Quantcast
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1881

継体、大和を簒奪す

そろそろ地震のことは忘れ、元の民族学伝承ひろいあげ辞典に戻らせていただく。
地震とは異常事態であり、異常事態とは特権的肉体論で言うならば、特殊な、ある意味そのゆえにこそ価値を認められる一過的病いの状態=たとえば中原中也や立原謙三のごとき・・・主観性によって異常なクローズアップの宿命を持つ題材でしかない。
それをもって、可愛そうだから主義によってとりあげていこうというのは、男の選ぶものとはいいがたい。長い目で見れば、所詮、マスコミ、婦女子の好む憐憫やらでは世の中の真底は動いてはいない。それは金が動くための話題性のひとつでしかなく、広義においてはおいていってもよい。大事とは事件にはなく、常に本義に戻るのが本道である。平常にこそ道を見出すべき。





日本書紀巻第十七
継体天皇
「二月辛卯朔甲午、大伴金村大連、乃跪、上天子鏡劒璽符、再拜。男大迹天皇謝曰「子民治國、重事也。寡人不才不足以稱。願請、𢌞慮擇賢者。寡人不敢當。」大伴大連、伏地固請」

越国から継体を迎え、大伴金村は鏡と剣を奉り膝まづいた。

仲哀天皇紀
崗県主(おが=遠賀のあがたぬし)の祖・熊鰐、船の舳先に木をたて、鏡・玉・剣をさげて天皇に降伏し、魚塩(なしお)の地(=魚介のとれる海岸)を献上す。

伊都県主、船の舳艪に玉・剣・鏡を木につけて天皇に服す。


森浩一
「剣・玉・鏡を差し出すのは降伏の印である」(『語っておきたい古代史』平成13)

このように三種の神器をとは降伏のあかしである。しかるに、継体大王に大伴金村たち大和の既存の豪族たちは平伏したのであり、それはつまり越前の継体が武力で平定したことを如実に『日本書紀』が認めていることになる。

なぜこのような屈辱的なことをわざわざ史書に書くかというと、書いた側が、すなわち大和の旧態勢力に対してもともと無力な存在で、自分たちの=勝った側の正統性を、なんらかの形であとになってひっくり返した、あるいは正統な天皇の祖先である継体がひっくり返したと、書きたかったからにほかならない。

ということは、すなわち継体も藤原氏もそもそも正統ではなく、天皇氏の祖である継体も正統でない、ひいては今の、継体の血を引いた天皇家も、もともとは、葛城や蘇我や物部のように(卑弥呼から存続する)正統な大王家血脈ではないということを認めてしまっていることになりはすまいか?








Viewing all articles
Browse latest Browse all 1881

Trending Articles