くしふる・そしもり
この日本神話に登場する地名から、記紀神話のすべてが作られたものであることを論じる。
まず「くしふる」の語源は「くし」にある。
く・し【▽奇し】
[形シク]神秘的である。不思議である。「―・しき邂逅(かいこう)」→奇(く)しき →奇(く)しくも
●くす・し【▽奇し】
[形シク]
1 神秘的である。
2 宗教上の禁忌などを固く守るさま。神妙である。
3 一風変わっているさま。
「聞きしごとまこと尊く―・しくも神さびをるかこれの水島」〈万・二四五〉
「物忌(ものい)みし、―・しく忌むやつは、命も短く、はかばかしき事なし」〈宇治拾遺・二〉
「吉祥天女を思ひかけむとすれば、…―・しからむ」〈源・帚木〉
デジタル大辞泉
[形シク]
1 神秘的である。
2 宗教上の禁忌などを固く守るさま。神妙である。
3 一風変わっているさま。
「聞きしごとまこと尊く―・しくも神さびをるかこれの水島」〈万・二四五〉
「物忌(ものい)みし、―・しく忌むやつは、命も短く、はかばかしき事なし」〈宇治拾遺・二〉
「吉祥天女を思ひかけむとすれば、…―・しからむ」〈源・帚木〉
デジタル大辞泉
そのまた語源は朝鮮語にある。
●語源・由来
朝鮮語굿(クッ)→日本語kushi→kususiki(川村湊説)
●語源・由来
朝鮮語굿(クッ)→日本語kushi→kususiki(川村湊説)
●굿(クッ)
「巫俗は、朝鮮のシャーマニズムである。ムーダン(ムダン)(巫堂、무당)というシャーマンがクッ(굿)という神を憑依させお告げを行う祭儀を行う。朝鮮の土着の信仰として、古代から現代に至るまで続いている。 戦前の資料によれば、ムダンの男女比には地域性があり、男性が主流の地域もあれば、女性が多い地域もあった。また呼称についても済州島ではシンバンと呼ぶなど地域性がある。 戦後、古い迷信として衰退したが、近年の国家主義的価値観とも連動し、巫俗こそが朝鮮固有の宗教であるという思想が生まれ、表舞台に近年しばしば取り上げられることとなってきている。 戦後のムーダンは女性が多く、降神巫と世襲巫がある。男性のムーダンは、パクスともいう。クッには、個人の幸福を祈ったり、病気の治療、死者の供養、村の神様を祀るなど、様々な種類がある。」Wiki「巫俗」
●くしふる(くじふる)=朝鮮語クジポン(奇しきモノが降りてきた所) 亀旨岳・峰
櫛触峯・槵触・串触・触之峯など表記はさまざま。
櫛触峯・槵触・串触・触之峯など表記はさまざま。
「亀旨峰(クジボン)は慶尚南道金海市亀山洞にある小さな峰で、1983年8月6日に慶尚南道記念物第58号に指定され、2001年3月7日に史跡第429号に変更されました。伽倻の始祖である首露王が降りてきたと伝えられているところです。以前はカメの頭の形をしていることから亀首峰といわれていましたが、現在は亀旨峰と呼ばれています。》」http://japanese.visitkorea.or.kr/jpn/TMC/TE_JA_7_1_1.jsp?cid=1800031
標高20mほどの小山でとても祖神が生まれたところとは思えない外観。日本で言えば丘である。日本の天孫降臨の山のような急峻、深遠のたたずまいは感じさせない。亀の形の支石墓や朝鮮民族の祖神の卵生説話にみあった卵型の石や、男根のような石まで、しつらえてあり、どう見ても後世、神話にあわせて作られたテーマパークである。実際の峰は諸説あるが白頭山である可能性が高いか?あるいは「曽尸茂梨 そしもり=朝鮮語で牛の森・山」の元となった牛頭山か?
