山桜が散るころにソメイヨシノは満開を迎える。
花さそう 嵐の庭の雪ならで 散り逝くものは わが身なりけり 入道前太政大臣
入道前太政大臣は
西園寺 公経(さいおんじ きんつね)
平安時代、藤原北家一門の公卿であった。
この「嵐」とは当然春の嵐の緑風であろう。
花を、おしみなく散らし、肩にひとひらの花びらを残しつつ、去ってゆく。
これを青嵐と言う。
山桜は染井より早く咲き、人知れず去ってゆく。そのなりわいに読み手は「散り行くものはわが身」さながらだと、人生のはかなさを託している。
平安のころにソメイヨシノはもちろんまだない。
桜と言えば山桜だ。
山を一面に染めるその姿態は、どこかしらなまめかしい。
春はなまめかしく、そしてどこかしら妖艶である。
そお生命力の中で、ひとひらの花びらを身にまといつつ、作者は散ってゆこうとしている。
所詮、人は骨蓋。むくろを隠して生きていくもの。
から風の われとわが身を吹き抜けし
ひゅうとぞ抜けし 胸骨(ほね)抜けし
人ははかない。