先日、ここで弥生時代末期3世紀時代の寒冷化について書いた。しかし実はそれよりも大幅に気温が低下し、小氷期になった時代がある。日本の戦国時代である。
火山の大爆発からはじまる寒冷・乾燥化
火山爆破は大量の火山灰と硫酸エアロ・ゾルを大気中にばらまき
太陽を覆い隠すことで急速な地球冷却を引き起こすのだ。
図右側、1400~1800年にかけて小氷期があった。Kawakatu作成
「戦国時代は小氷期の到来と一致しており、一部識者はこの寒冷化による農作物の減少が戦国時代の原因という説を発表している[7][8]。東日本を中心にたびたび飢饉が発生し、これを原因とする農村での一揆の頻発は幕府体制の崩壊の一因となった。そして自国の領民を救うには他国の富・食糧を奪う必要が生じてそれが戦乱を生んだという見方もある。」Wiki戦国時代「経済と社会」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3_(%E6%97%A5%E6%9C%AC
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E5%9B%BD%E6%99%82%E4%BB%A3_(%E6%97%A5%E6%9C%AC
※脚注
〔7〕 「戦国時代は寒冷化による食料争奪サバイバル戦争だった 」 日経ビジネスオンライン 2009年9月11日
該当記事日経ビジネスオンライン http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090911/204592/
下記事に無料公開されている記事中の該当部分を抜粋添付
〔8〕 「平安、戦国の動乱「寒冷」が一因?」 読売新聞朝刊 2016年11月9日
該当記事読売プレミアムhttp://archive.fo/mmUVz
該当記事読売プレミアムhttp://archive.fo/mmUVz
日経ビジネスオンライン脱常識の世界「戦国時代は寒冷化による食料争奪サバイバル戦争だった」
「歴史上、日本社会を大きく揺るがしたのは、15世紀後半の応仁の乱から17世紀初めの江戸幕府成立までの、約1世紀半にわたる戦乱の時代である。映画、TVドラマや小説では、この時代が最も人気がある。
「歴史上、日本社会を大きく揺るがしたのは、15世紀後半の応仁の乱から17世紀初めの江戸幕府成立までの、約1世紀半にわたる戦乱の時代である。映画、TVドラマや小説では、この時代が最も人気がある。
しかし、なぜこのような長期の戦乱時代が到来したのか、説得力のある説明は、学校の歴史の授業も含めて、これまでなされてこなかったように思う。きっかけは、室町将軍の権威失墜を背景として、山名宗全と細川勝元の私闘だったとされて、物語的な経緯は多く語られているが、マスの力学としての社会科学的な説明はあまり聞いたことがない。
ところが近年、日本中世史家の藤木久志氏(立教大学名誉教授)は、15世紀に入って天候不順が続き気温が低下した結果、全国各地で飢饉が頻発し、食い詰めた農民が流民となって京都に大量に流入してきたことを戦乱時代のきっかけと指摘している。
鎌倉・室町時代前半までは、3~5年に1回程度発生した飢饉は、応仁の乱前後以降は、2年に1回の頻度で発生したとしている。応仁の乱の直前には、「京都内の餓死者8万人以上」とも言われている「寛正の大飢饉」が発生している。これらの各地からの飢饉流民は、やがて雑兵・足軽となって各勢力に組み込まれ、次第に不穏な情勢が醸し出されたとしている。 」
http://business.nikkeibp.co.jp/article/topics/20090911/204592/?P=2
関連
戦国時代と小氷期を論じるおすすめ詳細傑作サイト
世界史のなかの戦国時代〜異常気象 小氷河期が戦乱を生んだ - 田家康(日本気象予報士会東京支部長)http://blogos.com/article/164537/
世界史のなかの戦国時代〜異常気象 小氷河期が戦乱を生んだ - 田家康(日本気象予報士会東京支部長)http://blogos.com/article/164537/
ここに鎌倉~戦国時代の気候変動がもたらす二毛作の発展というきざしが書かれている(下に一部抜粋して添付)。品種改良や二毛作の発明が起こるのは、そもそもこの時期の気候環境が悪化し始めていたからと考えていいだろう。はじまりは火山噴火の頻発である(弥生の寒冷かもそうだった)。鎌倉時代に元寇も起きているので、世界的に寒冷化が始まったと思える。その後室町末期には応仁の乱が勃発、土一揆の頻発。こうした中で室町幕府は崩壊し、いよいよ寒冷化は深刻に。
