouyaku-yakusou-kayanomi.html
 
 
 
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『延喜式 八祝詞』「出雲国造神賀詞 イヅモノクニノミヤツコノカムホギノコトバ」
「乃スナハち大穴持命オホナモチノミコトの申し給タマはく、皇御孫命スメミマノミコトの静シヅマり坐マさむ大倭国オホヤマトノクニと申して、己命オノレミコトの和魂ニギミタマを八咫鏡ヤタカガミに取り託ツけて、倭大物主ヤマトオホモノヌシ櫛瓦(瓦偏+長)玉命クシミカタマノミコトと名ミナを称へて、大御和オホミワの神奈備カムナビに坐せ、己命の御子ミコ阿遅須伎高孫根命アヂスキタカヒコネノミコトの御魂ミタマを葛木カヅラキの鴨カモの神奈備に坐せ、事代主命コトシロヌシノミコトの御魂を宇奈提ウナデに坐せ、賀夜奈流美命カヤナルミノミコトの御魂を飛鳥アスカの神奈備に坐せて、皇御孫命の近き守神マモリガミと貢タテマツり置きて、八百丹杵築宮ヤホニキヅキノミヤに静り坐しき。(下略)」 
http://www2u.biglobe.ne.jp/gln/77/78/7802/780212.htm
 
最後の一文の原文
「賀夜奈流美命乃御魂乎飛鳥乃神奈備尓坐天皇孫命能近守神 登貢置天」
 
意味は「天孫の守り神として、カヤナルミノミコトのみたまを飛鳥の神奈備に置いた。(神奈備とは山である。)つまり祭った」である。天孫の守り神とは言い換えるとアマテラスのこと、あるいは倭国魂神ということか?いや「近き守り神」なのであるから、アマテラスは遠き伊勢にあるので遠き守り神であり、近きとは三輪山の大物主のことかと思われる。しかし大物主はその前に、大和のカンナビにとすでに書かれてあるので、それとも違う。飛鳥の神とは?

飛鳥にある神社となれば飛鳥坐神社(あすかにますかみのやしろ)がふさわしい。延喜式神名帳には「飛鳥坐神社四座」とあり、現在の祭神は事代主神、高皇産靈神、飛鳥神奈備三日女神(賀夜奈流美乃御魂)、大物主神の四座である、とちゃんと賀夜奈流美命が祭られている。ただしこれには多くの異説がある。

『大神分身類社鈔』では 事代主命・高照光姫命・木俣命・建御名方命
『五郡神社記』 では 大己貴命・飛鳥三日女神・味鋤高彦神・事代主神
『社家縁起』では 事代主命・高照光姫命・建御名方命・下照姫命
となっている。この中で賀夜奈流美命に該当するのは女神である高照光姫(タカテルヒメ)と飛鳥(神奈備)三日女神(あすかのかむなび(みはしらの)ひめ)と、下照姫(シタデルヒメ)となろうが、いずれも出雲に関連する名前になっている。高照光姫と下照姫はいずれもオオクニヌシの娘であり、高木の神とも呼ばれるアジスキタカヒコネの妻だったと考えられる。三日女神は賀夜奈流美命の別名とされるが、「三柱の女神」であるならば宗像及び宇佐の三女神と等しくなる。

アジスキタカヒコネとカヤナルミの関係は出雲では「高木とそれになる実」と考えてみればわかりやすく、その高木とは榧(かや)だと考えが及ぶこととなる。榧の木とその種子である。
出雲の杵築大社(きづきたいしゃ)からは三本の大木を使った「宇豆柱 うづばしら」が出土しており、これを組み合わせて大社の社殿を支えていたことがわかっている。この三本組みがつまり三日女神のことであろうか?となるとその柱になった樹木は当然、榧の木=アジスキタカヒコネでなければならぬ。ところが出土した柱の材質はスギであった。http://www.izm.ed.jp/cms/cms.php?mode=v&id=96
 
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島根県立古代歴史博物館

中央ロビー展示「出雲大社境内遺跡出土の宇豆柱」

 

にも関わらず、大林組は、再現時には入手が難しい、縄文高層建築素材の。管理されてまっすぐなクリ原木、ケヤキ、カヤを組み合わせて実現したという。想定は本来クリであったようだ。現物がスギであるのに、なぜ現代入手が容易なスギを使わず、クリやカヤを用いたかは定かでない。
 
思うに、クリを多用したのは縄文的であるし、またカヤも縄文人の非常食である。カヤはしかもまっすぐに伸びて高くなる。柱にはカヤの方が扱いやすかった可能性がある。つまり出土した材木はスギだったが、それはそれほど大昔の柱とは考えにくいので、それよりも古い時代にはカヤが主に使われていたのではないか?と筆者は考えるのである。

そうであるならば、生命樹としての高木神が九州福岡県の浮羽。朝倉周辺に集中して祭られている事実と矛盾しなくなる。高木の神を民間で祭ったのはおそらく樹木を扱う宮大工や山師、林業従事者の民間での継続する信仰があったためかと考えられる。その種子はそうなると樹木のたねになるもの=子孫繁栄の象徴と理解できよう。「カヤナルミ」を朝鮮半島南部の「伽耶」にみなす意見は多いが、榧の実であると考える論考はおそらく筆者のこれが最初ではあるまいか?

あるいは出雲大社のあの巨大な注連縄に用いる萱のことかとも一時は考えた。実際には「マコモ」を用いるのが注連縄の通例であるが、往古、真薦も総称の「カヤ」と呼ばれていた。マコモは宇佐神宮の御神体でもある。しかし「なるみ」とあるので、やはりカヤの木と考えるほうがふさわしかろう。
 
出雲国造神夜詞に特に、阿遅須伎高孫根命アヂスキタカヒコネノミコト、八重事代主、賀夜奈流美命の三柱の神が特記されねばならないかと言えば、いずれも出雲由来であること、それぞれが高木、海、高木の種を表しており出雲に存在した三大種族・・・筑紫の北部の夜須の高木、南部の海人族=海蛇、半島から吹く偏西風に乗って飛んでくる樹木の種子=半島伽耶由来の渡来人を指すかと。しかしもうひとついたはずの日本海由来の北の蝦夷らしき神はここには登場しないことになる。高木信仰はしかしそもそも日本海縄文由来の高層建築の歴史と、縄文人匠が飛騨では樹木を扱う大工・木地師が飛鳥に集められて初期仏教建造物の建築に携わった事実=飛鳥時代斉明女帝らの時代・・・を考えれば、彼らが縄文時代から樹木の神を尊崇していたと考えてもおかしなことではない。
 
 
 もっと言うならば、出雲におけるアジスキタカヒコネ・八重事代主・賀夜奈流美命の関係は、記紀のタカミムスビ(別天津神の一柱) 、『古事記』では高御産巣日神( たかみむすびのかみ)、『日本書紀』では高皇産霊尊を高木の神としたことに対応し、これは自然の摂理の神=災害神=全能の神であるアメノミナカヌシつまり宇宙の摂理の生み出す生命の神秘であるタカミムスビ・カミムスビがアジスキとカヤナルミのコンビになるのかとも考えうる。すると八重事代主とはアメノミナカヌシとなる。すると大和神社や葛城高鴨神社においてアジスキタカヒコネが八重事代主を祀っている型式も理由もよく理解できることになる。
 
また檜原神社におけるアマテラスを倭比売が祭る形式もまた、実は賀夜奈流美命こそがアマテラスを天武・持統が考え出す源流だったのではないかと考え付く。
 
すなわち出雲のオオクニヌシ神は律令以前の古代に、各地の敗北者たちをとりまとめて出雲に鎮守するための鎮魂大社ということに気づくのである。
 
 
 
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ケルトとキルト

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服飾史で言うキルトを扱う。
ここで言うキルト(Kilt)とは、裁縫用語のキルティングのキルト(Quilt)ではない。
これのことである。
 
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タータンチェックの男性用スカートがキルトである。
 
「もともとはタータンの大きな布を独特の方法で腰に巻き、紐やベルト、ピンで留めていたもので、ハイランドの男性用衣装であった。元来ハイランド人はゲール語を話したので、単にフェーリアと呼ばれていたが、この古典的なスタイルのキルトは現在フェーリア・モール(Feileadh Mor)またはベルテッド・プラッド(Belted Plaid)、ときにブレアカン・モールと呼ばれている。」
WIKI キルト(衣装)
 
キルトに関する最古の記録はヘブリディーズ諸島における1594年の記録といわれ、それ以前のことはわかっていない。同上
 
ハイランドとはイギリス北部、スコットランド地方の一部のこと。
面白いのは、イギリスブリテン島において、スコットランド人はほかよりも民族意識が強く、どうやら南部にある首都ロンドンにあるイギリス警察をスコットランド・ヤードと呼んでいたり、昨今ではイギリスからの独立運動が話題になったりしたように、自分達=スコッティ(スコットランド人)を一番優秀な民族だと考えている節がある。ケルト由来のキルト衣装を着て、バッグパイプによって特徴的なヨナ抜き楽曲(実際にはファはないが、シはそこそこ使うらしい)を演奏するスコッティには誇り高い意識が根強くあるようなのだ。ショーン・コネリーはゲール語に由来するらしきスコットランド訛りを、どんな役柄でも決して迎合しないと聞く。アメリカ裏社会の階級意識でも、スコッティこそが最高の身分・階級であるという話も聞く。アイルランダーだったケネディの暗殺も、そこにもともとの要因があるとかないとか・・・。
 
 
そしてこの独特のタータン・チェックが実は、ケルト・クロスから生まれ出た柄なのだと言う噂もある。
 
 
今日は、ただのさわりである。ケルト研究は一部公開が基本だが、今回は全公開にした。調べるほどに新発見があるケルト人研究。当分やめられない。
 
 
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衝撃の螺旋 衝撃の摂理 神の姿とは?

