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森浩一『ぼくの考古古代学』第五章「山と古代人の信仰ーー越の大徳・秦澄をさぐる」より
日本の主な山岳信仰の聖山(北から順に)
参考上記森浩一著書及びWiki山岳信仰
上の分布図にない場所も含んでいます。
1 岩木山(コニーデ火山)青森県 おいわきやま・津軽富士、日本百名山の一つ
岩木山神社を中心とする修験道。独特の唱文を唱えながら登る
●開山不明
2 鳥海山(コニーデ) 秋田県・山形県
本山派 : 天台宗系 (本山は聖護院)、熊野派、順峯
当山派 : 真言宗系 (本山は醍醐三宝院)、吉野派、逆峯の二派がある。
出羽三山とまたがるため出羽信仰の一部とも目されることがある。
●開山不明●修験道創始は役小角と言われている
※コニーデは火山活動によってできた山の形状のひとつ=成層火山。富士山型の円錐形をしており、日本のほぼすべてのコニーデには聖地的(山岳信仰・修験・密教などの)な扱いがされていると言ってもいい。それは山の高さではなく、美しい形状にあるらしい。そしてかつてそこが火山、あるいは火山の一部、あるいは新しい火口部であることが多い。火山であるならばその地層にはさまざまの鉱物と花崗岩のようなそれを含んだ岩石群が存在する。また聖地にふさわしい奇岩、奇地形があふれている。ゆえに山岳信仰の山にはコニーデ型が多い。
3 出羽三山=月山(コニーデ火山)・羽黒山(月山の丘陵部)・湯殿山(月山中腹新火口部) 山形県村山地方・庄内地方 ゆえに出羽三山と言っても中心は月山で、あとは月山の中腹一部と新火口部である。
月山・羽黒山・湯殿山の総称 修験道中心
月山・羽黒山・湯殿山の総称 修験道中心
●開山 出羽三山神社社伝に崇峻天皇の皇子・蜂子皇子(能除太子)
崇峻天皇が蘇我氏に弑逆された時、蜂子皇子は難を逃れて出羽国に入った。そこで、3本足の霊烏の導きによって羽黒山に登り、苦行の末に羽黒権現の示現を拝し、さらに月山・湯殿山も開いて3山の神を祀ったことに始まると伝える
蜂子神社・・・凝灰岩の多いところにあり、蜂=秦氏広隆寺(蜂岡寺)での聖徳太子が嵯峨野に楓を植えた逸話を感じさせる。蜂がいる、それは楓の蜜のせいであるが、楓は中国でも「ふうのき」は鉱山のある場所に生えるといわれ、日本のカエデも鉱山があったことを思わせる。思うに福岡の香春岳も秦氏部民によって龍骨を採集していた聖地であり、忍骨命の「おしほね」も恐竜化石の作る石灰岩採集の山であり、龍骨あるところ銅鉱脈などもあるとされる。香春古宮八幡社前に採銅所地名があって、秦氏祭祀者赤染氏らが銅鏡を作って宇佐へご神体として奉納する儀式が今もある。
その「はち」が秦澄伝承に最も多く見られる「飛び鉢」伝説に変化したのではないかと筆者はひそかに推測している。筆者近在にも「来鉢 くばち」地名があるが、ここでは秦澄が空海に変化して伝わっている。鉢は僧侶托鉢、修行時のかかせぬ相棒である。かつては須恵器、のちに鉄器になるが、そのわけは登山者がコッヘルという鍋を持つのと同じく、貴重な調理用具であり、托鉢の金を入れさせるうつわでもあり、これで湯も沸かせれば、水も汲める道具。中にものを入れて移動できる。ようは命の綱ともいえる貴重品だったといえよう。それで、食料がなくなった秦澄が、持っていた鉢を投げると、スポンサーなどが糧を入れて投げ戻したという伝説になったのだろう。中には断るものもいたらしく、船の積荷のコメを出し渋っていたら、鉢が飛んできて積荷のすべてを運んでしまったという笑い話のような伝承が『日本霊異記』にある。
故森浩一は『ぼくの考古古代学』の中で、日本の僧侶の中では空海・行基・秦澄の伝承が最も色濃く全国各地に広がっていると述べ、修験道の役行者を除けば空海は伝承ナンバーワンで、主として杖で水を湧かせ、行基は地図作成伝承、そして秦澄はこの飛び鉢伝承であると書いている。
筆者は子供の時分、白土三平の『甲賀忍法帳』だったか「サスケ」だったかに、主人公影丸(サスケでは彼の父親になっている)が、「一本しめじ」というテレポート秘術を、手持ちの笠を飛ばして移動するシーンを強烈に覚えたが、まさに秦澄の鉢などもそれに匹敵する物品テレポート秘術ではなかろうかと思う。
4 磐梯山(現在も活動中のコニーデ火山) 福島県
