先日「縄文の戦争」記事にした高知県の居徳遺跡。
実は戦争の痕跡よりも、縄文人の食人痕跡である可能性がある遺跡である。
これは中橋も書いていることで、その確率は非常に高いものがある。
まず遺跡が、獣の骨と人骨が入り混じった「ゴミ箱状」であったこと。
出土した10体の人骨がすべてばらばらで、欠損したところが多いが、それらがどこにあるかが不明。
ばらばら状態というのは、もしこの骨にまだ肉がついていたとすると、それはばらばら殺人の現場状態の散らかり方で、骨の圧痕に、金属器でついたとしか思えない強すぎる痕跡があり、縄文後期の遺骨とは思えない。金属器としか考えられないとすれば縄文後期に、彼らを殺した人々が、なんらかの形で外からやってきた渡来人で、大陸から金属利器を持ち込んだとしか考えられない。あるいはすでにその時期に日本に金属の精製技術があったか?とも考え得るが、ほかにそのような遺物や骨が出ていないので、そうとは決められない。
ただし、持ち込むことがすでにこの時期にあったのなら、国内でそれを作る技術を持った人々だった可能性はないとは言えないだろう。
しかし、そうした遺跡がなぜ北部九州や日本海側山口ではなく、四国の太平洋側で唯一出たかは、まことに不思議である。高知県の縄文以前の遺跡となるとここと、あと一箇所が知られるだけで、大陸から遠い太平洋側に、そんな早い時期から金属文化が入っていたというのは、驚きである。
そうなると、やってきた食人風習を持った民族とは、いったいどこからやってきた連中だったかも気になってくる。
世界で人を食う狩りをしてきたのは、ボルネオなどの南の島に人々であるので、可能性としては海洋民族が来た、そして在来の縄文人小集団に襲い掛かり、食べちゃった?あるいは半島からなら太平洋側はおかしいけれど、関門海峡を抜ければ四国に到達するので、もしかすると?愛媛の石鎚山山麓に上黒岩縄文遺跡という、人骨がまれに見るたくさん出ている大きな遺跡があることだし、そこも追求すべきかも知れない。
いいたくないことではあるが、日本に食人族がいたというのは、古いところでは貝塚研究の明治のパイオニアであったモースが最初に言い出したこともある。
さて?
よそからきた放浪の海洋民族の一過的な事件であったならよいのだが。
なにしろ考古学は何が起こるかわからない。同じような骨がまた見つかることもあるのかも知れない。ちなみに骨は、どう見ても歯でかんだような痕跡も見つかっている。
さらにちなみに、本日のBS映画で大岡昇平『野火』をやっていたわけだが、これは戦時中の日本兵の食人をテーマにしている。食人の歴史は、新しくはあの飛行機墜落事故での出来事があったし、それほど大昔のことだったわけでもない。もちろんそれらは極限状況でのいたしかたないものではあるが、南島では最近まで首狩り食人はざらだった。
居徳でけがを負った骨がほとんどが弱い女性だったことを思えば、なかったとは言えなくなる。
参考 中橋孝博 「倭人の・・・」