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これから書くことを当然じゃないかという人もいるだろうし、え!っと驚愕する人もあるかも知れない。理系の人や生物学の人、数学・医学・遺伝子学の人々には当たり前、文系の人には驚きか・・・。
 
 マーラー組曲惑星よりジュピター
 
 
 
 
 
 
 
 
 
ある種の粘菌の細胞が成長の過程でいつも螺旋になる。
 
 
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考古学の人が見たら、そのねじれと渦巻きはまるで装飾古墳の蕨手紋や渦巻き文だろう。
 
粘菌細胞の記憶だとも言える。
 
 
核が中心に生まれると、彼は触手を延ばして大きくなろうとするが、その形状は核を中心とするねじれた、そう、台風の天気図のような反時計回りのねじれた渦巻き=平面的螺旋を描き始める。
 
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そういう原始的生物にさえ螺旋と渦巻きへの志向が刻み込まれている。
 
 
そう思うと、DNAの螺旋構造もまた、生物の生まれたときからの進化の志向の最前線に、まずは渦を巻いて大きくなってやろうという0次元的な欲望があり、何十万年、一億年も存続した結果、あらゆる生物の遺伝子の基層に、螺旋への「希望」が刻み込まれてきたかと思うと、ちょっと驚愕を超えた「畏れ」を、ぼくなどは感じてしまう。
 
 
川魚のトラウト類=マス類は、表皮に班点模様(パーマーク)を持つが、これも進化に伴って?大きくなるに従いただの班点が、渦巻くような方向へ動き始める。
 
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中央にあるねじれた斑紋は、ちょうど海のサバにも見られるものだ。
サバの場合、サワラと同種のマツカレルだが、模様にはサワラのパーマークからサバのうねりねじれへという、ある意味進化が感じられる。これも成長の印として表皮に現れたもので、言うならば樹木の年輪と同じ意味を持つのだ。
 
 
 
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貝類は進化して貝殻を体内におさめることでイカ・タコへと進化したが、アンモナイトからオウム貝、そしてイカへと成長する過程の以前は、とにかく貝殻を渦巻状に伸ばしていく結果、らせん状の巻貝へと進化した。それを斜め方向へ延ばしていったのが二枚貝なのだ。
 
 
 
 
 
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植物で最たるものはこれだろう。
 
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ブロッコリーやカリフラワーの仲間のロマネスコという品種である。
典型的ならせん状を描き出す。
 
 
 
動物の螺旋への願いは、人間の骨の中では指の骨の円錐形の切っ先にまったくそっくりである。その指の先にはやはり螺旋を描き出す「指紋」が刻まれている。それは表皮の成長の過程にある生みと拡大への痕跡である。まったく同じ「希求」によってこれらの形は刻まれてゆくのだ。
 
 
 
 
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それが細胞のそもそもの「望みの形状」なのである。
 
 
 
 
それはすでに数値に置き換えられた定数で表現できる。
 
 
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それは「なぜか?」なのではなく、粛々とした数列、幾何学、事実、現実である。主観の入り込む隙間のない、客観的な図式だ。
 
しかしなぜそうなるかの答え等はない。
 
銀河系の形状もまた渦巻き、あなたのお風呂の栓を抜いたときに、そこから抜けてゆく水流の形も、あるいは水面の渦巻き状の波紋も、やはり同じ形状を描くのだ。
 
それが宇宙の摂理なのである。
 
ところが決して、その法則どおりに順列する渦巻きやらせんにはならない生物も居る。
 
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なんらかの環境条件で、それはいびつになることもある。
 
 
あるいは渦巻きが完全でなく、縞模様を描くこともあるし、斑紋で終わる場合もある。それもまた偶然=自然のなせる不思議である。いやなりわいでしかない。当然の偶然なのだ。シマウマのしましまも、キリンの持つ鼈甲柄のような模様も。
 
 
すべてが成長してゆく途中で、そうなるのである。
 
もみじの葉っぱが五つの手のひらの指のように切れて行くのも。
 
 
 
 
 
それが生命の成長の姿なのだ。
 
 
そして人類は、その形状に、生命を、生命力を、永遠を、なんとも鳥肌がはつことだが、感じ取った。そして描いたのである。渦巻きとして。
 
 
 
 
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似ているのではない、それがヒトという生物の輪環の結果が受け継いできた、あらゆる摂理の記憶に刻み込まれた願望だったからにほかならない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
宇宙・・・
 
 
 
 
われわれは宇宙の申し子かも知れぬ。
 
 
 
 
 
 
われわれが描き出してきた渦巻きと螺旋は、それこそ宇宙の法則=神の預言を書き表したものなのかも知れない。それはまさに神の姿だと!
 
 
 
 
 
 参考文献・画像資料 近藤滋 『波紋と螺旋とフィボナッチ 数理の眼鏡でみえてくる生命の形の謎』秀潤社 2013
 
 
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眉に唾する大方墳発見?

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舒明天皇の初葬地か=国内最大級の方墳発見-石積み、堀出土・奈良
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2015011500736
 
 
 
 

7世紀前半で明日香村で方墳とくれば蘇我氏。
白石太一郎の見方に今回は賛成してこれは舒明天皇ではなく、蘇我蝦夷が有力。もっとも、受けを狙った、記紀記述に考古学をあてはめるやり方はそろそろやめたらどうだろう?いたかどうかも知れない人々、あったかどうかも知れない事件である。それに想像図や上空写真を見た限りでは、こんな墓室構造はみたことがない。本当に墓なのかもこれからの分析によるだろう。センセーションを狙いすぎてないか?
 
 
それにしても最近めっきり考古学発掘の目新しい発見が減っていることのほうが重大。
 
 
 
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三内丸山とチュクチ族のシャーマン

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チュクチ(чукчи)はロシアシベリア北東の端のチュクチ半島ツンドラ地帯)に住む民族。
その総人口はおよそ1万6千人でチュクチ語を話す。Wikiチュクチ
 
 
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「チュクチはその多くが、チュクチ自治管区の八つの地区に居住し、ごく一部が隣接するコリャーク自治管区アリュートル地区およびサハ共和国の下コリマ地区に居住している。チュクチ族は現在、地理的位置および生活様式によって、おおよそ二つのグループに分かれる。一方は、広大なツンドラ地帯でトナカイを追って遊牧する「トナカイ遊牧民」であり、もう一方は北極海の一部であるチュクチ海やベーリング海の海岸地帯に居住し、漁労活動や海獣狩猟を営む「海岸定住民」である。「チュクチ」という民族の名称は、このうち前者の自称である「トナカイ遊牧民 cawcw」に由来する。したがって、後者の「海岸定住民」は、その居住地域を反映した別の自称 aqaln「海の人」をもっている。この二分類は言語的には、東部方言と西部方言という分類にほぼ対応する。
 
チュクチ語の特徴
 チュクチ語は、北東アジアにありながら、日本語、朝鮮語、アルタイ諸語といった我々に身近な言語とは大きく異なる特徴を持っている。まず音韻面では、独特な母音調和という現象がある。母音調和とは、母音が二つの系列に分かれ、一語の中には同系列の母音(中立母音はいずれとも)しか共起できない制約のことであり、トルコ語やモンゴル語といったアルタイ諸語でよく知られた現象である。これらの言語では、語幹の母音がどの系列に属するかにより、接辞(主に接尾辞)の母音の系列もこれに準じて決まる、いわば一方向的なものである(例えば、モンゴル語のax-aar-aa「自分の兄によって」x-r-「自分の母によって」)。一方、チュクチ語の母音調和はこれとは異なり、母音が強弱の二系列に分かれ、強母音を含む形態素が語幹か接辞のいずれかにかかわらず、弱母音を対応する強母音に同化させる両方向的なものである(例えば、plak-qas「ブーツの片方」, plek-t「複数のブーツ」)。   形態面では、チュクチ語は一語に多くの形態素が組み込まれうる複統合的な言語である。例えば、日本語で「私は鍋を水でゆすいだ」という文は、チュクチ語では t-kuk-iml-nilu-γek という一語で表せてしまう。すなわち、この語は、「私」を意味する接周辞 t--γekの中に、「鍋」、「水」、「ゆすぐ」をそれぞれ意味する語幹 kuk、iml、nilu が合成されて組み込まれている。また、「私はトナカイ肉を食べている」という文も、n-qoratol-o-m という一語で表されてしまう。すなわち、この語は現在時制を表す接頭辞 n-、名詞語幹 qoratol「トナカイ肉」「食べる」を表す接尾辞 -o「私」を意味する接尾辞-m からなるが、通常、自立語幹で表される動詞的な概念が -o のように接尾辞で表されうるのである。このように、複数の名詞や副詞を動詞に合成させて新たな一語を作る、いわゆる抱合(incorporation)や、具体的な動詞概念をもつ接尾辞の存在がチュクチ語の高い統合性を保証しているといえる。」http://www.aa.tufs.ac.jp/~tugusk/a02/bunka/kurebito.html
 
