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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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所感 総括 戌亥の隅の後戸に

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旧年中は・・・
来年もよろしく。



と言えるほどの記事が書けていないことをお詫びしたい。




民族学についてまずひとつ。


世界中に民族がいて、それを研究するのが民族学であるらしい。
いわゆる民俗学と民族学はどう違うの?とよく聞かれて、すでに12年目になる。


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                  花祭り





年末の再放送で中井貴一が中国を巡る番組をやっている。
今日は殷を周が滅ぼした紀元前の世界を回顧していた。


民族と民俗の違いもそこになる。


殷という国名は滅ぼした周がつけた卑国名、蔑称で、彼ら自身は自らを、東西南北へ旅して交換貿易をする商人の作った国・・・商と呼んでいた。彼らの反映の最大の要因は銅である。銅器によって彼らは「中夏」と自称した。その「夏」とは商の前の長考文明の王朝である。その夏がやがて華に置き換わって中華という自称が生まれ、その後の黄河文明の王朝も、黄河以北の北東の北朝も、みなこぞって自らを夏王朝の系統を正統に引き継いだ中華であるとした。それが中華思想である。





長江民族の多くがわれわれ日本人の古代の考えに影響している。いわゆる神道を生み出す道教、神仙思想は明白に長江から生まれるものだ。彼らは西域との深い商業通交によって戦車や銅器を手にし、中原に覇を唱えた。その商がなぜ小国だった周に負けたか?おそらくは鉄器であろう。それゆえに現在の子孫は少数民族となった。しかし、なぜ周に鉄器が先に入るのだろう?商はメソポタミア・アッシリア・トルコの鉄をなぜ早くから取り入れぬのか?それは彼らの銅器を見ればわかる。彼らは祭祀民族だったのだ。しかし黄河民族の多くは騎馬民族で戦闘民族であった。そこの違いである。



世界にはそれぞれにそれぞれの民族がいる。民族学はその違いを見る学問ではば広い。民俗学はその1民族の中の、さらに詳細な風俗を知ろうとする学問で比較すると狭い、濃いものである。それが両者の違いだ。


筆者よりも若い・・・いや子供・孫世代の人々は、右と左がはっきりしていて、中華や朝鮮民族を毛嫌いする傾向になるように見えるが、東アジアで今後最も大切な友人になるのは中国であることは間違いない。それは現在のささいなこじれの問題ではなく、長期的な視点で、かつ、また、アジアが西欧の既成文明や価値観を変換し、乗り越えていこうとするときに、中華の長い歴史が重要なのだ。だからこそアメリカでさえ、ロシアでさえ、中華には一目おくのであろう。


たとえ朝鮮と敵対しようとも中華とは争うのはおろかであろう。


よく中国人は物まねするといわれる。しかし、日本人もかつてはアメリカの物まねから繁栄の糸口を見つけたし、古代では、朝鮮も倭国も、中華から多くの文化文明、技術を物まねした。『風姿花伝』にも芸能が物まね、猿真似からはじまるのだとしている。真似し、やがてオリジナルを凌駕した点では、中華と日本は非常に似ているといわざるを得ないのである。



民族的にも、日本人は、特に近畿や南九州の人々は中華に近かろう。



かつて戦後から昭和までの日本人は、中華文明を尊敬していた。しかし今、若い人々は中華を毛嫌いしている。習近平政権は生まれたばかりのころはまだ政権内部に敵対思想の老人たちが山ほどいた。それが今や政権は力を持ち、彼らに多くの気を配る必要が薄れている。するとすぐに、今年の中華は日本に微笑むようになった。そういうものなのだ。それはまともな国家の証拠なのであろう。ところが、韓国・朝鮮国家はどうだろう。同じことの繰り返しで過去を蒸し返すばかりである。2000年、なにひとつ変わっていない。そういうところが信頼できない朝鮮民族ということを世界中に感じさせてはいないか?彼らは変われない民族なのである。これでは誰も彼らとは手を組みたがらぬはずだ。




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縄文後期、三内丸山の人々はすでに、中華長江と交流していた。その証拠品はいくつもでる。殷の銅器の模倣品の鼎式の土器が出る。そして中華海岸部に多く出る耳飾も出る。

三内丸山の高層巨木建造物は集落の北西にあって、そこからまるで道を作るように墓が並んでいる。祭祀広場が出る。北西とはいわゆる陰陽道で言う戌亥である。いぬいとは季節風の来る方角である。それを日本では戌亥の隅と言った。京都の北西にある愛宕山や鳥辺野や化野はみな、それが鬼が来る方角だったからそこをアジール=聖地・あるいは黄泉としたのであった。それは風の来る方角だったからである。それが「穴師」「あなぜ」の風である。三内の高層建造物はだから屋根を持たず、方位を微妙に北西から南東へ傾けて作られている。戌亥・辰巳の方角は、レイラインとは無関係に風を意識した方位である。なぜならそこから祖霊がやってくるからだ。


ゆえに仏教がやってきてからも、日本人はお盆の迎え火を戌亥の隅で行うのだ。





戌年がやってくる。
戌亥の隅から祖霊が帰ってくる。
あなたやわたしを戒める災害もそれに乗ってやってくる。





旧年中はご愛読ありがとうございました。
それそろここもやめどきかなと感じ始めています。
老荘思想の研究がしたい。

世界中で、宗教は戦争やいざこざをもたらしてきたが、老荘の宇宙こそを神と見る融通無碍な思想にはいさかいがあった様子がない。超越しているのかも知れない。




勧善懲悪などは歴史作家や演劇が作り出す勝手なものだ。民衆にわかりやすく歴史を伝えるための手段でしかない。しかし実際の人間は勧善懲悪に生きてはいない。勝ったからこそ周は商を殷と呼び、殷を猛悪な存在に仕立て上げた。だが実際は。黄河文明はみな商の思想のとりこになったのである。その証拠に、今の中国人は仏教よりも儒教よりもまだ道教を中心に思考する。それはわたしたち日本人にも、少なからずある考え方だ。わたしたちは朝鮮民族のようには儒教に熱中して、杓子定規な階級制度や官僚制度や男尊女卑や差別思想にはまりこまなかった。そこが中華民族と似た、また老荘と似た、やわらかさを筆者は見る。





来年もよろしく。















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