金海市亀旨峰山頂の亀石
関連で「そしもり」も解明する。
●そしもり
スサノヲ神話にこの「曽尸茂梨 そしもり ソ=牛、モリ=頭」が出てくるが、スサノヲがそもそも朝鮮神話に言う始祖王・首露王(しゅろおう、スロ・ワン 수로왕金官加羅国の始祖)である可能性もよく言われるところで、牛の頭はスサノヲの祇園信仰における呼称でもある「牛頭天王 ごずてんのう」の源流でもあろう。
スサノヲ神話にこの「曽尸茂梨 そしもり ソ=牛、モリ=頭」が出てくるが、スサノヲがそもそも朝鮮神話に言う始祖王・首露王(しゅろおう、スロ・ワン 수로왕金官加羅国の始祖)である可能性もよく言われるところで、牛の頭はスサノヲの祇園信仰における呼称でもある「牛頭天王 ごずてんのう」の源流でもあろう。
伽耶は滅亡した多民族集団の国々が集まる地域で統一国家ではなかった。魏志に「鉄がとれる」とある。『日本書紀』では日本府があったとされる。朝鮮半島南岸中央部。
いずれにせよ「くしふる」も「そしもり」も今の朝鮮半島最南部金海(きめ)あたりにあるので、これらは新羅のというよりもかつての金冠伽耶国由来の地名だったのだろう。日本の地名で下に書いている鹿児島県の鹿屋(かや)や京都府の加悦、与謝野郡などの地名はあきらかに伽耶由来であり、渡来人が住まった地名である。特に京都の加悦や与謝の近くは大江山越えの日本海沿岸にあり、大江山の鬼=鉱物鉱山開発者であったことは間違いない。大江山の鬼・酒呑童子とはつまり岡山県の百済からきた鬼の温羅と同じ渡来工人の長である。つまり御伽草子の桃太郎とか金太郎とかの話は同じこと言っていることになる。なお、高麗楽の楽曲のひとつに「そしもり」を名乗っていた例がある。
「蘇志摩利(そしまり)とは、雅楽の一曲。別名長久楽(ちょうきゅうらく)・蘇尸茂利(そしもり)。」https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%98%87%E5%BF%97%E6%91%A9%E5%88%A9
「スサノオは子のイソタケルを率い新羅の曾尸茂梨に降りた(曾尸茂梨は新羅の地名である。倭名鈔(和名類聚抄)の高麗樂曲にある蘇志摩利はその地の風俗を歌う曲である。)スサノオ言うにはこの地に私は居たくない。埴土で船を作りこれに乗って東に渡り出雲国の簸之河上と安芸国可愛之河上にある鳥上峰に至った。」「先代旧事本紀」
「スサノオは子のイソタケルと新羅に降り曾尸茂梨に居た。スサノオ言うにはこの地に私は居たくない。埴土で船を作りこれに乗って東に渡り出雲国の簸川上にある鳥上之峯に至った。」『日本書紀』
「戊申十年(161年)豆只(ずし)州の濊邑(わいゆう)で謀反あり、その酋長の素尸毛犁(そしもり)を斬った。これよりその地を素尸毛犁と称す。今転音し牛首國という。その孫に陝野奴がおり、海上へ逃げ三島で、天王を潜称す」『桓檀古記』檀君世紀上編」三世檀君 嘉勒の条
くしふるじんじゃ
槵觸神社 宮崎県高千穂町
霧島神宮 串フル 鹿児島県霧島町吾田
槵觸神社 宮崎県高千穂町
霧島神宮 串フル 鹿児島県霧島町吾田
など
これらの地名には近隣に必ずかつて鉱山があったところとか、繊維に関する渡来の姫伝承が付随するので、分布図に置いてみたいと考えている。その多くは構造線や活断層のある土地とリンクするし、やがて登場するほかの姫神・・・例えば阿加流比売、丹生津姫、松浦佐用姫などともリンクする土地でもあるだろう。
ちなみに朝鮮神話の始祖王たちの名前は多くが赤、光、日月から作られている。
例えば. 赫居世(かくきょせ 斯蘆(しろ)国の初代の王(在位紀元前57年? - 4年)は赤を二つ並べてあるし、脱解王(脱解尼師今(だっかい にしきん)は、新羅の第4代の王(在位:57年 - 80年)であり、姓は昔(ソク)、名は脱解(タレ)。吐解尼師今(とかい にしきん、토해 이사금、トヘ・イサグム))の音は「ヘ・タル」で日月を指す単語の羅列でできている。
その場所については諸説紛々。