 
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チュクチ族のシャーマンの踊り
 
 
 
 
 
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三内丸山遺跡縄文中期終末(約4300年前)のシャーマン像
「この土器片は1993年、遺跡中央の盛り土から発掘されていたが、専門家の話によると、その土器に描かれた姿は、北方アジアはシベリアのチュクチ族のシャーマンの踊りに似ているという。チュクチ族もまた高句麗や百済のシャーマニズムを起源にもつ人物が描かれているらしい。

当時の生活道具が多く捨てられていた「盛り土」の中から見つかったらしく、この盛り土からの出土品は約600万点もあり、2年ほど前から整理作業を進めてきたと云う。」http://blog.goo.ne.jp/tommz_1938/e/c283980ee0563eea6a58fd6bd53835c7
 
 
特徴
右手に弓状のもの、左手に矢らしきものを持ち
先端の尖ったそりあがった靴をはき
頭部には羽飾り状のものを乗せ
がにまた状に両足を屈曲させて広げ
飛び上がって踊っている
 
同様の線刻は岩手県一戸(いちのへ)町の御所野遺跡(ごしょの・中期)、同県北上市の八天遺跡(はってん・後期)でも出土しており、いずれもチュクチ族あるいはその周辺の人々がやってきていたことを思わせる。
 
 
 
参考 岡村道雄『縄文人からの伝言』2014
 
 
縄文時代にはいろんな連中が東北・北海道にやってきたってこと。
以上
 
 
 
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チューリング・パターン/シャーマンは神懸からない

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動物の体は波が作り出す
 

「私は、『波』の作用は、動物のからだの模様をつくるだけではなく、生命のかたちづくりのさまざまな局面で起きているのではないかと考えています。実際、これまで私たちの指が形づくられていくときには遺伝子によって決定されていると考えられていましたが、最近になってイギリスの研究者が、
 
指の形成はチューリングの理論のように波がつくっているのではないか
 
という論文を発表しています」近藤滋
 
 
また、肺は食道から分かれた小さな袋が次第に枝分かれしてできていくが、どのようにしてこのような複雑で精巧な肺の構造がつくられていくのかわかっていなかったらしい。しかし、最近、この複雑な肺の構造をつくっていくときにも、活性化因子と抑制因子の働きによる波が重要な役割を果たしているのではないかという研究が、日本でも進められているという。
 
「きっと、遺伝子はからだの構造の大まかな形を決める役割を持っているのでしょう。肺でいえば、初期の頃形成される気管支の分岐などは、遺伝子による設計図に記されているのだと思う。けれども、肺胞の小さな分岐のところまではその設計図には書かれていなくて、その先はチューリングの理論のように、細胞同士のやり取りを現場でしながらつくりあげていくのだと思います。

また、いまは、波がどのようして起きるかという研究からさらに進んで、模様を形成する遺伝子を解析してチューリング理論を分子機構のレベルで明らかにしようと研究を進めています。分子レベルで解明することができれば、生物に起きるチューリング波(皮膚模様)を自在に操ることができるかもしれません」
 
 
 
 


 
 
チューリング理論(チューリング・マシン)は1970年に彼が死んだ後、いったんは数理物理学の世界から完全に「消された」机上の計算論理である。フィボナッチ定数(=黄金比率)を生物にもあてはめられるよう論理発展した数理理論。「チューリングの卵」とも。その中に「チューリングの波(Turing Pattern)」理論=反応拡散方程式がある。簡単に言えば生物の皮膚の模様が自発的に波状に生育するという理論で、発展させればあらゆる生物には自発的に螺旋を描くように成長するということにつながる理論。
 
 
ほとんどの学者・研究者がこれを否定しているが、中には近藤のようにそれが正しいのだと証明し続けるへそ曲がり(^^も存在し、次第に「そうかも?」理論へと見直しが始まっている。
 
 
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テキサス大学の数理物理学グループは科学雑誌『Natur』誌に、チューリング波の発生に成功したと発表した。二枚のガラスの間に生物の皮膜をおき、ある種の化学反応を起こさせると、ある一定の温度で、自由自在に、縞模様、無模様、班点模様が生まれたというもの。これこそがまさにチューリング・パターン理論の実験成功を意味していた。
 
 
生命の発生がこのような細胞が螺旋を描くことから始まった?のではないかという大発見だった。
 
 
 
筆者、科学には無知だが、思うに細胞や模様が螺旋や渦巻きを描こうとするわけは、どうも引力のせいもあるんじゃないかと思う次第である。ある一定方向へ、なんらかの宇宙や地球の磁力が働いている結果、そうなるんじゃないのか?けれど、つる植物の巻き方に左右あったりするわけは説明できませんがね。
 
 
しかしまあ、やっぱりあらゆる生命には宇宙という神が働いて必然的に渦巻きを信仰していったのは間違いないことでしょう。
 
 
巻貝の腕輪などは、貝殻を建てや横に切り裂いたときに中に存在する渦巻き、螺旋模様を「永遠」と感じ取った古代人がステータスにしたものだし、ケルトや弥生人古墳時代人たちが描き出した渦巻き模様である弧文や組み紐の幾何学模様はそれの図案化だったというのもある。
 
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例えば人間の生理現象として起こるめまいや麻薬反応や酔っぱらったときのめくるめく視界の回転なんぞは、もしかして計算された宇宙理論どおりの方程式が出現しているだけかも知れない。シャーマンが憑依して目が回るほど右へ左へ回転するのもそういうことかも?
 
 
よく「神ががり」などと言うけれど、実はシャーマン自体は絶対に神掛かることはないのだ。神社神道の訓練でも一番に釘をさされるのはここである。「絶対に信仰は神ががりしてはいけない」と最初に皇学院では教えられる。それは宗教は原始信仰ではないからだ。神懸からせるのが商売だからね。簡単に神懸かるのは信者のほうである。オーム真理教もそうだったわけでしょ?
 
なぜならヒトを信仰の渦に巻き込むには、マジシャンは常に冷徹客観的でいなければならないのである。自分まで完全に憑依されてしまうと、集団自殺になりかねない。
 
専門家でない人々の中に、すぐに神は、神様は、といいたがるしろうとが多いのは、彼等が神を信じたがって神がかりすることこそが信仰だという勘違いがあるからである。そういうのをバッタ信仰とでも呼び、詐欺師の一種であると強く思うことこそが人生を無駄にしない方程式であろう。
 
 
 
神とは「いる」ものではなく、「在る」ものである。「在る」とはつまり物質である。摂理にほかならない。人間のようにそこに居るのではないものなのだ。だからこそ常に客観的にながめておくものなのである。お間違いなく。
 
 
 
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キジも鳴かずば撃たれまいに、安倍首相

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最初からこうなることは案じられていた。
イスラエルに行ったニュースが流れた段階で、ぼくには「なぜこの微妙な時期に?!安倍はバカなのか?」という驚きしかなかった。
 
彼は去年すでに後藤さんが拘束され、家族に身代金請求があったことを知っていたはずだ。後藤さんの妻はすぐに外務省へ救援を頼んでいるのだから。
 
ということはこうなることは刷り込み済みで、首相は旅立ったということである。
 
であるならば、二人の人質の命とひきかえに、まさかとは思うが、あえて、言いたくないことだが、自衛隊の派遣既成事実のきっかけにし、憲法改正への手段に?
 
