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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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はたち、はつか 「はた」「はな」語源についてもう少し

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「はた」についてもう少し書いてみたい。


「はたち」は二十歳をいう言葉だが、はたーちと解析できる。
なぜ二十歳が「はたち」と言われているか?

「はた」は多いという意味の朝鮮語だとも言う。では接尾の「ち」は何か?
「みずーち」の「ち」は、霊魂を指す。「ち」は血であり、智であり、地でもある。
つまり生命や、一族の「ある場所」が「ち」である。

「ある」とは「いる」でもあり、そこに存在を認める言葉だ。

「はた」が二十を言う言葉であるのは二十日を「はつーか」というのと同じである。
二十がなぜ多いという意味になるかは、「十分な」という意味が隠されている。もう大人としても十分な年齢・・・などとさまざま解釈すればいい。人生で10がひとつの目安であることは、多くの世界で共通する。それが地域によっては12を単位とする民族もあるが、同じことである。ひとつの目安、単位である。すると10よりも20が多いのは誰でもわかる。人間の成長の中で、10、20をひとつの目安にしてあるわけである。このことは史書の中に於いて、天皇の第十代崇神、第十五代応神、第二十代安康のように、歴史の切れ目に登場する大王として理解すればよい。ただし20代安康はさしたるきわだった事績はない。これは「もうきわだたせてまで王家が変わることを言わなくてもいい時代」の王だったからかも知れないし、反面、安康=倭王興であったとしたならば、むしろ時代が切り替わった意味を表せている。倭王興のあとは、武が王となるのだが、そこにつながりがなかったとなる。


さて「はたち」は「ふたつ」と語源を同じくする。「はた」と「ふた」のどちらが早いかは決めがたい。ただそれが「多い」ことに転じたのは確かなことで、ひとつの単位である10よりも多い10だということで、特に「はたち」としたのだろう。「もうひひとつ上の区切り」としての「はた」である。「ふたつ」は別れる数字で「分かつ」である。すると二十歳も人生の分かれ目である。

「はたとせ」=二十歳
「はたまき」=二十巻
「はたとり」=二十人



だから「はた」を多いことに使う慣用句が出現する。
「やーはた」は八=多いことがさらに多い。
「いやはた」=甚大で勇壮である。
「はだかる」-広い。広がり。
「はたす」=極める、行き着く
「はたして」=果てしない謎の行く末
「はたけ」=水田の周囲に作られた広い耕作地

などなど。


「はた迷惑」は「周囲に迷惑が及ぶ行為」であるが、そこには畑=周囲の広い耕作地=他者=主である田の外側という意味がある。つまり外野である。外周の他者にまで多大な迷惑がかかるから「はた迷惑」である。


はたを織物とするのは、それができあがると旗=布地=長い布になるからである。


朝鮮語の[Hata]は「巨大、広大、多い」を指す。


「はたらく」は「行き着くところまでやりとげる」から。

魚の「ハタ」は種類が非常に多く、区分しづらいほどだったから。



そこで「はた」から「はつ」が出る。「果つ」で行き着くところ。それが転じて初めて着いた場所。命の沸くところ=さいはて。はつせ=水がわくところ。「はぢ」=さいはて、いきついたところ・・・。「果て」は「はたつ」から生まれ、「果たつ」「はたーつ」である。「限り」。それがちじまって「はつ」。「終わり」である。

このように「は」は最終地点、すべてが充足している場所で、最終結果を表す。すると花とは、植物の枝の先に咲いて、結実する最終結果だとわかる。「はーな」。菜=植物の端っこである。

それが逆になって「はなから」=最初から。花は種になるので、植物の最初の姿。

「はなつ」=さきっぽから飛ばしてしまうこと。

「鼻」-先っぽ。岬。


広大で、際限なく、行き着いた氏族が秦氏なのだろう。
実のところ、靫負氏族だった的臣などは・・・。





次回に続く。




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