鹿児島県の霧島神宮のある霧島連山とか、同じ小林市の高原町、あるいは宮崎県の高千穂町とか、大分県の九重連山とかである。日本の記紀にある「天孫降臨神話」では「邇邇藝命(ににぎのみこと)は筑紫の日向(ひむか)の高千穂に降り立った」という。霧島は北部に天孫最初の姫となる吾多津姫にちなむ吾多郡を擁し阿多の隼人由来の土地で、連峰には韓国岳の名もあり、また頂上に天の逆鉾のささる高千穂峰もここにある。さらに海岸部には笠沙岬もあるが、この笠沙町の名は明治~戦中の町村合併で生まれた地名であり、古い地名には一切「かささ」なる地名はない。つまりあとから皇国史観によって改名されたものとわかる。一方宮崎・大分県境の祖母山や二上山は、坂口安吾が論破したように、あまりにも『日本書紀』記述に合致する施設がありすぎ、『日本書紀』にあわせて平安~戦時中までの間に人為的に作られた神話テーマパークになってしまっている。つまり互いに記紀からの後世の付会が見え見えの土地ゆえに、結局水掛け論になってしまったのである。
要するにこれらの地名は戦時中の軍部あるいはいにしえの藤原朝の朝廷主導によるアマテラス信仰に付随した強制的命名の羅列でしかないだろう。神功皇后伝承もまた同じく。魏志を読んだ編集者が、卑弥呼なる女酋長に相当する血脈を思いつき、自分の傀儡となるべき女帝正統化に利用した政治的イデオロギーの所産でしかない。しかもその天孫なるものの出自があきらかに朝鮮伽耶の山であることを記紀ははっきりと書いてしまっている。ということはそもそも日本にそのような神話がなかったから、中国江南の神話や朝鮮神話を組み合わせ潤色して創作したのが記紀神話なのだ。対外用の偽物でしかない。そのようなものから日本の歴史を語ってきた人々はつまるところ本居宣長のごとき国粋主義者だけであろう。
ではいったい天孫降臨の場所はどこか?となるのだが、そもそも記紀神話も朝鮮の亀旨峰も、すべて神話から人為的に決められた「仮想の山」でしかないのであり、どこか?など言い出すほうが野暮ということになる。神話は神話に過ぎず、観念のしろものである。いわば時代小説、軍記などと代わりのないSFだと思うのがよかろう。そんな場所などありはしない。いや古代人の想像性あふれる頭の中にそれはあったということである。
一応『日本書紀』天孫降臨はこうなっている。
1.天鈿女命:胸をあらわにし、衣の紐を臍(へそ)の下まで押し下げあざ笑い、衢神に向かい立つ。→ 衢神猿田彦:「天鈿女、汝の為す(そんなことをする)は何の故ぞ」と尋ねた。
2.天鈿女命:「天照大神の御子(皇孫)が進む道路(みち)に如此(かく)居(いま)す者有るは誰ぞ。敢て問う」→ 衢神猿田彦:「天照大神の御子、今、まさに降り行くと聞く。故に迎え奉りて相い待つ。我が名は猿田彦大神ぞ」
3.天鈿女命:「汝、我を将(い)て先(さきだち)て行くか、それとも、我、汝に先て行くか」→ 衢神猿田彦:「我、先て啓(みちひらき)て行かん」
4.天鈿女命:「汝は何処(いずこ)に到るや。皇孫は何処に到るや」→ 衢神猿田彦:「天神の御子、まさに筑紫の日向(ひむか)の高千穗(たかちほ)の触之峯(くぢふるのたけ)に到るべし。我は伊勢の狭長田(さなだ)の五十鈴(いすず)の川上に到るべし」更に続け、「我の素性を明らかし者は汝なり。故、汝、我を送りて致るべし」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E5%AD%AB%E9%99%8D%E8%87%A8
伊勢神宮の成立は猿田彦神社社伝にもあるように、記紀成立後の伊勢地主である大田命の神宮建造のために土地を譲った頃で持統以後の時代である。これもまず間違いがない。そもそもアマテラスを祭るこの伊勢には土地神が祭られており、そこへ大和の先住土地神であった三輪山の祟り神を移し、それを巫女神が鎮魂する形式で始まったと考える。大和大国魂と言い換えても良い、大和にあとから入った渡来王権にとって不都合な、祟りなす神が大物主や大和大国魂(古くは大倭直氏が奉祭していたが、飛鳥時代あたりに逃げてきた朝鮮王族が倭を名乗り、大和神社も移築されてしまう)であり、それを大倭氏出身の斎王によってはるかに遠い伊勢で鎮魂したのが始まり。記録でもこれが登場するのは崇神時代としてあるが、それはありえず、正しくは天武壬申紀は初出である。崇神のような古墳時代初期の大王はもちろん創作されたものだから信用はなし。