 
 
もし身代金を、外務省がないないで(フランス政府のように水面下で)払ったにしても、結局その金の補填は、われわれ国民の血税に返ってくるわけだ。それに支援金をすでに何十億も確約してしまっている。これだって血税である。
 
 
場合によっては国民の信頼を完全に裏切る行為になることを、なぜ?
キジも鳴かずば撃たれまいに、ではないか。
 
 
 
不運の人質2人の無事を祈るしかない。
 
 
 
 
 
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イスラム国拘束事件・石堂さん支離滅裂逆効果会見でどうなる日本

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気が変わったので全公開に変更します。
 
 
 
 
今の段階では、以下の噂や報道の、どれもが疑っておくほうがいいのは間違いない、と前置きしておく。あくまでこの記事も憶測でしかない。
 
 
 


 
 
 
「イスラム過激派組織、「イスラム国」とみられる組織に拘束されているジャーナリストの後藤健二さんの母親が出した声明文の全文です。

「私は石堂順子と申します。ジャーナリスト後藤健二の実の母親です。多くの外国人記者の皆さんにお集まりいただき、感謝します。日本国民・日本政府の皆さん、諸外国の皆さんに健二が大変ご迷惑をおかけしていることに心よりおわびします。私はこの3日間、ただただ、悲しくて、泣いていました。表現できません。健二は幼いころから心の優しい子でした。健二はいつも『戦地の子どもたちの命を救いたい』と言っていました。中立な立場で戦争報道をしてきました。イスラム国の皆さん、健二はイスラム国の敵ではありません。解放して下さい。日本は戦争をしないと憲法9条に誓った国です。70年間戦争をしていません。日本はイスラム教諸国の敵ではなく、友好関係を保ってきました。日本は唯一の被爆国です。アメリカによる広島と長崎への原爆投下で数十万人が亡くなりました。あと残された時間はわずかです。日本政府の皆さん、健二の命を救って下さい」。」
 
 
 


 
 

記者会見は緊張のためか支離滅裂な内容になってしまっていたが、この声明文をそのまま読み上げるだけでよかったのではなかったかと思う。筆者にはあの野々村号泣会見以来のあっけにとられ、そしてあとから涌き揚げるおかしさで、噴飯ものの困った会見だった。
 
 

悲劇のヒロインとしての悲痛な声を聴きたかった国民には、あにはからんや、会見そのものは本人の意思に反したとんちんかんなお笑いショーになってしまい、拘束された息子への「なぜ生まれたばかりの赤ん坊を置いて危険地帯へ行ってしまったのか」という揶揄になってしまったり、「はじめて嫁と電話で話したら、赤ちゃんが」とか、息子との姓名の相違の違和感もふくめて、ますます後藤さんの謎が増えた会見になってしまった。
 
国民の期待感(お涙頂戴を待つ準備をしていたはず)は完全に裏切られ、この世間や政治に言いたいことの多過ぎる母親の、政治批判、原子力批判、戦争批判、放蕩息子批判になってしまっていた。言いたいことが多すぎて、息子のことはおきざりにされたことから、世間では「息子をあまり愛していない人なのか?」という誤解さえ生まれたのではないか?気の短い人なら「もうやめろ。報道するな」的な出来になってしまった。記者団は困惑、ホテル従業員は右往左往、本人も立ったり座ったり、どっちやねんのお騒ぎ。政府はしまったと舌打ちしたことだろう。これではなんのネゴシエイト効果もない。視聴者は目を白黒。生放送したNHKは責任が重い。途中で打ち切ったようだが、その後の記者との質疑応答こそまともになったのだから、報道すべきだった。生放送の危険性である。しかし、なぜ彼女のフリーハンドの発言を許容してしまったか、まったく政府も脇が甘い。演出・報道規制ということの重要性は、こういう報道にこそ存在する。なんでも言わせていたら、なんの効果もないどころか、日本人全体の名誉の毀損にもなりかねない。あきらかに世界で彼女と日本人と後藤さんらの生命の重さは、この会見で価値をさげてしまった。このことに憤慨を禁じえない。われわれはまた世界に恥をさらした。
 
 
まずジャブとして、最近まで息子夫婦とはこれまで音信がなかったと、没交渉を言い出した段階で「おや?なんか変だぞ」である。
 
次にフックの「赤ちゃんが生まれたのをほったらかして、友だちを助けにいった」と息子の父親失格を批判。(実際には後藤さんは出産時までには帰ってくる予定を立てて出発している。しかし、いずれにせよ、危険な報道をしたいのなら、家族を持つことは矛盾行為ではあるが・・・)
 
返す刀でいきなりはじまったのは政府の原発政策への不満、戦争・原爆・水爆そして原発のいかに地球汚染と反平和を増進させているかの政治的メッセージになり、息子への気遣いは二の次に。確かにすべては正論だが、この人はこういう人なんだということだろう。それゆえの周囲の会見大反対、息子一家との没交渉なのだろうと、妙に納得させられてしまう。
 
 
最後に外国記者のほうが気を使い、声明に書かれた会見の本意を言わせようとしてしまうことになった(しかも流暢な日本語で)。それに答えてようやく声明文の言葉を思い出したかのように「息子はイスラムの敵ではない、息子を解放してくれ」がつけたされた。言うべきことはこれだけでよいのに。まさに付け足しである。言いたかったのはすべてが批判的なマイナーな物言いだった。

 
結果的に2チャンネル野次馬を大いに喜ばせる謎の増大を招いてしまうことになった。だから逆効果なのである。
 
1「嫁にはじめて電話で話した」とは?それまで音信不通だったということなのだろうか?
2苗字の違いは後藤さんが養子に行ったせいだろうか?それとも親が離婚したか?
3後藤さんのミドルネームJOGOとは?キリスト教の洗礼を受けているようだが、洗礼名としてJogoは聞いたことがないし、意味は「遊ぶ」だとする意見もあって、ではあだ名なのかなど不明。
 
すべては下世話な噂が大好物の人々に、絶好の話題ばかりが目立ってしまい、肝心要の、テロ集団へ情けを請う助命主張はかき消されている。

いずれにせよ、あの母親にしてこの子(親を反面教師にして弱者を助けたいと強烈に思い込み始める強すぎた正義感)ありという、奇妙な納得だけが筆者には残された。
 
正義感そのものは褒めてしかるべき願いで、立派なことだ。しかし、それが可能か不可能かによって、正義感は暴走と受け取られる場合もある。報道はすべてジャーナリストが製作するから仲間である後藤さんを絶対否定的には語らないものだ。けれど今回の彼の行為はあきらかに敵の真っ只中に進んで行った「特攻隊」行為で無謀である。さらに最後のビデオで、すべては自分の責任だからシリア人を責めるな」と言い置いているが、一見カッコいい発言に見えて、実際にはこうして国家の金=われわれの血税を出させてしまうことになってしまう。ジャーナリストを美化する行為は、逆に言えば、国家に迷惑をかける存在でもあるということが報道と表現の自由には常に潜んでいる。行動は自由だ、しかしそれは日本国民全体にこういう迷惑を強いてしまう行為でもありえる。勝手に山にスキーにいって禁足地に入り、遭難し、あげくに救助隊を使わせた先の人々となんらも変わらない無謀な行為なのである。
 

周囲から「会見をやめるように」と止められていたのもむべなるかなの記者会見だった。おそらくこういう支離滅裂なことを普段から言う人なのだろうと、多くの人は思ったのではないか?
 

なれない場での初めてのこととして、しょうがないと思うやさしい日本人も多かろうが、世界中が注目する・・・もう一度言うが、瑣末な事件の国内会見ではない、世界が注視しているのである、そして日本国家の重大事なのだ・・・その重要性を充分にわかって、あえて自分の日ごろ言いたかったことばかりに終始する、あまりにもとんちんかん会見であった。
 
これでは世界どころか、拘束者であるイスラム国の連中には、噴飯ものだったのではないか?あの北朝鮮拉致問題の●●さんのお父さんの意味不明なにやにや笑い以上に、日本人がいかに平和ボケした国民かを世界中に晒してしまった会見である。やらないほうがよかったと思う。謎が増えただけだった。それも下世話な謎が増えるのに拍車をかけた。「何を言い出すんだ?このおばはんは?」である。
 
 

一方、もうひとりの被拘束者である湯川春菜氏は、事業失敗後に男●●身を切断して自殺を図ったのちに、「女になりたい」として名前を「正行」から「春菜」へ改名した????とも言われているが、あくまでも推測に過ぎない。相貌に女性的な雰囲気が漂うために、そういう憶測も出ている。性同一性障害?これも憶測。命を一度は捨てた身。そのために危険地帯へ行こうとした?英語が苦手で、以前から後藤さんがサポートし常に同行していたという報道もある。(すべてはネット上の憶測記事を見て切取ってきた風評の切り取りにすぎないとお断りしておく。)
 
 

ということは、後藤さんがそのことを以前のビデオで、湯川さんとは初対面のように語っていたこととは違和感が生じる。旧知の間柄で、むしろそれどころか、彼らは戦地報道でのパートナーだった可能性もある。つまり、湯川氏は自民党政府が中東に送り込んだ政府の調査員であり、後藤さんはそのサポートを要請されていた可能性だって考えうる。
 
 
 
政府が彼らの拘束されたことを承知の上で、中東へ総理がわざわざ出向き、こともあろうにイスラエルのほうに支援金を出すと会見。これだけでも国家的自殺行為だ。支援するならば、憲法ですべての戦争行為を放棄した日本としては、人道上ですらすべきではなく干渉すべきではないし、支援するのなら当然双方にしなければならない。そしてその意味は人道的支援であって、武器を買わせるためではないと、まず一番目に言い置いてから、首相会見をはじめるべきだった。まことに外交音痴としか言いようがない。それ以上に、総理の中東への出発をとめられなかった官僚や内閣にも問題がある。まるで、最初からこうなることをのぞんでいたかのような動きだった。思い出したのは太平洋戦争での日本軍の真珠湾攻撃を、知っていてわざとやらせた米政府大統領の策略のことだった。
 
安倍首相は戦争請負人になりたがる暴走する広告塔だと言える。後藤さんと同じで暴走する正義漢である。暴走する正義を振りかざし、積極的に「対岸の火事」であるはずの異界の争いに口を挟もうとする。そういう国はアメリカだけで充分である。戦争や「テロに屈しない」、はどの国家も外交辞令である。あやられたらやりかえすだけしかしていない。しかし支援金を出す今回のパフォーマンスは、このようにテロにはまったく反逆行為ととられてしまう。わかっていてやったのなら、さらに罪は重い。すでにこの時点(15時過ぎ)で、ニュースでは国内の政治処置についての報道が始まった。つまり拘束問題以外の閣内議題が出ているということは、この事件はもうある程度の決着(殺されてしまったか、金を払ったか)がついたのか?
 
