日本は世界最大のポピュリズム国家である。
「政府は31日、戦前・戦中の教育勅語を学校教育で使うことについて、「勅語を我が国の教育の唯一の根本とするような指導を行うことは不適切である」としたうえで、「憲法や教育基本法等に反しないような形で教材として用いることまでは否定されることではない」との答弁書を閣議決定した。民進党の初鹿明博衆院議員の質問主意書に答えた。」
教育勅語前半そのものには、実は特に右よりなことは書かれてはいない。
問題は後半の
「万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ」
の部分だけである。
明治天皇がこれを語られた、言われたとして、それを強制的に押し付けた軍部の洗脳にあった。
教育勅語現代語訳(Wiki)
「朕(明治天皇)が思うに、我が御祖先の方々が国をお肇めになったことは極めて広遠であり、徳をお立てになったことは極めて深く厚くあらせられ、又、我が臣民はよく忠にはげみよく孝をつくし、国中のすべての者が皆心を一にして代々美風をつくりあげて来た。これは我が国柄の精髄であって、教育の基づくところもまた実にここにある。
汝臣民は、父母に孝行をつくし、兄弟姉妹仲よくし、夫婦互に睦び合い、朋友互に信義を以って交わり、へりくだって気随気儘の振舞いをせず、人々に対して慈愛を及すようにし、学問を修め業務を習って知識才能を養い、善良有為の人物となり、進んで公共の利益を広め世のためになる仕事をおこし、常に皇室典範並びに憲法を始め諸々の法令を尊重遵守し、万一危急の大事が起ったならば、大義に基づいて勇気をふるい一身を捧げて皇室国家の為につくせ。かくして神勅のまにまに天地と共に窮りなき宝祚(あまつひつぎ)の御栄をたすけ奉れ。かようにすることは、ただに朕に対して忠良な臣民であるばかりでなく、それがとりもなおさず、汝らの祖先ののこした美風をはっきりあらわすことになる。
ここに示した道は、実に我が御祖先のおのこしになった御訓であって、皇祖皇宗の子孫たる者及び臣民たる者が共々にしたがい守るべきところである。この道は古今を貫ぬいて永久に間違いがなく、又我が国はもとより外国でとり用いても正しい道である。朕は汝臣民と一緒にこの道を大切に守って、皆この道を体得実践することを切に望む。」
「松野博一文部科学相は31日付の官報で、小中学校の新学習指導要領と幼稚園の新教育要領を告示した。改訂案にパブリックコメントで寄せられた意見を踏まえ、「聖徳太子」などの歴史用語を従来の表記に戻す異例の修正をした。」
「聖徳太子」には数千件の意見があった。改訂案では、学会などでのこれまでの歴史研究の成果を踏まえて「厩戸王(うまやどのおう)」との併記にしたが、「歴史教育の連続性がなくなる」などの批判が相次ぎ、元に戻した。文科省教育課程課は「我が国が伝えてきた歴史上の言葉を次の世代に伝えていくことも重要」と説明する。
改訂案については、保守系の「新しい歴史教科書をつくる会」が「聖徳太子を抹殺すれば、古代史のストーリーはほとんど崩壊する」などと批判。意見を送るよう会員らに働きかけていた。同会は修正を「大勝利」としている。」
「このほか「学校や地域の実態に応じて種目が選択できるよう」として、中学の武道に新たに「銃剣道」を加え、武道9種目を示した。」
銃剣道とは?
簡単に言えば「銃剣」を使って「敵を殺すための格闘技」である。軍隊の格闘技。戦前の日本軍が、フランス式銃剣術と、日本の武道を合わせて、日本人にやりやすくした軍事教練の一種。それを今度から小学校や中学校で教えるようになったそうである。戦前で言うならば竹やり、なぎなた、匍匐前進などといった軍事教練と教育勅語、『日本書紀』皇国史観の叩き込み、刷り込みはセットの国民洗脳方法である。
武器である軍用銃(剣付きライフル銃)を模した「木銃」を使う人殺し格闘技それが銃剣道。実践的敵殺傷術である。それがあなたのお子さんに教え込まれるようになった。
記紀皇国史観で最大のキーワードが「聖徳太子」である。この創作された聖人こそは、『日本書紀』において、「飛鳥の大和朝廷」とそれ以前の別系統の王朝とをつなぐ創作人物といえば、まず崇神、応神、継体天皇、そして聖徳太子であった。
そして太子はさらに、蘇我王朝と飛鳥王朝をもつないだ血脈の人でもあり、それゆえにこそ、惨殺された怨霊になるべき蘇我入鹿の霊魂を鎮めるためにのちに創り出された聖人でもあった。つまり蘇我氏の血を引く(母方が蘇我氏)聖徳太子を入鹿の怨霊の押さえとして創作したのが『日本書紀』であった。
しかし多くの民族主義者にとって、聖徳太子がいなかったことになれば、記紀皇国史観の根本である、万世一系の天皇家理論は崩壊することとなるので、戦後から長年、その復権を望んでいた。
聖徳太子の軍神としてのイメージは、天智天皇が白村江の戦い以来、国家一丸となるために作り出したイメージでしかなく、その後、これを持統女帝、藤原光明子らが聖人化。それは修験道によって民間にまで普及し、花祭りに空海=弘法大師を祝う「お大師信仰」へ神仏混交していった。これは明治政府以来の皇国史観が関与していたことは否めまい。無知な民衆をコントロールするための傀儡が聖徳太子であったことは間違いない。その意味で太子は、死んでなお、いや死んでいるからこそ、軍事上のアイドルになった王族(厩戸)だったわけである。
「聖徳太子を抹殺すれば、古代史のストーリーはほとんど崩壊する」
「あたらしい教科書を作る会」のこの言葉は、裏を返せば、つまり「『日本書紀』の言う日本古代史のほとんどは作り事の嘘八百だ」という意味になる。まさに記紀は皇国史観の絵空事を言うがために造られている。だがそこには、それを言うがために引用されている歴史の真実もちゃんと存在する。利用された記事の真偽を見分けることができない民衆は、容易に軍部によって感化できる。つまり馬鹿は、だましやすい。だから政府は国民を馬鹿にしていきたいモノなのである。国民も天皇も傀儡にしたいのが国家権力である。気をつけろ。
古代、蘇我氏が物部氏を破るために、聖徳太子の四天王寺信仰の存在がかかせなかったと描かれる。秦河勝もその軍神四天王のひとりだった。絵に描いたような有事の思想である。
いま、TVニュースはくだらない事件でにぎわっているけれど、例えば森友学園問題の背景に見え隠れする学校の右傾化の背景に実は安倍政権のポピュリズムがあることをマスコミは言いたがらない。政治権力に煙たがられることをマスコミ、ジャーナリズムは畏れてきた。今もそうだろう。安倍政権の支持率が上がることは、そのまま、日本に軍靴の音が近づくことになり、徴兵制の復活が近づくことになるだろう。
海外のポピュリズム(民族主義・国粋主義・極右思想)がにぎやかだが、実は、世界で最も静かに、早く右へ向かっている国は日本なのである。