障碍神 しょうがいじん。
さえぎる神のことです。
何をさえぎるのか?
心の明暗をでしょうか。
マハーカーラ、サトゥリヌス、摩多羅神などがこれでしょうか?
大国主、大黒天などもそうでしょうかね?
共通点は全世界で一致します。
その姿は老年であり、人を喰うということです。
災害神です。
哲学的になってしまいますが、種は種をつなぐ必要があります。
それを「永遠」と申します。
和合してしかわれわれ動物は種をつなぐことができません。
簡単に言いますとそれはセックスということになります。
植物は、徹底的に動かないことで
無駄なエネルギーを使わないことで、
固体が長生きします。しかし動物は移動するために寿命をちじめる。
移動するのはえさを捕獲するための確率を大きくするための必然的選択でした。
待つことこそが植物の「気長な生き残り戦術」だったに対して、動物は、積極的に食物を探して動いた。
もとは同じ生命体です。
宗教も哲学も、まぐあわいなくして種は存続できないことを暗黙に語ってきました。
ゆえに真逆の聖なるものでは、マリアから生まれたキリストのように、動物的なセックスではない生まれ方=ピュアを描くのでしょう。
しかし、科学では、どう考えても、セックスなしでは種は存続できない。つまり宗教はそういう直接的な表現はできませんでした。
空海は、いや仏陀は、ちゃんとそこについて語り、種が増えなければ意味がないことまで説いています。種とは、同胞が増えていくことを目的として「みあれ」します。
存在するということです。
子孫が増えていかないなら、それは自然界では、いずれは種が滅亡することだからです。
古代人は、ある時期なのですが、永遠とは長寿だと考えたことがあります。
するとそれは時間を越えたものが老人だとなり、それこそが神に近づく仙人の姿だとなった。
各地の神社に伝わる伝承でも、神がおきなの姿をしていて、わざわいをなす。それを退治しようとして英雄が立ち向かう。しかし10人行けばほとんが死にとかかれますね。
これがいわゆる「人を喰う神」であり障碍神です。民間ではサエの神と申します。「さえぎる神」であります。
西洋ではサトゥリヌスは、わが子を喰らい、結果的にそれはサタンの原像となり、インドではマハーカーラ=シヴァはやはり大黒点=人の肝臓を喰らうことで災害を起こさぬ神だとされます。摩多羅神も翁の姿で、爆笑しながら、災害によって人を喰うオロチのようなモノです。
修験道ならそれは、猛悪大破顔する不動明王でしょう。
おわかりでしょうか?
悪魔とは自由そのものなのです。
それを律する心のないものにとっては、それはすべて悪魔です。しかしそうでないものにはそれは「限りなき自由」です。
自由とは何でも有りではない。
間違うとそれは世界を滅ぼす猛悪大魔神=転輪聖王になる。
それがトランプなんじゃないですか?
あきらかにそれを選んだアメリカ人が処分すべき猛悪ですね。
はやく消しなさい。でないとあれは世界を暗黒へ導くスサノヲ、斉天大聖孫悟空と成長し、世界の秩序、宇宙の摂理を打ち壊すデビルをなるであろう。
はやく、はやく・・・・・・・・・・・・