 

最後にまた言うが、今の段階ではすべてのネット報道は噂にすぎず、ここに推測している内容もあくまでも推測でしかないと断っておく。 
 
 
 
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イスラム帝国の歴史とイスラム国

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イスラム帝国は、われわれ世代が学校の世界史でサラセン帝国という国家のあった時代を含んだ、もっと広範囲な時間帯でアラブ世界とその周辺世界へ領土を拡大していった、広義の帝国国家の呼称(イスラム共同体国家=ウンマ Kawa)である。
 
 
「イスラム教徒が西アジアを中心に建設した諸帝国の総称。ムハンマドの死後に始まる正統カリフ時代から、1922年に崩壊したオスマン帝国までの諸帝国をさすが、狭義にはアッバース朝をいう。サラセン帝国。 」
 
 
イスラム共同体帝国の時代別版図(Wikiイスラム帝国から)
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時代別に以下の様な時代があった。
 
1 正統カリフ時代(632~661年)ムハンマドマホメット)の没後、4人のカリフ、すなわちアブー=バクルウマルウスマーンアリーが治めた時代。のちの時代と異なり、イスラムの理念が政治に反映されたと考えられた。
 
2 アッバス王朝支配によるムスリム(イスラーム教徒)であれば誰でも平等に庇護される体制。サラセン帝国(欧州史学の呼称、今はイスラム帝国に改称)・大食  (タージ・中国で) 
ウマイヤ朝(661~750)時代・アッバース朝(スンニ派。750年~12c)時代・ファーティマ朝(10c。シーア派イスマイール分派)・セルジューク・トルコ朝(11~12c・スンニ派)時代に渡る。
 
3 オスマン帝国時代15世紀~1922年まで。いわゆるアラビアのロレンスが活躍  した時代まで。
 
総じてイスラム教国家の共同体国家体制である。ウマイヤ朝時代までは宗派も明確にはない原初的イスラム族長の共同体であるが、その後宗派が分かれるにつれて内部でのいざこざを乗り越えようとする集団へ変化。いずれにせよいわゆる古代族長世界の統率者「共立」時代である。つまりイスラム世界はこの間、一貫してひとつになるための努力を維持してきた。その基板に根強くあったのは欧州キリスト教世界からの侵略に対抗しようと言う共同体志向だったと言ってよいだろう。
 
日本の卑弥呼の時代だと考えればわかりやすかろう。ただし、十字軍に対したこの共同体幻想ともいうべき脆弱な集団意識は、あるときその性質を大きく変えることになる。アメリカがパレスチナにユダヤ国家を置いてしまったときからだ。キリスト教世界とのゆるやかな反駁を感じてきた長いアラブの怨恨意識の歴史に、新たに新興大国家アメリカへの怨恨が加算され、同時にユダヤ=イスラエルへの憤りまでもが加わったのである。
 
第二次大戦後も、これらの古代的な恨みの感情が、イスラム世界の自由主義化を阻み続ける。いわゆる中東戦争の時代を経て、アメリカの強引な政治と軍事攻撃がそれを抑制しようとしてきたが、フセイン体制崩壊後、アラブ世界は統一された共同体を失い、一旦ばらばらな混沌世界へ。こうした中で、イスラム教の教義を超越し、ただジハードだけを望むイスラム原理主義者が台頭してくる。
 
そして最後に登場したのがボコ・ハラムやイスラム国だった。
 
 
 
イスラム国はこれらのすべての原理主義テロ集団を統一しようとして、パキスタン周辺を根城にするアルカイーダの中から主義の違いで分立したより過激で残虐なサラフィ・ジハード主義集団。
 
目的はイスラム帝国の再現としているが、最も違うのは、同胞であるほかのイスラム教徒ですら、主義が違えば迫害・殺戮・暴行・放火・殺人する恐怖政治を慣行する。かつてのイスラム共同体の共立したゆるやかな帝国主義的な考え方とは違い、あきらかに武力による侵略によって版図を広げようとする古代色の強いテロ集団国家というところ。しかし内部機構には一応近代国家的政治組織と細かく分岐した省的なものを作り、体制を整え始めている。
 
 
 
 
 
イスラーム国」(イスラームこく、アラビア語: الدولة الإسلامية‎‎、翻字:ad-Dawlah al-ʾIslāmiyyah ダウラ・アルイスラミーヤ、英語: Islamic State略称:IS)とは、サラフィー・ジハード主義を標榜し、イラクシリア周辺地域の国家と自称する武装組織(テロリスト)である。」Wikiイスラーム国
 
「サラフィー主義は(スンナ派の)厳格派と呼ばれることもある。それが「単なる復古主義でないのは、回帰すべき原点、純化されるべき伝統がそもそも何であるかを、厳しく問うものだからである」が、現実的にはシャリーアの厳格な施行を求め、聖者崇拝やスーフィズムシーア派を否定する。祖は13世紀から14世紀にかけ中世シリアで活動したハンバル学派ウラマーイブン・タイミーヤであるとされ、カラームを拒むなどの特徴を持つ。近世に生じたワッハーブ派はサラフィー主義から派生したもので、今もこれに含む考えもある。近現代においてはラシード・リダーが有力な提唱者であった。」Wikiサラフィー主義
 
 
日本、朝鮮、昨今では中国やインドやブラジル、東南アジアなどの第二次大戦後に西欧文明と自由主義を受け入れて新産業革命を成し遂げている国々と、アラブ世界が最も違うのは、資源ある国は西欧化して平和的になれたが、そうでない地域は、いつまでもいつまでもかつての族長を超えて宗派内部での内乱が絶えず、ついにテロ集団そのものが宗派さえも超越した、すでにイスラーム教とは隔絶したたんなる独裁的恐怖主義にまい進しはじめたということだろう。
 
 
イスラーム国が望む最終版図
 
 
 
 
つまり結果論ではあるが、西欧が中東に対して干渉してきたこれまでのすべての行為は、むなしく意味のないものだったといわざるを得ない。かと言って、イスラム教世界そのものは今も尚、すべての世界宗教の中で最も勢力を拡大しつつある。その中で、欧米自由主義に対する反駁を行っているのはアラブ世界だけであり、すでに十字軍以来の古い怨念よりも、アメリカとユダヤ国家への恨みに発した、世界征服への野望すら見え始めてきた。鉄は熱いうちに打たねばならぬが、先進西側世界にはこれを今、押し込めるほどの財力や資源がなくなり始めていることも確かである。しかも彼らはたとえ欧米並みの裕福な物質文明ですら、与えたところでそれをつきはねて望まない。ただひたすら西欧を拒否し、戦い、荒れ狂い、そして聖戦の中で死んでいくことこそがアラーの思し召しだというような、特殊な死生観と破滅主義に突き進もうとしているようにすら見える。
 
 
 
拡大の手法も特殊で、アメーバのように「道」によってつながりを広げるアメーバ集団であるので、攻撃の核心地が見えづらいうえに、彼ら自身も常に移動をこととして基地を確定しないので、ますますこれを一気に破壊することが難しい。これがまだアラブ世界内部の内乱であるうちに、周辺アラブ国家への資金援助をすることで、アラブ世界の中で彼らを徐々に排除してゆく動きを助けるしかないのが現状であろう。反イスラム国勢力が、今こそかつての族長同盟を復活して、これにあたるべきであり、われわれ外側世界が直接、彼らに対峙するのは内政干渉であろう。
 
 
アラブのことはアラブで。
 
 
いずれにしても、アラブを見れば古代も卑弥呼時代もよく見える。
 
 
 
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最近の考古学ニュースから

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最近の考古学ニュースから
 
縄文晩期のほぞ付き角材発見 石川・真脇遺跡
静岡新聞(2015/1/23 03:00)
 「石川県能登町教育委員会は22日、同町の真脇遺跡でほぞ状の突起がある縄文時代晩期(約3千年前)の角材が見つかったと発表した。木材同士をつなぐ高い水準の建築技術を持っていたことをうかがわせるという。
  ほぞが付いた木製品は縄文時代後期の複数の遺跡で見つかっているが、いずれも角材でなく丸太。木材加工技術の進歩を知る史料となりそうだ。
  町教委によると、角材は横たわった下半分がまだ土中に埋まっているが、全長約91センチ、幅約16センチ。片方の先端に長さ約10センチ、幅約6センチのほぞを備えていた。別の木材のほぞ穴に挿し、木材を組み合わせていたとみられる。」
http://www.at-s.com/news/detail/1174161413.html
 
 
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縄文人の技術が進んだものだったと、あらためて知るにはいい遺物のひとつだ。
釘を使わない建築様式は今の日本の大工にも伝わっているが、縄文時代からあったものであり、飛鳥の最初の寺院である元興寺(飛鳥寺)も、縄文的建築技術と百済や西アジアの建築技術の集合体であることを知っていただきたい。
 
