なぜ最古の都市はメソポタミア地域に生まれたのだろうか?
「アフリカ外のホモ・サピエンスの最古の化石骨はイスラエルのスフール洞窟で見つかった10万年前のものです。12万年前は数千年間の間氷期があり,サハラにも一時的に緑が増えた時期があります。彼らはその時期に動物を追って北上し,アフリカを出たと考えられます。
「BBC地球伝説」という番組では,彼らはスフールに数千年は留まりましたが,短い間氷期が終わり再び氷期が訪れ,サハラやこの地域が乾燥化したため拡散することなく絶滅したとしています。
しかし,10万年前の人類の骨を探し出すことは非常に難しいので,まだ他の地域では見つかっていないという可能性は否定できません。もっとも,そのような集団もあとからやってきた数の多い成功集団に吸収されると遺伝的な多様性は失われ,出アフリカは1度に見えることになります。
ホモ・サピエンスの出アフリカは複数回あったかもしれませんが,中核となる成功集団がアフリカを出たのは1度だけと考えられます。この集団がアフリカを出た時期は85,000年前あるいは70,000-60,000万年前という2つの説があります。」
「BBC地球伝説」という番組では,彼らはスフールに数千年は留まりましたが,短い間氷期が終わり再び氷期が訪れ,サハラやこの地域が乾燥化したため拡散することなく絶滅したとしています。
しかし,10万年前の人類の骨を探し出すことは非常に難しいので,まだ他の地域では見つかっていないという可能性は否定できません。もっとも,そのような集団もあとからやってきた数の多い成功集団に吸収されると遺伝的な多様性は失われ,出アフリカは1度に見えることになります。
ホモ・サピエンスの出アフリカは複数回あったかもしれませんが,中核となる成功集団がアフリカを出たのは1度だけと考えられます。この集団がアフリカを出た時期は85,000年前あるいは70,000-60,000万年前という2つの説があります。」
徒然なるままに「人類の進化と拡散」http://www.geocities.jp/msakurakoji/900Note/106.htm
スフール洞窟を通る12万年前の「第一波出アフリカコース」でアフリカを出たのはネアンデルタール人のような原人で、一旦絶滅したとされている。だから新人の拡散は”現在の遺伝子アフリカ単一説”では「嘆きの門」を渡ってアラビア半島を通り抜けてイランに上陸して東西へ拡散したというのが定説になっている。
しかしそれでは遺跡年代でたどるティグリス・ユーフラテス流域への新人進入コースには矛盾してしまう。
メソポタミアに至る新人の歩み
そもそもレバント地方は最古の小麦生産地帯で、新人もここを通ったのならメソポタミアへの移動コースに矛盾しないことになるわけだが、年代的にこの道は1万年前が最古で、
レバント 3万年前~1万年前
ハラフ 1万年前
ウバイド 5000年前
シュメール 4000年前
とアバウトだがそういう順序で成立してきている。
レバントからすぐお隣のハラフに文化が始まるのに1万年以上もかかっているのはやや不自然であるように見える。
■人類の出アフリカ
「人類は約500万年前、アフリカに誕生。肢の指の先祖返りによって、樹の上に棲めるというサル時代の最大の武器を失った人類は、想像を絶する逆境に陥りました。鋭い牙も、走力も他の動物に比べて肉体機能が遥かに劣る人類は、地上では狸のような小動物にも負ける存在であり、従って日々の食料も確保できず恒常的な飢えに苛まれ、常に肉食動物の襲来に脅える絶望的な生存状況でした。
この本能機能だけでは適応できない状況の中で、人類は共認機能を強化し、その共認機能をさらに進化させ観念機能を獲得し発達させていきます。しかし、約1.2万年前まで洞窟に隠れ住むしかない状況が続きます。このような過酷な状況に加えて、繰り返し訪れる氷期による寒冷化→乾燥化→「食料がない」という二乗の逆境に陥った人類は、かろうじて逃げ延びて命を繋ぐために、出アフリカ=決死行を試みます。
<各段階の人類分布>(別冊日経サイエンス151より)

旧人段階(約60万年前~3万年前) ホモ・ネアンデルターレンシス 旧人が拡散を始めたと考えられる60万年前は、ドナウ氷期に当たり、原人の頃と同じく、やはり急激な乾燥化→食料不足が起こったと考えられる。アフリカから中央アジア、ヨーロッパへと拡散。繰り返される厳しい氷河期を乗り越えることが出来ずに全て絶滅。
新人段階(約16万年前~現代)
ホモ・サピエンス(現生人類)
約15~14万年前は1000年単位で非常に激しい乾湿の変動があった。また約11.5万年前から最後の氷河時代、7万年前には最終氷期の亜氷期が始まり、この時代以降寒冷で乾燥した気候になる。
約12万5千年前、一つの集団がグリーンサハラを縦断し、ナイルを北上し、レバントに到着。レバントにたどり着いた部族は、9万年前頃までには死に絶える。
ホモ・サピエンス(現生人類)
約15~14万年前は1000年単位で非常に激しい乾湿の変動があった。また約11.5万年前から最後の氷河時代、7万年前には最終氷期の亜氷期が始まり、この時代以降寒冷で乾燥した気候になる。
約12万5千年前、一つの集団がグリーンサハラを縦断し、ナイルを北上し、レバントに到着。レバントにたどり着いた部族は、9万年前頃までには死に絶える。
約8万5千年前、一つの集団がアフリカからユーラシア大陸へ。その後、全世界へと拡散。現在の全てのアフリカ人でない人種は、この集団に由来する。
■出アフリカ三大グループ
出アフリカを果たした人類は、Y染色体によるDNA多型分析によると、大きくAからRまでの18の系統に分けられます。」以下略
■出アフリカ三大グループ
出アフリカを果たした人類は、Y染色体によるDNA多型分析によると、大きくAからRまでの18の系統に分けられます。」以下略
要するに人類は猿人~新人までのあいだに、数度の出アフリカを試みるのだが、成功したのは新人だけであり、それが世界に拡散して文化文明を作っていった。石器文明を持つ人類は原人と新人だけであるので、最古の文化発祥地であるハラフ(シリアのアレッポ周辺域)を形成した人類は原人ネアンデルタールの子孫でないなら新人クロマニョンの子孫しかありえないわけである。そして新石器時代は当然新人の文明なのでメソポタミア文明に至るすべての文化圏はクロマニョン人子孫のホモサピエンスの手になるものであることは間違いない。
ところがそのコースが西アジアのイランからのコースをたどらずに、レバントからの地中海・シナイ半島経由のコースをたどっているのである。
これははぜなのか?