桜にまつわる奇妙な話を少々・・・。
地主神社「御車返しの桜」
「時は平安の世、嵯峨天皇を乗せた牛車は地主神社へと向かっていた。天皇が皇居からお出ましになることは国の一大事であり、もちろん多くのお伴を従えての「行幸」である。では、なぜ、嵯峨天皇は地主神社への行幸を決意されたのであろうか。
「時は平安の世、嵯峨天皇を乗せた牛車は地主神社へと向かっていた。天皇が皇居からお出ましになることは国の一大事であり、もちろん多くのお伴を従えての「行幸」である。では、なぜ、嵯峨天皇は地主神社への行幸を決意されたのであろうか。
薬子の変。それは、平安京を揺るがした最初の危機であり、嵯峨天皇を苦悩させた骨肉の争いであった。病のために皇位を退いた実の兄を、薬子らが復位させようと企て、平城京への遷都を謀ったのである。花を愛で、詩歌をよくする嵯峨天皇にとって、肉親が謀反にかかわったということは、ことのほかお辛いことであっただろう。
幸いにして、歴史は嵯峨天皇に味方し、その謀反は失敗に終わった。嵯峨天皇がいかなる対処を施したゆえに、平安京を守ることができたのか、史実はそれを伝えてはいない。
しかし、地主神社には、ひそかに語り伝えられている物語がある。坂上田村麻呂との出会いである。このめぐりあいによって、平安京は都の姿をとどめ、様々な王朝文化を育んだのだ、と。」
「再び、京の都が落ち着きを取り戻しつつあった811年。嵯峨天皇は、伴の者を引き連れ、地主神社へと行幸されました。神代から鎮守の社として伝わる地主権現に、末永く都の平安を祈ろうとされたのでしょう。
祈願を終え、帰途につこうとする牛車を、嵯峨天皇は二度、三度と引き返らせます。時は春。境内には、地主桜が今を盛りと、一重に八重に咲き誇っていました。」
http://www.jishujinja.or.jp/kigan/en_mikuruma.html
以前すでに書いたことがある桜の話。
嵯峨天皇はこののちに日本最初の花見の宴を思いつく。
いわゆる『日本後記』にある「神泉苑花見の宴」である。
そのきっかけが上記の地主神社(じしゅじんじゃ)での山桜との出逢いであった。
その故事を真似て、のちに秀吉が「醍醐の花見」をとりおこなうのかと思える。
嵯峨天皇は桓武の子。
京都では平安京開闢の祖である桓武よりも、花をめでるやさしさを持つ嵯峨を好む。
京の春の醍醐味が、まさに桜である。
記事と画像は関係がありません。これは今日の近所のソメイヨシノ。
小泉八雲『乳母桜』
「300年前(現在からでは400年前になろうか)伊予国温泉郡朝美村に徳兵衛という富裕な村長(むらおさ)がおった。
40になっても子供に恵まれなかったが、村の寺の不動明王に願かけて、娘を授かった。
露(つゆ)と名付けられた娘は、お袖という乳母に助けを借りて美しい娘に成長した。
お露は15の歳に、医者が見放すほどの大病を患う。乳母お袖の、21日間に渡る不動明王への祈願で、お露は快復する。その翌日お袖は息を引きとる。
実は、お袖は自身の命と引き換えにお露を助けてほしいと、不動明王に祈願したのだった。願いが叶えられれば、感謝の印として、寺の庭に桜の木1本を植えると約束をしていた。
徳兵衛夫妻は探しつくせる限り最高の桜の若木を植樹した。その桜は250年間毎年、2月26日に美事な花を咲かせ続けた。2月26日はお袖の祥月命日である。 」
梶井基次郎「桜の樹の下には」
「桜の樹の下には 屍体(したい)が埋まっている!
