邪馬台国関係メモ・人名・清水風遺跡・纒向・箸墓4世紀
あくまでもメモである。また説は仮説である。このブログの過去記事のすべても仮説のメモである。それらの走り書きや天啓やメモや仮説が、もし後世当たっていたことがひとつでもあったら、筆者は墓石の中でにやりと笑うだろう。古代史なんぞはそういう類の楽しい空想でできている。小林行雄などはきっとそのとき、墓の中で泣くことだろう。帥(漢・スイ...
View Article邪馬台国関連メモ その2 万二千里の意味
本日二つ目の記事。あとひとつ書きます。中国で言う「万里」とは?「万里の長城はなぜ「万里」なのでしょうか?『山海経』の世界観では、中国は「方三千里」を前提に、四海(東海・西海・南海・北海)の東西は「二万八千里」、南北は「二万六千里」と考えられていました。」※すなわち『山海経』第五中山経に「天地の東西は二万八千里、南北は二万六千里」とある。『呂氏春秋』審分覧篇には「舟車の通ずる所は方三千里」とあり、また...
View Article邪馬台国関連メモその3 中国発見神獣鏡は斜縁鏡と判明 寺澤の正論
先年中国の市場で売られていた三角縁神獣鏡は、三角縁が高くない古い斜縁鏡だと判明した。(森下章司「銅鏡からみた邪馬台国時代の倭と中国」『纒向発見と邪馬台国の全貌』所収)歴博は理科系分析の矛盾点を無視する。(新井宏『「考古学の論争点」』)纒向弧文や吉備弧帯文には直線はなく、直線と曲線がまじりあうデザインは直弧文である。「弧帯文は直線と曲線を組み合わせて統合することに意味があります。私は直線と曲線は陰陽二...
View Article中国発見の斜縁神獣鏡/三角縁神獣鏡は国産/三段式神仙鏡
森下章司が近年、論考の中で中国で見つかった三角縁神獣鏡が斜縁鏡だったと書いている。斜縁鏡はサイズも14センチ代と、三角縁の平均22センチ強よりもずっとちいさい。中国河南省で露店で売られていたという二級資料でしかない神獣鏡。斜縁神獣鏡と三角縁神獣鏡を、初めて異なる鏡式として分離したのは梅原末治である。その後の分析で斜縁と三角縁では、鉛同位体分析で「三角縁神獣鏡は、斜縁二神二獣鏡よりも庄内・古墳早期(四...
View Article中国さんに言います、霧のロンドンは今は太陽のロンドンに
ぼくたち世代にはイギリスのロンドンと言えば、「霧のロンドン」で、英国紳士は常に黒いこうもり傘を持っている・・・だったわけだが、あの「霧」は実はスモッグで、今ロンドンに行くと、もう太陽サンサンの明るい街になっているって語存知?光化学スモッグの19世紀~20世紀を、ロンドンはクリーン化で変革したってわけ。中国さん、もうそろそろマスクなしで歩ける街に復活させてくださいね。トランプにはそういう部分もちゃんと...
View Article前方後円墳の登場とピコ太郎のアップルペンの飛んでる因果関係 大和説学派への楔
前方後円墳というのはですね、纒向に大きな祭祀都市ができ始めて、わずか2~30年の短い期間に突如登場したんです。それはあとの時代の方墳・上円下方墳への切り替わりよりも劇的な変化でした。いったい近畿で、そのとき何が起きていたのかですね。九州が3世紀前半まで、圧倒的に権威的遺物を持ち、鉄器も、漢鏡も圧倒的な数量を持ちえていた。それが徐々に衰亡していくと、まず吉備・讃岐・阿波を経て大阪湾に池上曽根が登場し、...
View Articleローマ・フロリダ海進及びポストローマ海退に合致する古墳時代寒冷化そして記紀祟り神出現記事
従来、古墳時代(3世紀末~6世紀半ばの設定)は温暖であったと考えられてきた。それは山内清男などが唱えたように、歴史記録に基づいたピアスンの海面変動曲線やC⑭測定法に基づくフェアブリッジの海面変動曲線を参考に、北欧のダンケルク第二海進が日本の3~4世紀にも影響したからだとされてきた。この時期に静岡の登呂遺跡や瓜郷(うりごう)などの遺跡が消えたことや、記録にある倭の五王の治水工事からも正論とされてきた。...
View Article葛野大堰と巴蜀の都江堰 秦氏本系帳が語る秦氏の実態 京都は日本人のふるさとは大間違い
現在の桂川渡月橋の堰。これは段差施設だけで、本来の大堰施設ではまったくない。大堰のスケールはもっと巨大で勇壮である。「京都嵐山を流れている「大堰川(おおいがわ)」は、丹波山地の大悲山付近に源を発する川ですが、嵐山の付近では「大堰川」と呼ばれています。途中でよく名前の変わる川です。水源から亀岡盆地あたりまでは「桂川」、亀岡と京都の間の峡谷は「保津川(ほづがわ)」、渡月橋付近で「大堰川」、そして渡月橋よ...