ほぞも、エンタシスも、塔芯五重塔建築も、すべては飛騨を経由して招聘された匠と、ペルシアからやってきた西アジア技術の融合によって日本の古代に登場した。
 
 
 
 
1400年前の黄金文字
時事通信 1月23日(金)14時24分配信
「福岡市は、2011年に同市西区の元岡古墳群から出土した鉄製太刀のさびを取り除き、銘文19文字の露出に成功した。1400年以上前に刻まれたものとされ、文字には高純度の金が使われていた(同市提供)」
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150123-00000036-jijp-soci.view-000

この記事に関連する当ブログ記事http://search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=ie8scint&p=%E5%85%83%E5%B2%A1%E5%8F%A4%E5%A2%B3%E3%80%80%E6%B0%91%E6%97%8F%E5%AD%A6%E4%BC%9D%E6%89%BF%E3%81%B2%E3%82%8D%E3%81%84%E3%81%82%E3%81%92%E8%BE%9E%E5%85%B8
元岡古墳群G6号金象嵌太刀公開/太刀授受したのは筑紫国造鞍橋君 被葬者はその孫か? その1http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55338303.html
 
その2 大発見鞍橋君は筑紫熱田神社宮司 多氏・物部氏・海部氏と筑紫国造の相関関係
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55338324.html
 
象嵌銘文入り鉄剣出土地一覧(過去記事はヤフーブログでは、容量を小さくするために記事全体が縮小表示されます。拡大して閲覧してください)
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/55466356.html
 
 
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<群馬県文化財発掘情報館>縄文ヒスイ「大珠」3点盗まれる
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150122-00000075-mai-soci
 
脇が甘い。
 
 
 
 
1500年前のタイムカプセルが開かれた えびの市の島内地下式横穴墓 [宮崎県]
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150121-00010006-nishinp-l45
「玄室には男女とみられる人骨2体が安置されていた。橋本准教授は武器や武具の多さから、男性は武人的性格とみる。墓が造営された5世紀ごろは、朝鮮半島の動乱期で、大和政権も出兵するなど緊張が続いた。「男性は近畿の大和政権に直接出向いて甲冑を受け取り、朝鮮半島で軍事か交易かの功績を挙げて銀装円頭大刀を手に入れたのではないか」と推測する。」
地下式横穴は隼人の墳墓様式。
 
 
このように、目立った考古学の発掘は最近非常に減っている。
もちろん発掘そのものは各地でたくさんされてはいるが、さほど重要な発見は以前に比べて少なくなってきた。現在、都市になっているところにこそ、重要なものは埋まっているのだろう。
 
思い出したのは応仁の乱のとき、京都の住民は戦火を逃れるために京都市中に穴を掘り、地下に隠れたということだ。そのとき、京都の市街地はすべて全焼している。つまり今、われわれが見ている京都は、すべて秀吉時代に復興された「新しい京都」なのである。例えば、今の奈良市内や桜井市内のどこかから、地下に潜りこめたなら、どれほどのお宝遺跡が隠れているかと思うと。ぼくなどは奈良県地図から住宅地や寺社をはぎとってしまいたくなる(^^
 
 
 
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翡翠大珠盗難事件と古代ヒスイ氏族からみえてくる天皇系譜の謎

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縄文のペンダント盗難か 群馬・渋川
 【産経ニュース】2015.1.22
http://www.sankei.com/photo/daily/news/150122/dly1501220019-n1.html
群馬県教育委員会は22日、県埋蔵文化財調査センター発掘情報館(渋川市)に展示していた縄文時代の翡翠製ペンダント「大珠」3点(計約300万円相当)が紛失し、盗難に遭った可能性があると発表した。
  文化財保護課によると、昨年12月26日午前10時ごろ、館内を巡回していた職員が大珠の紛失に気付き、県警渋川署に通報した。同21日午後1時ごろまでは展示されていたのを確認していたという。大珠は縄文時代中期のもので、同県長野原町の八ツ場ダム建設に伴う発掘調査で出土した。(出土遺跡=横壁中村遺跡 遺跡所在地=吾妻郡長野原町  Kawakatu注)
 
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これに先立って高崎市では去年10月に「公益財団法人群馬県埋蔵文化財調査事業団では、平成27年3月の北陸新幹線長野-金沢・富山間の開業を記念して、下記のとおり、企画展「ときめきの古代ぐんま発掘物語~北陸新幹線地域を掘る」を県庁31階の物産展示室で開催します。北陸新幹線建設に伴って実施された発掘調査の成果を、北陸地方とのつながりを示す出土品にも注目して、時代ごとに展示します。」としてこの翡翠大珠も展示していた経緯がある。
http://www.pref.gunma.jp/houdou/x4600102.html
 
 
実は常設展示の際の展示方法に重大な問題があったようだ。
アクリル製の透明ボックスに入れてある大珠を、ボックス横に開いた穴から、来場者には誰でも触ることができていたらしい。驚きである。
ヒスイの大珠の貨幣価値を考えれば、ちょっと考えられない展示方法である。
都会の人間から見れば、盗まれないほうが不思議である。
 
 

 

八ッ場ダム付近にある横壁中村遺跡からはこのほかに長野県冷山産「幻の黒曜石」なども出土している。ジャパン通信情報センターHP http://j-tsushin.co.jp/bunkazai/default.asp?act=kensaku&kbn=go&page=233&nen1=1997&nen2=2010&gatsu1=1&gatsu2=9&cPage=100
高崎市でも高崎情報団地Ⅱ遺跡第2次で 翡翠大珠が出ている。
 
 
 
「ヒスイ製大珠に使用される原石はどこからくるのか、鉄器のない時代にどのような方法でかくも見事な孔をあけることができたのか、長い間謎とされてきたが、1939年に新潟県糸魚川市一帯(新潟・富山県境地方)でヒスイ原石が産出することが確認されて原産地の問題はかたづき、孔あけについては、研磨剤を使用する磨製石斧の製作技術がシベリアから伝わり、それを転用したと考えられるようになっている。なんと、縄文時代の人々は、細い竹管を使って、水晶よりも加工しにくいヒスイにスッパリとした孔をあけることができたのである。」
 (p87『宝石の力・幸運は形に宿る』)
 
(※縄文時代の北陸に、果たして南方産の竹がどうやってとどいたのかも、実は謎である。おそらく笹ではないかと思う。 Kawa)
 
「硬玉製大珠は北海道から九州に至るまで、現在全国で二百数十個がみつかっています。そのなかで多いのが東日本で、北陸地方・中部山岳地帯で全体の40%、関東地方を含みますと、実に70%近くなります。時代は中期がもっとも多く75%、後期になりますと20%前後くらい、その後はポツポツという感じになります」『古代翡翠文化の謎』(森浩一編、新人物往来社、1988)所収「ヒスイの玉とヒスイ工房」(寺村光晴))
 http://www.japanjade-center.jp/archaeology2.html
 


 
 
 
 
盗難事件は、一般展示会終了のすぐあとに起きており、展示会で目にした者の仕業である可能性もある。また翡翠を今でも宝物とする某国コレクターの犯行である可能性も考えておく必要もあるかも知れない。地方行政上の学術資料館などはとにかく、これまで日本人の善良さを信じてきた流れでセキュリティーが甘すぎる感がある。特に小さな地域の資料館。また産地ヒスイの管理体制も気になる。とにかむ昨今は、資源や金属製品、ヒスイなどの輝石、仏像等の盗難事件が頻繁に聞こえてくる。性善説に頼っていると、海外からの魔手がどんどん伸びてくるのでご注意。
 
 
 
 
 
がともあれ・・・。
 
 
 

日本列島の翡翠原産地
黒曜石とヒスイの原産地と交易図(平尾良光・山岸良二編1998より作成)
http://www.ranhaku.com/web04/c2/5_07.html
緑色部分がヒスイ原産地域
 
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考古学のヒスイ製発掘品分布
http://www.n-story.jp/special/03/page2.html
縄文時代
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弥生・古墳時代
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図のように日本でヒスイ原石が出るのは、諸氏よくご存知のとおり糸魚川の支流姫川周辺を核とする北陸富山湾地域が中心地であり、そのほかはわずかしか存在しない(往古はビルマ産と考えられていた)。
 
日本では三種の神器のひとつ八尺瓊勾玉(記)(やさかにのまがたま 八坂瓊勾玉(紀))は糸魚川産ヒスイの勾玉を「御統 みすまる」につなげたものだったと考えられ、『日本書記』はそれが石上に納められたとある。奈良の石上神宮のことである。また、この八坂瓊勾玉はアマテラスとスサノヲの「ウケイ 誓約」のさい、アマテラスがこれを噛み砕いて胸肩(むなかた)三女神となったとある。この神話はまずは天武時代にはじまったアマテラス=皇祖信仰の一端であるので、天武に妃を差し出して隆盛を極めた九州の宗像(胸肩君徳善 むなかたのきみ・とくぜん)一族の女神が登場したのであり、8世紀の着想であろうが、三種の神器もまたその頃から生まれてきたものと考えてよいのである。
 
 
 
※みすまるとは、「身住まる」で、定着した安定を示し、首飾りの珠が糸でつながり動かない安定するさまを言う。スサノヲで言うならば「安来 やすぎ」と同義。Kawa
 
 
 
 
 

三種の神器はそれぞれ
 
八坂瓊勾玉=宗像氏、
草薙劔(くさなぎのつるぎ 天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とも)=尾張氏、
八咫鏡(やたのかがみ)=物部氏あるいは息長氏
 
の、そもそも天皇外戚氏族の呪器でシンボルだったと考えられ、いずれも天武に妃を差し出すや、軍事援助やをした氏族のものを皇室の神器として接収したものであろう。しかし記紀編纂の途中で、先に滅んだ物部氏では都合が悪く、八咫鏡はそもそも天祖アマテラスの持った呪具だったと変更したのであろう。しかし考えてみれば、一旦はすべてが宮中にあったものが、その後、各氏族の祀った神社へと返還されたのはいかなるわけだろう?