これは信じていいことなんだよ。 何故(なぜ)って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて信じられないことじゃないか。俺はあの美しさが信じられないので、この二三日不安だった。しかしいま、やっとわかるときが来た。桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことだ。
どうして俺が毎晩家へ帰って来る道で、俺の部屋の数ある道具のうちの、 選(よ)りに選ってちっぽけな薄っぺらいもの、安全剃刀の刃なんぞが、千里眼のように思い浮かんで来るのか――おまえはそれがわからないと言ったが――そして俺にもやはりそれがわからないのだが――それもこれもやっぱり同じようなことにちがいない。
いったいどんな樹の花でも、いわゆる真っ盛りという状態に達すると、あたりの空気のなかへ一種神秘な雰囲気を撒き散らすものだ。それは、よく廻った 独楽(こま)が完全な静止に澄むように、また、音楽の上手な演奏がきまってなにかの幻覚を伴うように、 灼熱(しゃくねつ)した生殖の幻覚させる後光のようなものだ。それは人の心を 撲(う)たずにはおかない、不思議な、生き生きとした、美しさだ。
しかし、昨日、一昨日、俺の心をひどく陰気にしたものもそれなのだ。俺にはその美しさがなにか信じられないもののような気がした。俺は反対に不安になり、 憂鬱(ゆううつ)になり、空虚な気持になった。しかし、俺はいまやっとわかった。
おまえ、この 爛漫(らんまん)と咲き乱れている桜の樹の下へ、一つ一つ屍体が埋まっていると想像してみるがいい。何が俺をそんなに不安にしていたかがおまえには納得がいくだろう。
馬のような屍体、犬猫のような屍体、そして人間のような屍体、屍体はみな 腐爛(ふらん)して 蛆(うじ)が湧き、 堪(たま)らなく臭い。それでいて水晶のような液をたらたらとたらしている。桜の根は 貪婪(どんらん)な 蛸(たこ)のように、それを抱きかかえ、いそぎんちゃくの食糸のような毛根を 聚(あつ)めて、その液体を吸っている。
何があんな花弁を作り、何があんな 蕊(しべ)を作っているのか、俺は毛根の吸いあげる水晶のような液が、静かな行列を作って、維管束のなかを夢のようにあがってゆくのが見えるようだ。
――おまえは何をそう苦しそうな顔をしているのだ。美しい透視術じゃないか。俺はいまようやく 瞳(ひとみ)を据えて桜の花が見られるようになったのだ。昨日、一昨日、俺を不安がらせた神秘から自由になったのだ。
二三日前、俺は、ここの 溪(たに)へ下りて、石の上を伝い歩きしていた。水のしぶきのなかからは、あちらからもこちらからも、薄羽かげろうがアフロディットのように生まれて来て、溪の空をめがけて舞い上がってゆくのが見えた。おまえも知っているとおり、彼らはそこで美しい結婚をするのだ。しばらく歩いていると、俺は変なものに 出喰(でく)わした。それは溪の水が乾いた 磧(かわら)へ、小さい水溜を残している、その水のなかだった。思いがけない石油を流したような光彩が、一面に浮いているのだ。おまえはそれを何だったと思う。それは何万匹とも数の知れない、薄羽かげろうの屍体だったのだ。隙間なく水の面を被っている、彼らのかさなりあった 翅(はね)が、光にちぢれて油のような光彩を流しているのだ。そこが、産卵を終わった彼らの墓場だったのだ。
俺はそれを見たとき、胸が 衝(つ)かれるような気がした。墓場を 発(あば)いて屍体を 嗜(この)む変質者のような残忍なよろこびを俺は味わった。
この溪間ではなにも俺をよろこばすものはない。 鶯(うぐいす)や 四十雀(しじゅうから)も、白い日光をさ青に煙らせている木の若芽も、ただそれだけでは、もうろうとした心象に過ぎない。俺には惨劇が必要なんだ。その平衡があって、はじめて俺の心象は明確になって来る。俺の心は悪鬼のように憂鬱に渇いている。俺の心に憂鬱が完成するときにばかり、俺の心は 和(なご)んでくる。
――おまえは 腋(わき)の下を 拭(ふ)いているね。冷汗が出るのか。それは俺も同じことだ。何もそれを不愉快がることはない。べたべたとまるで精液のようだと思ってごらん。それで俺達の憂鬱は完成するのだ。
ああ、桜の樹の下には屍体が埋まっている!
いったいどこから浮かんで来た空想かさっぱり見当のつかない屍体が、いまはまるで桜の樹と一つになって、どんなに頭を振っても離れてゆこうとはしない。
今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が 呑(の)めそうな気がする。」
春、桜満開
桜には奇妙な話がいくつもまつわる。
怖い花でもある。
願わくば 花の下にて 春死なん その望月の如月の頃 西行法師
如月の二月に咲く花は山桜である。
もちろん現代の二月ではない。
きさらぎは旧暦二月。
きさらぎとは、更に衣服を重ねねば最も寒い二月は過ごせないという言葉だ。
着更着
なんともゆかしき表現である。
現代、ソメイヨシノは弥生三月の花だとされるが、実際に満開になるのは、あたたかい九州でも四月初旬である。
ようやく花起こしの雨に誘われ、
近所の桜が咲きそろってきた。
ソメイは、すべてがいっぺんに咲かねば、
その美しさはわからない。
いちどきに咲き、いちどきに散る。そこがため息を誘う。
もし桜が椿のように首ごと落ちる花だったら、
これほどに日本人の心をつかむことはなかっただろう。
肩にひとひら 花の散る
まさに春。
日本の春。
できるなら いくさに桜 持ち来るな
その散る様は ゆかしさなれば