View Article秦氏「弓月君」の由来解明
これまで秦氏の伝説上の祖神である弓月君(ゆつきのきみ、ゆんずのきみ)についてはいくつかの自説を書き並べてきたが、筆者自身、いまひとつ納得がいかないところもあった。今回、かなり納得できる説が見つかったので書き留めておく。弓月を、これまでは月読神=王家、太子の影の存在としての秦氏として、彼らの大元が蜀の西にあったインド・スキタイ系国家の月氏国などとする意見があった。それはそれとしておいておくが、どうもな...
View Article愛宕・おたぎ地名由来・愛宕山は火打石の産地ではない
「あたご」地名を再考する。 愛宕山 Atago-Yama は、 京都市右京区嵯峨愛宕町にある。嵯峨野つまり旧葛野郡(右京区)よりかなり北の奥地になる。古代にはここは愛宕(おたぎ)郡になる。...
View Article恭仁京と秦氏、長岡京と秦氏・・・追われた秦氏について
恭仁京と秦氏、長岡京と秦氏・・・追われた秦氏についてを次に書きますが、それにともない賀茂氏と出雲臣氏について現在調査中であります。数日後に面白い古代史が書けたらと思っています。
View Article時間の神・障碍神のなぜ
障碍神 しょうがいじん。さえぎる神のことです。何をさえぎるのか?心の明暗をでしょうか。マハーカーラ、サトゥリヌス、摩多羅神などがこれでしょうか?大国主、大黒天などもそうでしょうかね?共通点は全世界で一致します。その姿は老年であり、人を喰うということです。災害神です。哲学的になってしまいますが、種は種をつなぐ必要があります。それを「永遠」と申します。...
View Article飛鳥から平安京まで 聖武・桓武の遷都と秦氏・鴨氏・出雲臣氏 北の将来も見えてくる日本古代史
いろいろ考えたあげくだが、結局、いろいろ筆者が仮説を言うよりも、資料から、みなさんがいろいろ想像したほうがいいだろうと結論。...
View Article京都 地名と歴史 羽束師から桂離宮
京都には学生時代から何年も住んだ。卒業後、大阪府の枚方市から八幡市へ移って、10年は大阪で働いたが、その後はずっと京都で働いた。八幡市の木津川沿いに会社があって、向島と桂の支店を管理させていただき、さらに丹後の宮津と西舞鶴、峰山町、兵庫の高砂、岡山にも支店ができて、行動範囲は広がった。八幡市から桂へは、淀川にかかる御幸橋を渡って旧京阪国道京都~守口線を利用した。向島へは木津川の背割り堤から東一口(い...
View Articleずぼらを決め込んでいたら宿題が山ほどできてしまった・金正男事件の真相、日本史最大のスキャンダル平安時代の『日本書紀』改ざん
京都の地名と歴史をたどっていこうと、じっくり長考に入り、まあ、そのうち書けばいいか、春だもの・・・なんてずぼらかっこいていたら、この二週間で、いろいろな興味深い、推理趣味をくすぐる大きな問題が現代、古代、日常の季節の移り代わり、さらに著名人の死などのニュースに埋没させられてしまっていた。なにより古代史では、新発見の巨大方墳・小山田古墳の被葬者は誰か?が話題になり、現代のニュースでは金正男氏暗殺の裏側...
View Articleやっぱり来ました地震
福島で大きな揺れが来たので、こっちにも来るなと昨日思っていたら、やはり来た。どうやらやはり、地震の揺れは一定の法則で玉突き現象を起こすようだ。我が意を得たりだった。震度4~3日向灘沖。
View Article京都 地名と歴史2 一口から観月橋・桃山御陵
八幡市から向島、桃山御陵へ行くには、京阪国道(旧国道1号線、現在は国道13号線)の八幡御幸橋を渡って背割堤(せわりてい)を左に見て木津川、あるいは少し先の宇治川の土手を右折し、土手を東へ進めば東一口(ひがしいもあらい)に達する。そこはかつての巨椋池(おぐらいけ)湿地帯の西の端である。御幸(ごこう)橋は後村上天皇行宮跡碑から考えて、おそらく天皇の岩清水八幡宮行幸のためにかけられた橋であろうと思うが、記...
View Article葛野大堰のあった位置とその構造
定説では葛野大堰のあった場所は桂川の渡月橋の東側沿岸だろうとされている。しかし筆者は最近、近所の大分川に作られている堰を歩いてみた。上流部分に段差堰があり、これで水流を弱め、川の真ん中の埋め立てた大きな洲によって水を二つに分け、手前の支流へ弱めた水をいざなう。そこに取水口を設けて土手下にある農地に水路で水を送り込んでいた。この構造は、河川の流れに逆らわない構造で、引き込んだ支流は写真手前で本流に戻る...
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