それは天武死後の女帝時代を眺めればだいたいの想像はつく。持統以降、藤原氏の主導の下で編纂されなおした『日本書記』の書きようともそれは深く関連してくる。またアマテラスを祭る伊勢神宮が遠い伊勢に置かれ、そこに八咫鏡が置かれる理由も関わってくる。これは政治的理由によっているのだ。宗像氏も尾張氏も確かに天武の政権奪取に大いに貢献した氏族ではあるが、死後の扱いは決して最上のものではなかった。持統以降、天皇系譜は継体大王を排出した息長氏を中心とした構図を描き出す。平安時代の桓武に至るその流れは、あたかも天武直系を排除し、息長氏中心の女帝系譜に変化する。「たらし」を名に持つ皇極などの女帝が前例として置かれた。
 
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あの源平の壇ノ浦決戦で、安徳帝とともに海に沈んだ草薙劔を探したら、海岸にぷかぷか浮かぶ木刀だったという記録があるが※、要するに三種の神器のすべては、天武治世のいっときだけは宮中に真物があっただけで、あとは氏族へ返還され、持統時代以後にはすべてが偽物=レプリカになっていたと考えられるからである。つまりこれはあきらかな天武系譜の抹消である。
 
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
三種の神器みなレプリカの例証
文治元年三月廿四日丁未。
・於長門國赤間関壇浦海上。源平相逢。各隔三町。漕艚向舟船。平家五百余艘分三手。以山峨兵藤次秀遠井松浦黨等為大将軍。挑戦于源氏之将帥。及午刻平氏終敗傾。二品禅尼持寶剣。按察局奉抱先帝。(春秋八歳)共以没海底。
=====
 ところが、これはどうやら宮中用のレプリカらしい。
 いわゆる三種の神器。鏡もまた宮中用に作成され、何度か火事に遭った。

 同じく平家物語から引くと、 
・第九代の御門開化天皇の御時までは、ひとつ殿におはしましけるを、第十代の御門崇神天皇御宇に及んで、霊威におそれて、天照大神を大和國笠ぬいの里、磯がきひろきにうつしたてまつり給ひし時、この剣をも天照大神の社壇にこめてまつらせ給ひけり。其時剣を作りかへて、御まもりとし給ふ。御霊威もとの剣にあひおとらず
 
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 
三種の神器はすでに宮中に本物は必要なくなっていた。
その証拠に、天武死後、アマテラスは伊勢に、スサノヲは出雲に、神器のすべてはまずは石上から各氏族の元へ戻されている。スサノヲの十種の神宝の中に、これら三種神器に相当する呪具の記述がすでに存在する。当時の武器庫であった石上神宮には、多くの剣も納められたし、七支刀も収まった。当然、鏡も珠も一度は納まるのであろう。「垂仁天皇39 年、瓊敷入彦皇子命(いにしきいりひこ 紀では五十瓊敷入彦命)、茅淳の菟砥川上宮にまして千口の神剣を作り石上に収める」と記録がある。この中にはあの出雲の神庭荒神谷に隠されたおびただしい銅剣の一部もあったのかも知れない。千本の剣をつくるなどすぐには不可能だろう。各地から接収した剣に違いない。
 
※この千口の剣には名があり、川上部、裸伴部というともあるが、熊襲や土蜘蛛たちの剣だったか?のちに瓊敷入彦皇子命は年老いて「もう高い倉庫には登れない」として妹の大中津姫に管理権を譲り、そこからまた物部十千根(とうちね)大連の手に渡る。五十瓊敷入彦命の母は丹波の日葉酢媛(ひばすひめ)で、日本海海部の一環氏族ゆえ、これは尾張氏と同族が集めた剣であろう。すなわち尾張氏の祖である高倉下が神武へ譲った剣・・・アマテラスと高木の神が受け渡した神剣を意味するか?
 
 

いったいどういうことだろう?
持統以下の女帝時代を正当化するために、アマテラス=女帝をにおわせ、前例として息長帯姫=神功皇后伝承を大々的に挿入して、応神河内王朝=飛鳥政権継承を確固たる物にしてある『日本書記』。しかも後付記入でわざわざ「女王卑弥呼の魏志曰く記事」を神功皇后即位前紀に強引に挿入してまで、女帝の正統王統を言い立てる『日本書記』。これこそがのちの明治の「万世一系」の天皇系譜思想の原点・始まりだったことはあきらかである。息長氏が王家に嫁を出した(息長広姫・敏達皇后、舒明祖母)ことが最大の理由であるが、継体大王さえも息長系譜を父方としたと造るほどにまで、息長氏が皇室内で力を持ちえた最大の要因は、近江琵琶湖から越前福井コースで日本海交易を牛耳った海運氏族だったからにほかならず、その正体は安曇傍系だったからであろう。
 
福井三尾氏出身の継体系譜を応神河内王家の系譜につなぐためには、息長氏をどうしても皇祖の外戚に造る必要があった。しかし神武以来、安曇族はあくまでも天孫の忠臣であり、縄文時代からの先住氏族であり、皇室系譜には混じり得ない血脈だった。ゆえに息長氏の出自もあやふやにしてしまわねばならず、必然的に継体、三尾氏の系譜も実にあやふやになってしまわざるを得なかった。継体が応神の六世孫というのも、もちろん疑わしい。むしろ継体はただの日本海の海運氏族の子でしかなく河内王家を乗っ取ったのであり、それゆえにあっという間に、血脈はみな死に絶える。つまり種馬である。近江には記録に従っていくつかの伝承と遺物が造られたが、見てきた限りでは真物だとは思えなかった。

東国鹿島神宮摂社で東国三社のひとつに息栖(いきす)神社がある。もと「おきす」である。鹿島灘の海中に祭られたが縄文海進の終息で、今は内陸に鎮座する。鹿島神宮は藤原氏の東国総社である。息栖では海岸近くに真水がわく湧水池があり、この真水が湧く聖地ゆえに湧水=わきみずが転化した社名かとも言われるが、藤原氏が息長高祖を祭った可能性が高い。祭神は神功皇后にちなむ安曇族の神・住吉三神である。つまり海の神だ。住吉神は神功皇后三韓征伐に常に船を動かしてきた安曇族の神である。この三神の様式を、宗像氏では女神にしてある。そしてその三女神はすべてスサノヲの娘なのである。それがヒスイの勾玉から生まれてきたとしてあるのだ。

ヒスイの産地である糸魚川地方はかつての古志(高志)の国である。これをオオクニヌシ神話ではカムヌナカワヒメとしてある。ヌナとは沼地。出雲はつまり古志と深くつながった地域だが、同時に縄文世界の東北、弥生世界の北部九州玄界灘ともつながっている日本海海運の中継地であり、さらに東西の境目(異界)でもあり、交差点でもあった。
 
ヌナカワヒメの「ヌナ」を背負った天皇が三名いる。
 
神渟名川耳尊(かむ「ぬなかわ」みみのみこと)=第2代綏靖天皇、
訳語田渟中倉太珠敷尊(おさだの「ぬな」くらふとたましきのみこと)=第30代敏達天皇、
天渟中原瀛真人尊(あまの「ぬな」はらおきのまひとのみこと)=第40代天武天皇
 
である。
この三者はすべて息長系譜・日本海に極めて関係性が高いと筆者は考えている。まず天武は天皇系譜では兄・天智と同じく敏達直系で広媛を母方の祖としている。敏達は広媛を皇后にしているので二人の父方高祖に当たる。綏靖は九州多氏神八井耳の弟であるが、「みみの氏族」多氏が九州だけでなく富山湾にもいたことを示している。ここには神功皇后が息長を父方に、葛城を母方にしたという出雲・古志・多氏・玄界灘海人族・そして南九州葛城族の四者の深いかかわりが表されている。息長氏とはこうした日本海と南海と縄文世界の地の交わりから作り出された想像上の氏族だったのではあるまいか?その実態は安曇族族長であろう。
 
 
 
 
 
と、ひさしぶりに盗まれたヒスイ大珠から、妄想を楽しんだ。
 
 
 
ヒスイ大珠には必ず穴がひとつ穿たれている。おそらくいくつかの大珠を往古は紐でつないで首にかけていたのであろう。
 
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  富山県上平村西原遺跡出土硬玉大珠(富山県埋蔵文化財センター)縄文
 
 
3世紀の魏志倭人伝には
「壱与、倭の大夫率善中郎将掖邪狗等二十人を遣わし、政等の還るを送らしむ。因って台に詣り、男女生口三十人を献上し、白珠五千孔・青大勾珠二牧・異文雑錦二十匹を貢す。」とあるが、この「青大勾珠」こそが姫川産ヒスイの勾玉原石だったのかも知れない。中国ではヒスイは碧玉と並ぶ貴重品である。
 
 
今後も、考古遺物や天然資源の民間単位での盗難・搾取は起こることだろう。行政研究機関におかれては気をつけられたい。
 
 
すでに姫川も、小笠原の紅サンゴ同様の簒奪を受けてしまっているのかも知れない。セコム、してますか?
 
