正論を言っている人がいたとして、けれど、その正論が万人に受け入れられるためには、人間としての順序があるだろうと思う。
ある組織で長になりたいのなら、まずその社会での共感や人望を得て、そののち結果として首長に選ばれる。選ばれるばでは、その人はまだ半端な存在だ。いくら論が正しくとも、その社会でそれが受け入れられ、浸透し、大半の構成員が、そうだと思わなければ、準備は不完全である。
あなたの正論は、まずはあなたが長になるほどの共感や人徳を得なければ実現しないものなのだ。だから長になりたい人間が、まず最初にせねばならないのは、その社会や世界の古い価値観を否定することではなく、自分自身が、その古いが歴史ある慣習の中に身を置き、理解し、けれどもここはなあ、あそこもなあ・・・、という小さな違和感を、仲間を作り、浸透させていくこと、なるほどと思わせる長い長い時間が必要なのだ。
長になるとは孤立、孤高の思想では絶対に、絶対に不可能。成り立たない。そうした性急な思いややり方は、ただあなたを奇人変人にするばかりである。
「泣いた赤鬼」という童話を読むことだ。
多くの同意を得てやっと長となり、そこから改革するべきものだ。
なぜなら、どのような悪い環境であっても、そこには、先人が数百年かけて、試行錯誤してきた歴史があるからだ。あなたのやり方は、大相撲数百年の歴史を無視しているのではないかと感じる。悠々として急ぐことはできないのか、あなたは?
待っていれば、いずれ、周りがそれに気がつく。
弥勒菩薩は、56億7000万年も、待ち続ける神であり、それはある時期、救世観音とも呼ばれるわが国独自の菩薩となった。今のあなたは菩薩どころか修羅のようだ。孤独で破滅へ向うしかない。戒められたし。
本末転倒!