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常識逆転 縄文人はのっぺり短脚、弥生人はいろいろ



縄文人は短足だった! 寒冷地型の弥生人と大差なく 江戸時代になるといっそう胴長に
「温暖な地域からやって来て脚が長いと想像されていた縄文人は、弥生人と同様に短足だったことが骨の分析で分かったと、国立科学博物館のチームが発表した。江戸時代の人は縄文人より胴長短足だったことも判明した。
 縄文人は、顔の形の研究などから南方の出身とする説が古くからある一方、謎も多い。同博物館の海部陽介・人類史研究グループ長は「体形から考えると、起源は南方よりも(寒冷な)北方とする説を支持する結果だ」と話している。
 チームは北海道や本州、四国、九州にある20の遺跡で出土した主に6千~3千年前の縄文人63人分の骨を計測。島根・山口両県と九州北部にある4遺跡から発掘された弥生人27人分を調べ、体形のデータを比べた。
 一般に、温暖な地域では胴に比べて手や脚が長く、寒冷な地域では短くなるとされる。縄文人は脚が長い熱帯型とは言えず、北東アジアを起源とする寒冷地型の弥生人と差がなかった。身長に関しては弥生人の方が大きいという特徴があった。
 東京都内で出土した94人分ある江戸時代の人骨のデータを調べると、縄文人や弥生人より明らかに胴長短足だった。原因は不明だが、江戸時代の平均身長が低いことと関係がありそうだという。」
http://www.sankei.com/west/news/151113/wst1511130101-n1.html

独立行政法人国立科学博物館
「世界各地の現代人の体形を比べると、アフリカなど温暖な地域の人々は細身なだけでなく、胴に対して腕(上肢)・脚(下肢)が長いが、シベリアなど寒冷地の集団は胴が大きくて四肢が短い“胴長短足(脚)”の傾向がある。これは動物学でいう「アレンの法則」に合致するもので、身体の体積と体表面積の関係に依存している。つまり熱帯地域では、身体の突出部を大きくして放熱を促進し、逆に寒冷地では突出部を抑えて放熱を防いでいるのである。

では、日本の縄文〜歴史時代の人々の体形はどうだったのであろうか? 渡来系弥生人は現代
東北アジアの人々と類似しているので、寒冷地型に近い体形をしていたと予測される。一方の縄文時代人については、アジアの南方起源説と北方起源説があって予測が難しいが、四肢の長さの特徴(近位の要素(上腕骨、大腿骨)に対して遠位の成分(橈骨、脛骨)が相対的に長いこと)は現代アフリカ人と似ているため、熱帯型の体形をしていたという推定も可能である。江戸時代人は両者の混血で形成されたので、両者のどちらかあるいは中間的傾向を示すと予測された。

ほぼ完全な骨盤や背骨(椎骨)のセットがあれば、腰幅や胴長を計測して胴体サイズを知ることができる。しかし遺跡から出土する人骨は破損していることが多いため、これまで縄文〜江戸時代人の体形はよくわかっていなかった。そこで本研究では、全国各地の研究機関をめぐって縄文人の胴体サイズデータを充実させ、縄文・渡来系弥生・江戸時代人の全身的な体形の検討を初めて行った。」
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=ah3UPoxftfUJ&p=%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%80%8C%E8%83%B4%E9%95%B7%E7%9F%AD%E8%B6%B3%E3%80%8D&u=www.kahaku.go.jp%2Fprocedure%2Fpress%2Fpdf%2F93119.pdf#search='%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA%E3%81%AF%E3%80%8C%E8%83%B4%E9%95%B7%E7%9F%AD%E8%B6%B3%E3%80%8D'





弥生人がのっぺり顔というのも勘違い
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イメージ 1
日刊ゲンダイ15.06.19)片山一道「骨が語る日本人の歴史」(ちくま新書)




想定どおりの結果が出たと感じている。
MTDNA遺伝子分析で日本人のルーツはバイカル湖方面と出ており、南方系古モンゴロイドの血脈の割合は少ないと出ていたから、当然縄文人もシベリア方面から南下したはずである。むしろ当たり前の結果だが、サンプルからもれた中に異種の人骨もある可能性はあるので、一概に決め付けるのはまだ時間が掛かるだろう。

さて、そうすると記録との違いが気になってくる。
記紀では「土蜘蛛」や「国樔の民」として近畿に先住していた異民族が描かれ、また蝦夷は毛人(もうじん)とされ、手足が長く、小さく、毛深いなどと描かれている。ではそれらは縄文人ではなかったのか?である。

縄文人とひとくくりにしてしまうのは何度も言うように危険であろう。さまざまな来訪者があったはずだ。縄文人もアイヌや蝦夷以外の民族・人種が来ていてもおかしくはない。それがすべて北方系だったかどうかは今後、もっと詳細な各論が出るべきである。

いずれにせよ、筆者はずいぶん前に遺伝子学の記事で、すでに、縄文人が北方系新モンゴロイドであると書いている。だから現代日本人のMT遺伝子には北方系の要素が多いのだということになる。ところが文化や言語はなぜ南方の要素を残存させるのか。それはおそらく長江流域人の渡来が、半島渡来よりも先んじていたことの証明ではないかとも考えうる。

すると記紀が書いた土ぐもとは、長江からやってきていた人々だったとも考えられる。

なかなか日本人は複雑である。
縄文人だって弥生人だって「いろいろあるのだ」(by神武天皇)



頭を切り替えてくださいって。




 

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