宗教学の大家がよく書いていることに、「宗教や信仰を分析して本を書くけれど、何を勘違いするのか、私がなんらかの宗教や信仰を信じている人だと考えるらしく、ああだこうだと教祖のように言ってくる人がいる。特定の信仰心、宗教があったら分析などできなくなってしまう。むしろ私は無信仰、無信心な人間である。」がある。
まったく同じことで、古代史研究、民俗学にはかかせない被差別や部落の分析・歴史、サンカ、漂泊民、賎民の歴史についてなどここに書くと、まるでそれだけで私が差別主義者のように考えて、家に「差別はやめましょう!」なんぞというチラシを入れてくる馬鹿者がいる。まことに哀れで、文章を読む力のない、小学生のようなやからである。誰かを差別していたら分析なんかできなくなる。むしろ私は差別しない人間だし、もちろんそういう世界とも無縁な生まれである。
勉強ができないのか知らないが、学問と実行を完全に取り違え、みそもくそも一緒にして、少しでもそのような書き込みがあれば、すべてを差別だと思ってしまうらしい。そういう奴がいるために、この手の貴重な学究は、仕方なく手を引くしかなく、一向に解明されてこなかった。つまりそういう連中は、学問の敵である。
おそらく社会主義者か人道主義者、あるいは偽善者であろう。だから哀れむことにしている。
秦氏の分析をすると、日本は秦氏が作ったのか?とか、天皇って秦氏なのか?とか聴いてくるやからもいる。これも哀れなやからで、迷惑千万である。
さらに題名に「民族学」とあるので、こいつは民族主義者の右翼だろうと思うのか、そういうやからも書き込みしたがった時期がある。特に夏休みになると、おばかの書き込みがくる。要するに長期の休みで暇が出来て、にわかネット検索をすると、よくここがひっかかるから、自分と同じ種族だと思うのか、寄ってくる。たかってくる。夏のハエみたいなぽっと出のコメンテーターである。
要するに、ネットは双方向なので、テレビより物が言える。それが面白いからたかってくる。そういう安近短な、自分では何一つ調べようともしない、思いつきと偏って狭い、未経験な小学生程度のおつむのやつらがネットには蔓延しているので、初心者には非常に危険なハーレムだと言える。
で、このブログには、そうした中にあって、ほとんどそういう書き込みがない状態に見えていると思う。やから小学生知能なコメントはすぐに消すからだ。管理がいいのである。つまりそれはべたつきでやってるからだ。ひまなのだ。私自身が。現役を退いているからだ。自分がおばかだ、無知だ、青二才だ、やからだ、小学生頭だ、自己中心だ、カルト宗教者だと気がついていない人々はどんどん排除してきた。2チャンネル染みた、日本人が最高だみたいな勘違い民族主義者や、右翼、左翼、あるいは心霊現象や超自然現象にどっぷりはまり込んでしまったヤオイストたちや、ムー信奉者、たま書房信奉者たちよ、ここはおまえたちが来るところじゃない。ここはまっとうなかたぎの衆がくるところだ。おとといきやがれである。
それから偏狭な郷土史しか興味のないひまなご老人にも用はない。帰れ。あなたの郷土自慢にまったく興味はない。
そしてこれは非常に申し訳なく思うことだが、とてもよいブログをおつくりになっている、まともな思考の肩でも、高齢者であったときには、すまないことだが、やがて来る別れのときが寂しすぎるから、あえて友人関係を断ち切ったケースもある。それは実は心残りで、たまにこそっと見に行くだけにしている。
ぼくが実生活でも友人を切ったり、つくらない理由もこれである。互いに歳を重ねると別れが怖いからだ。
許されたい。
ぼくが実生活でも友人を切ったり、つくらない理由もこれである。互いに歳を重ねると別れが怖いからだ。
許されたい。
自分はひとり遊びが好きである。
子供の頃からそうだった。
そのほうが悲しい別れが少なく出来る。
書き忘れ。Kawakatuのネームを使ってSNSなどやってる人もいるらしいが、文章表現に違いがありすぎてみえみえゆえ、やめたほうがいい。私は今、ブログ以外は持っていない。
またぼくの悪口やちくりは、そのほうがファンが増えるだけ。