おすすめサイトの該当記事切り抜き
「1440年代から1480年代にかけて、大きな火山噴火が少なくとも7回発生している。とりわけ、1452年から1453年にかけて南太平洋のバヌアツ共和国の海域で噴火したクワエ火山の規模は巨大であった。1815年に欧米に「夏のない年」をもたらしたタンボラ火山と同程度の量の硫酸エアロゾルが噴き上がったという説もある。さらに、1580年代から1600年にかけても火山噴火が頻発した。南太平洋ブーゲンビル島のビリー・ミッチェル火山、インドネシア・ジャワ島のラウン火山、そして1600年にペルーのワイナプチナ火山が噴火した。いずれも巨大火山噴火に分類される。
「1440年代から1480年代にかけて、大きな火山噴火が少なくとも7回発生している。とりわけ、1452年から1453年にかけて南太平洋のバヌアツ共和国の海域で噴火したクワエ火山の規模は巨大であった。1815年に欧米に「夏のない年」をもたらしたタンボラ火山と同程度の量の硫酸エアロゾルが噴き上がったという説もある。さらに、1580年代から1600年にかけても火山噴火が頻発した。南太平洋ブーゲンビル島のビリー・ミッチェル火山、インドネシア・ジャワ島のラウン火山、そして1600年にペルーのワイナプチナ火山が噴火した。いずれも巨大火山噴火に分類される。
シュペーラー極小期という太陽活動の低迷と相次ぐ巨大火山噴火が、どのように気候に影響したのだろうか。図3は日本、台湾、中国などから採取した年輪から、東アジアの夏の平均気温の推移を表したものだ。1420年代以降に気温が急落し、数年程度で激しい上下動はあるものの、前後の年代ほど温暖に揺れ戻すことなく、16世紀初頭まで総じて寒冷傾向が続いたことがみてとれる。そして、1540年代に10年程度持ち直したものの、再び16世紀末に向けて平均気温は低下している。
以上が、古気候学の最新の研究成果だ。それでは、これらの科学的知見をもとにして、室町時代における社会の変容を振り返ってみたい。
飢饉が引き起こした土一揆
1420年代から、冷夏・長雨による飢饉の記録が増えてくる。室町時代前期にあたる1330年代から1420年までの約90年間で冷害・長雨に由来する全国的な飢饉は1356年、1390年、1406年の3回しか起きなかったのに対し、シュペーラー極小期に相当する1420年代から1530年代の約110年間で11回発生している(表1)。日本の農業の歴史を振り返ると、灌漑設備や水利管理の充実によって干ばつ対策は進んできた。しかし、冷害には脆弱であり、この課題は今日でも引きずっている。 まず1423年に京都、越中、山城、大和で、そして1427年に、京都、会津、武蔵、下野、伊勢、丹波、豊前と各地に長雨や洪水の記録がある。1428年前半に三日病とよばれる疫病が発生し、応永から正長へと改元した理由となった。
1420年代から、冷夏・長雨による飢饉の記録が増えてくる。室町時代前期にあたる1330年代から1420年までの約90年間で冷害・長雨に由来する全国的な飢饉は1356年、1390年、1406年の3回しか起きなかったのに対し、シュペーラー極小期に相当する1420年代から1530年代の約110年間で11回発生している(表1)。日本の農業の歴史を振り返ると、灌漑設備や水利管理の充実によって干ばつ対策は進んできた。しかし、冷害には脆弱であり、この課題は今日でも引きずっている。 まず1423年に京都、越中、山城、大和で、そして1427年に、京都、会津、武蔵、下野、伊勢、丹波、豊前と各地に長雨や洪水の記録がある。1428年前半に三日病とよばれる疫病が発生し、応永から正長へと改元した理由となった。
1428年には、京都、会津、下野、武蔵、伊勢、丹波、豊前で飢饉が発生した。そして同年8月、正長の土一揆が勃発するのだ。興福寺別当の尋尊が編集した『大乗院日記目録』には、「天下の土民蜂起す。徳政を号して、酒屋、土倉、寺院等を破却し、雑物等を恣にこれを取り、借銭等を悉く破る。管領これを成敗す。凡そ亡国の基であり、之に過ぐるべからず。日本開闢以来、 土民蜂起の初めなり」と書かれている。もともと農業生産を向上させるための鉄製農具や農耕馬が、農民叛乱において武器と化していった。
1437年から2年続きの飢饉が発生し、嘉吉の徳政一揆の遠因となる。1441年6月に足利義教が赤松満祐によって暗殺されると、新しい将軍はまず善政を示すべきとして、借入金の返済を見直す「代替りの徳政」を求める声が高まった。9月に入って、一揆の軍勢は近江から京都に乱入したのだ。室町幕府は、正長の土一揆では拒否した徳政要求に屈し、閏9月10日に徳政施行を発した。