 
 
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妄想地名由来・アバター、あばた、あだたら、あだち おまけ「台」邪馬台国の台

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久しぶりに地名由来を独自の視点で考察。


アバター・・・サンスクリットで化身、権化を意味するアヴァターラから来ている。それをPC用語に転用した言葉。WIKIアバターにはこのように語源が解説してある。

サンスクリット語アヴァターラ(avataara अवतार)は、インド神話仏教説話の文脈で「(神や仏の)化身」の意味。アバター/アヴァターはその(もしくはヒンディー語形アヴタールを英語表記したavatarの)西洋風の読み方で、概念が似ていることからネットワーク用語として転用されたもの。」

神仏習合、密教、修験道で、吉野の山に大日、阿弥陀、弥勒が降臨したとき、みなおやさしい姿の仏ばかりだったので、修験者はもっと厳しい姿の仏の顕現をとして、これを千手観音などの憤怒の姿の三仏に権化させた姿=アヴァターラを拝んだ。これを権現と呼んで吉野に蔵王権現を建てて祀った。山岳密教の神の変身した姿のこと。
これは妄想ではなく、正しい解説。


 



あばた・・・「あばたもえくぼ」の「あばた」は痘痕と書き、サンスクリットの《(梵)arbuda(アルブダ=かさぶた)の音写。皮膚の水疱(すいほう)の意》痘瘡(とうそう)が治ったあとの皮膚に残る小さなくぼみ。じゃんこ。のちにニキビや吹き出物もあばたと呼ぶようになった。


あばたもえくぼ=好きになったら醜いものも美人に見えるという意味








あだち・・・安達、足立、足達など。古語「仇し」から。すさんだ土地。荒地。

能・安達ヶ原 あだちがはら 黒川能「黒塚」の演目。荒れ野に住まう鬼婆が人を喰う話。仇し野原の意味。

化野=あだしの。京都市北部の鳥辺野(とりへの)にある荒地。往古は無縁仏の埋葬地で念仏寺がある。縄文時代から鳥辺野は墓場であった。




あだたら・・・安達太良。福島県安達の最高峰安達太良山のこと。往古は万葉仮名で阿多多羅。 もともと地名が「仇し」で荒地であるが、あだし土地の山々の最高峰なので安達太郎「あだしたろう」と呼ばれていたのがつづまって「あだたら」。また福島はたたら製鉄が盛んで県名も「たたらの風が吹く洲」から来ているので、「あだしたたら」であろう。高村光太郎『智恵子抄』に「阿多多羅山」とある。阿・多々良・山。




あし・しり・・・「あし」は泉州・南河内方言「わたし」、「しり」は同じく「~せよ」の泉州・南河内方言。
「あし、昨日からお通じがないねん」「ほな、はよう、ひまし湯のまな。」「あし、あれ、きらいやねん」「あほ言うてんと、はよしり!」などと使う。



あし(悪し)・・・よくないこと。わろし。転じて地名には「よし」をつかうところが多い。吉野、吉原など。もともとあしの、あしわらである。




あじ・・・よい、味な。うまい。うまし。アジスキタカヒコネ=よい農具を持ってきた高いところにいた人。つまり半島から銅や鉄を持ち込んでよいクワや鍬を作った渡来人。うましと同義。うましあしかび、うましまじ、うましうち、など人名になっている。




あた・・・阿多。鹿児島県姶良地方から南東部の地名。阿多隼人。ちなみに「はやと」はアラビア語「ハヤート Hayat=生きる、生活」か?鹿児島方言のわかりずらさの大元はこれか?ちなみに近海の島「吐噶喇列島」の「とから」地名は西アジアにもトカラ(吐火羅,覩貨邏 トハラ)がある。トゥハラ人の土地の意味。中国で大夏 タジー=バクトリア。つまり狭義でアフガニスタン~広義でイスラム帝国の版図。
トカラから流れ着いたペルシア人の話も記録があり、トカラ列島ではなくて西アジアのトカラじゃないかとういう説もあり。種子島の製鉄はかなり古い遺跡があり、西アジアの製鉄中継基地だったとも。







おまけ

台(臺・7檯・枱)
付属形態素 地名に用いる.

用例•台州=浙江省にある地区名.
•天台=浙江省にある山の名・県名.

((清末から中華人民共和国成立以前のいわゆる旧社会の言葉)) 付属形態素 相手方または相手方の行為に敬意を表わす言葉.

用例•兄台=貴兄.
•台启=お開き願います.

うてな【台】 1 四方を眺めるために建てられた高い建物。高殿(たかどの)。 2 極楽に往生した者の座る蓮(はす)の花の形をした台。蓮台(れんだい)。 3 (「萼」とも書く)花の萼(がく)。 4 眺望をよくする...
http://dictionary.goo.ne.jp/srch/jn/%E5%8F%B0/m0u/

「台」はさまざまな意味に用いられるが、古代中国では台は地名、尊称として使われることが多い。そもそもは物見の高い台や楼閣からであるが、転じて偉人が建つ場所、つまり重要な場所を意味する言葉である。首都、あるいは帯方郡のような植民地の核となる場所も台である。

例えば「御史台」(ぎょしだい)は、中国歴史上の官署の一つであるので、やはり拠点や首都の意味がある。王や官吏のいる場所、出張所、支局、役所、である。
今でも中国ではテレビ局を電視台、国賓館は釣魚台と、重要な場所に古風な「台」をつけることがあるがこれは高い建造物であるからだろう。日本では昨今は台地にできた見晴らしのいい住宅地によく台とつけている。台風はとてつもなく大きな風という意味である。やはり台には高い、大きい、偉大な、尊いという意味があるようだ。また支社、支局、出張所も台をつけている。

「~政等の環るを送らしむ。因って台に訪り、男女生口三十人を献上し~」魏志倭人伝
 上の「台」を『魏志倭人伝』岩波文庫版54ページでは魏都洛陽の中央官庁と解説しているが、これは明らかに違う。中央官庁ではなくて天子の宮殿である。朝貢は天子(ナンバー1)にして初めて意味が生じるのであってこの、「中央官庁説」解説はいただけない。
 (男女生口三十人以下の貢ぎものは天子への貢ぎであり、魏朝(晋朝への朝貢)という国家への貢ぎではありません)
http://www2.ocn.ne.jp/~syouji/gisi_wajin.html

という説もあるが、台を宮殿としても間違いはないのだが楽浪郡や帯方郡のような
してもおかしくはない。ちなみに『隋書』隋書俀国伝では「邪靡堆」として魏志の邪馬臺のことであるとしてある。
いずれにせよ台は倭人伝では邪馬台国にしかついていないので、首都につく尊称だったと考えてみたらどうだろうか?ほかの諸外国で例証はないか?
韓国には韓国釜山広域市海雲台区に海雲台(ヘウンデ)があるが台地をひかえる海岸の景勝地である。台湾の台は漢語には由来しない現地名?の当て字と思われる。古代中国が諸外国に対して台をつけた例は、やはり邪馬台国しか見当たらない。



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渦巻きと生命の再生に関する当ブログの記事リスト

螺旋の必然

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人が描き出してきた渦巻きの永遠は

螺旋こそを永遠の命の円であるという境地にたどり着く




それはどの世界でも同じである。




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現代のサーファーが好む渦巻きは
いにしえの海の民が描いた文身と同じである。




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それは魔よけだったからだ。






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それは島々の人々とも同じだし





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古代人とも



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天才レオナルド・ダヴィンチとも同じだった。






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弥生人もまたその螺旋を自然の造形に見つけた






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あたかもみなもの渦巻く波・・・







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いきとしいけるものがみな
螺旋に突き動かされてきた






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太古の昔から








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はるかな宇宙でさえ





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それをすべてのものが「美しい」と感じ







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そのようになろうとした






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その結果
あらゆる有機物が
おのれの体内に
螺旋を持つに至る











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それは願い
めくるめく永遠の再生
亡びないいのち
への
思い
繰り返していくいのちの輪廻
神の姿




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魂の形も
そうして想像され
神文は地球上のすべての人類に共有された


これが神々の指紋である














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渦巻きと弧文

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ではもう一度日本の弧文、直弧文の中にある渦巻きを


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吉備、弧帯文石



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同上






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纏向石塚山古墳、弧文円板








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福岡 石人山古墳 直弧文










渦巻きは∞


螺旋はより∞



その∞を絶ち切られた直弧文





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