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ビタミンとオリザニン 鈴木梅太郎

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鈴木梅太郎という植物学者をあなたはご存知ですか?
小学生の頃、筆者は、学研の雑誌「科学」でこの人を知った。
米に含まれる、つまり英米で言うビタミンB1を、世界で最初に米糠から抽出し、分析した日本人である。

米には、全穀物で最も多くのビタミンが含まれている。いわば、主食にするには栄養過多な穀物である。だからかつて「脚気 かっけ」という白米病すら生んだ。




鈴木はその脚気の根治をめざして米を分析し始める。そして米=オリザに含まれるオリザミン過多こそが脚気の大元と気がついた。

しかし時の軍部の最高軍医が、あの森鴎外だったことで、彼の分析は日陰の存在に。なぜなら森も同じ科学者で、当時の主流は脚気には、米はむしろ特効薬というのが権威的意見であった。しかし鈴木の新説は、その米そのものの栄養価こそが、栄養過多の大元であるとしたために、当然、学会では無視される。なにしろ軍部が正しいとしたならば、それは暴論でしかない。まさに植物学会・栄養学のガリレオである。


オリザは稲のラテン語である。
考古学では、その米の炭化した残留物からオパールによく似た外見のプラント・オパールが見つかることがある。最古は縄文時代の土器から出ている。
このプラント・オパールの形状は、顕微鏡で非常に見分けやすい、分銅の半分にしたような形である。あるいはとうもろこしの粒にも似ている。

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玄米食の危険
玄米は白米よりも体にいい・・・一般的にはそういわれているが、危険なこともある。妊婦は食べないほうがいい。鉄分吸収を阻害したり、消化不良、人によってはアレルギーも引き起こす。発芽期玄米は猛毒を持つ・・・




中国の国営通信、新華社は22日、中国の長江(揚子江)下流の新石器時代の上山遺跡(浙江省浦江)から、約1万年前の世界最古の栽培稲のもみ殻が見つかった、と伝えた。新華社電によると、これまで最古の栽培稲は長江中流の遺跡などで見つかった8000年前のものとされており、稲作の起源はさらに約2000年さかのぼることになる。 http://www.tamagawa.ac.jp/sisetu/kyouken/rice/china05.1.23.html



野生種稲はインドシナ半島で見つかる。中国で古くはイネを禾と書く。
ノギ
禾とは、稲穂のとがった細長いひげをあらわすので、古代の稲のノギが麦のように長かったことがわかる。その品種は縄文時代の日本で見つかり、陸稲種である。現代のジャポニカ稲=水稲は品種改良でひげが短く、自然に抜けることもない。

現在日本最古の稲の痕跡は縄文時代 前期の岡山県朝寝鼻移籍から発見された稲独特の細胞「プラントオパール」だが、最古の栽培が岡山であったという証拠にはならない。米だけを半島から持ち帰ったかも知れない。日本最古の栽培遺物は佐賀県、菜畑遺跡。


2002年に農学者の佐藤洋一郎が著書「稲の日本史」で、中国・朝鮮・日本の水稲(温帯ジャポニカ)のSSR(Simple Sequence Repeat)マーカー領域を用いた調査[19]から、日本の水稲は朝鮮半島を経由せずに中国から直接に伝播したRM1-bが主品種であり、江南ルートがあることを報告し[20]、日本育種学会の追試で再現が確認された[21][22]。さらに、2008年には農業生物資源研究所がイネの粒幅を決める遺伝子「qSW5」を用いてジャポニカ品種日本晴とインディカ品種カサラスの遺伝子情報の解析を行い、温帯ジャポニカが東南アジアから中国を経由して直接に日本に伝播したことを確認し、論文としてネイチャー ジェネティクスに発表している[23][24]
考古学の観点からは、八幡一郎が「稲作と弥生文化」(1982年)で「呉楚七国の乱の避難民が、江南から対馬海流に沿って北九州に渡来したことにより伝播した可能性を述べており[25]、「対馬暖流ルート」とも呼ばれる。


南洋経由コースはない
なぜなら沖縄の諸島では、米遺留品の発掘が本土よりずっと遅いからである。これは柳田以来のメンタル論でしかない。


欧州へはムーア人が持ち込むとされる。特にプロバンス・イタリア・スペインなどで米食はいまもさかん。


















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