スサノヲに関しては災害神、渡来の神であり、そもそもが半島由来。月読も同じく。つきよみを朝鮮語にしてみるとやはりあちらの始祖の名前があぶり出てくる。脱解王の朝鮮読みは「タルヘ」で、「へ」は日あるいは海である。すると「タル」とは「タ-アル」で「月」と解せる。つまり脱解王は「日月王」から考え出された創作名だとなる(川村)。ということは日本の月読命もアマテラス=太陽との対比で月読=月なのであるが、これらの三神はすべて天体、地球であることになる。しかし日本語は面白い。月「つき」は同音異義語の調も「つき」と読む。これは租庸調のことであるから税金。中でも調は絹や木製工芸品を指すのだが、いずれにせよ、つまり月は税の品を言う隠語ということにもなる。だから月読命は税金を読む官僚や政治家を指す神であり、だからこそ生まれるとすぐに影の存在になり記録に登場しないのである。
●くしら地名
・くしら(くじら) 鹿児島県鹿屋市串良町
・「久志羅」クジラ⇒鳥取市福部町久志羅(上野)
・「久地楽」クジラ ⇒茨城県筑西市久地楽
・「久志良」クジラ⇒岡山県瀬戸内市邑久町福中久志良
・「久知良」クジラ⇒豊後大野市久知良( くじら)
名称:久知良神社 くじらじんじゃ 所在地:三重町大字内田171番地
「鯨」地名・人名はまた別で、捕鯨、鯨販売などの名残である。あるいは「崩れ易い土地」の意。
しかし両者を判別するのは難度が高い。
しかしそもそも動物の「くじら」の名そのものに「奇しき魚」の意味があった可能性がある。クジラは巨大なゆえに神のようであり、古代ではめったに現れない希少な勇魚(いさな)であったし、珍しく神秘的なうえに、食の素材としても珍重されたからだ。ここでは地名だけを記す。
鯨:クジラ 栃木県河内郡上三河町、栃木県 日光市久次良
(クヂラ) 茨城県下妻市鯨、和歌山県海南市、 和歌山県(鯨の漁から)
愛媛県越智郡上島町弓削久司浦(ユゲクジウラ)発祥。
久知良:クジラ 大分県豊後大野市三重町久知良一区・二区発祥。
久地楽:クジラ 東京都町田市。常陸國真壁郡
鯨井:クジライ 埼玉県。埼玉県川越市鯨井発祥。
鯨岡:クジラオカ 福島県いわき市、茨城県日立市。福島県いわき市平鯨岡
このサイトにはほかにアイヌ地名、地形由来、実際に鯨が来た土地などの地名・人名もある。
http://www.catv296.ne.jp/~whale/kujira-timei-myouji-yurai.html
鯨由来の地名以外は、朝鮮半島からの渡来、亡命、逃避者たちがそこに住んだ痕跡地名である。
朝鮮語「クッ」はそもそも巫女神であるから日本の玉依姫や阿加流比売(赤留比売)、比売許曾などは彼らが持ち込んだ大地母神、鬼子母神、鉱物神、芸能神で後ろ戸の神の一種。ということになろうか?
このように朝鮮神話の多くは、そもそも半島南部の人々(伽耶・百済)が考え出したイデオロギーでしかない。それを記紀は本歌取りして書かれている。つまりやはり日本には8世紀までそもそも神話がなかったのだという結論に達する。日本の王家とはこのように江南系、伽耶系、百済系、高句麗系がかわるがわる交代してきたものだった。その後の動乱や反発の歴史も平安時代までは彼らの政権奪い合いに終始している。それが平清盛以降、どこから出てきたかよくわからない武家によって牛耳られ、明治になって、その中の最下層の武士(下氏)によって近代化され、太平洋戦争でようやく縄文先住民の子孫と渡来下人の子孫の混血であるわれわれ民間人のものとなったのである。ところが宗教的イデオロギーと天皇家だけは以前古代のままに存続し、天皇家でさえも民間の血が入ったというのに、相も変わらず神社信仰だけは旧態依然の原始信仰を続けておるという、まことに精神の古代が続く奇妙な、しかし魅力的な国なのである。