1445年から1446年にかけても、洪水は加賀、能登、近江で起き、京都で「止雨奉幣」が祈られた。そして、1447年(文安4)に諸国の牢籠人が洛中に集まり、暴徒や悪党と結託して文安の土一揆が発生した。・・・・以下略 」同上おすすめサイトより
このサイトの主な参考文献
池上裕子「戦国の村落」(『岩波講座日本通史』第10巻所収)、岩波書店、1994年。
神田千里「土一揆像の再検討」(「史学雑誌」第110編第3号)、2001年。
鬼頭宏『図説・人口で見る日本史』、PHP研究所、2007年。
久留島典子『一揆と戦国大名』、講談社、2001年。
田村憲美「自然環境と中世社会」(『岩波講座日本歴史』第9巻所収)、岩波書店、2015年。
藤木久志『豊臣平和令と戦国社会』、東京大学出版会、1985年。
藤木久志『新版・雑兵たちの戦場』、朝日選書、2005年。
山根1郎『日本の自然と農業』、農山漁村文化協会、1987年。
湯浅治久「惣村と土豪」(『岩波講座日本歴史』第9巻所収)、岩波書店、2015年。となっている。
池上裕子「戦国の村落」(『岩波講座日本通史』第10巻所収)、岩波書店、1994年。
神田千里「土一揆像の再検討」(「史学雑誌」第110編第3号)、2001年。
鬼頭宏『図説・人口で見る日本史』、PHP研究所、2007年。
久留島典子『一揆と戦国大名』、講談社、2001年。
田村憲美「自然環境と中世社会」(『岩波講座日本歴史』第9巻所収)、岩波書店、2015年。
藤木久志『豊臣平和令と戦国社会』、東京大学出版会、1985年。
藤木久志『新版・雑兵たちの戦場』、朝日選書、2005年。
山根1郎『日本の自然と農業』、農山漁村文化協会、1987年。
湯浅治久「惣村と土豪」(『岩波講座日本歴史』第9巻所収)、岩波書店、2015年。となっている。
画像は最上段以外はすべて上記サイトより 田康家さん、ありがとうございました。
戦国時代が始まった最大の原因を、一般歴史学ではこれまで、人的な解説にとどめてきたが、そもそも究極的にはやはり気候・環境が悪化こそが、すべての時代の変動・転換期に最初の影響を与えたといわざるを得ない。サッカーでいうところの「攻撃の起点」にあたるのが、常に火山活動であり、それにともなった何年か後の気候変動あるいは地震活動であると言える。
これまでの、信長のそれまでの武士団にはなかった、冬季の農閑期の侵略を、普通は、信長が初めて農民をプロの殺人集団へ変革したことからだと説明してきたが、そもそもこの小氷期には、稲作は壊滅的だったのであり、小麦、あわ、ひえしか手に入らなくなった農民は食い詰め、行き場を失っていたのだ。それゆえに信長のいくさへの参加要請はむしろ公共事業とも言えるもので、食い詰め農民は非常に助かったことになる。以後、足軽は秀吉、家康らの戦力の大部分を占めることになった。この流れが、江戸幕府での下級武士(土佐で言う下士)の武家最下層での行き詰まりを生むのが幕末であり、それこそが明治維新の石づえであったのは皮肉な結果であろう。
次回記事で、大阪の縄文海進時代前後までの流れを図説するが、こういうダイナミックな大地の変化も、やはり気温の上下動が基点として存在したわけで、人類は、その進化と移動のすべてを地球のダイナミズムによって左右されてきたわけである。まさにそれこそが人類史のみならず、生物進化史そのもだといってもいい。それは実は今も変らずわれわれを動かしている。現代の紛争時代も、あるいは世界大戦時代の流れもみな、きっかけは気候変動、乾燥化、それによる資源の枯渇、そのために環境悪化時代ほど人類はむしろ新しい科学技術で発展したのである。これはひとつの真理であろう。戦争は兵器を開発させ、寒冷化は資源をよりいっそう使わせ、経済は上昇したのである。
話は少し違うが、日本の歌謡曲・POPSは、平和な時代ほど暗くゆっくりした曲が流行り、政情不穏な戦争時代ほど明るいマーチが流行るというセオリーがある。同じように人類の進化や発展も、劣悪な時代ほど起こっているのである。これこそがアウフヘーベン(止揚 独哲学用語)であろうか?
戦争と平和と言う相反する現象が、交代しながら人類史上に現れ、その交差する時代に、ある種の止揚は起こっている。苦しさを乗り越えて人類が生き残ってきた最大の原因こそがこれだ。逆境を逆転させることが人類を、アフリカでの気温上昇による砂漠化や氷期を乗り越えさせた。それはつまり生物すべてが持っているサバイバルに立ち向かい生き残り、子孫を残そうとする意思だ。その意思を生み出すものは何か?
それは宇宙の意思であろう。
古代人はそれを神と呼んだ。