磐梯山の南西麓にあった慧日寺(現在の恵日寺)は北東に磐梯山、北に厩岳山、さらに磐梯山の北に吾妻山という山岳信仰の盛んな山を抱えており、その立地的な面から山岳信仰に大きな役割を果たしてきた。そもそも慧日寺の開基は806年に磐梯山が噴火した翌年のことであり、噴火と慧日寺開基との間に山岳信仰上の関連があるのではないかとする見方もある。吾妻山神社への参拝ルートは慧日寺門前町の本寺を始点としたいくつかのルートが開拓されている。
磐梯山の南西麓にあった慧日寺(現在の恵日寺)は北東に磐梯山、北に厩岳山、さらに磐梯山の北に吾妻山という山岳信仰の盛んな山を抱えており、その立地的な面から山岳信仰に大きな役割を果たしてきた。そもそも慧日寺の開基は806年に磐梯山が噴火した翌年のことであり、噴火と慧日寺開基との間に山岳信仰上の関連があるのではないかとする見方もある。吾妻山神社への参拝ルートは慧日寺門前町の本寺を始点としたいくつかのルートが開拓されている。
●開祖 役小角
5 日光男体山(コニーデ・火山) 栃木県
日光山=二荒山(「ふたら・さん」を音読して「にこう」が関東風に跳ねて「にっこう」)日光修験道
●開山 勝道上人●開祖役小角(役行者)
日光山(にっこうさん)は、栃木県日光市にある輪王寺の山号である。江戸時代には日光寺社群を総称して日光山と呼んだが、明治時代の神仏分離令により輪王寺の山号となった。
日光山という単独山はなく複数ある火山塊全域の総称。栃木県北西部にある男体山(2,486m)、女峰山(2,464m)、太郎山(2,368m)の三山を中心とする山岳の総称としても用いられる。近年大噴火した日光白根山も含まれる。日光山系のほとんどの峯は火山である。
男体山(火山)日本百名山 二荒山神社の境内地で冬季入山禁止。
●男体山の初登頂は782年(天応2年)に僧勝道上人によって成し遂げられた。この登山については僧空海の記した『性霊集』に詳細が述べられている。この時期の初登頂記録としては最も実証性があるものといわれる。
6 筑波山(コニーデ) 茨城県
西側の男体山(標高871m)と東側の女体山(標高877m)からなる。雅称は紫峰(しほう)。筑波嶺(つくばね)とも言い、茨城県のシンボル
平安時代から有名で
筑波嶺(つくばね)の峰より落つるみなの川恋ぞ積もりて淵(ふち)となりぬる
出典後撰集 恋三・陽成院(やうぜいゐん)
は百人一首でも著名。
●開山不明
7 大山 (コニーデ) 神奈川県
別名を「阿夫利(あふり)山」、「雨降(あふ)り山」ともいい、大山および阿夫利神社は雨乞いの神ともされ、農民の信仰を集めた。江戸時代には大山詣が大流行し、富士山に登るやら伊勢神宮に参るなどの前に、江戸っ子は必ずここに詣でたという。丹沢水源の湧き水とあいまって、低いけれど聖山だと言える。
●開山不明
8 木曽御嶽山(コニーデ火山) 長野県
最初は「王御嶽」(おんみたけ)と呼ばれ、古くは坐す神を王嶽蔵王権現とされ、修験者がこの山に対する尊称として「王の御嶽」(おうのみたけ)称して、「王嶽」(おうたけ)となった。その後「御嶽」に変わった。修験者の総本山の金峯山は「金の御嶽」(かねのみたけ)と尊称
●開山・開基不明 無名の修験者集団の峰入りから始まる
9 浅間山(コニーデ火山) 長野県
浅間山(あさまやま)は、長野県北佐久郡軽井沢町及び御代田町と群馬県吾妻郡嬬恋村との境にある安山岩質の標高2,568mの成層火山。山体は円錐形でカルデラも形成されており、活発な活火山として知られる。
「あさま」は火山を示す古語とされる。富士山の神を祀る神社が浅間神社(せんげんじんじゃ)と呼ばれるのも同様の理由であり、阿蘇山の「あそ」も同系のことばであると言われる。浅間山も多くの山々と同じく、古くから信仰の対象となっており、浅間神社(通常の浅間神社とは祭神が異なる)が鎮座している。浅間神社(せんげんじんじゃ/あさまじんじゃ)は、「浅間」を社名とする神社。主に富士山に対する信仰(富士信仰/浅間信仰)の神社である。大山積神の娘コノハナサクヤ姫。この姫は記紀神話では南九州の海人族が祭る山ノ神。
雪形浅間山の南斜面には春になると雪形が出現する。鯉の模様が出る頃に苗代の準備を行う風習がある
※あさ、あそ、あそうなどは山を意味する古語だと言われている。
●開山不明
10 富士山(コニーデ火山) 静岡県・山梨県
富士山に対する信仰の一形態。富士山をまつる浅間神社は,山麓の登山口にそれぞれまつられ,信仰の中心になっている。富士山神は女性で,コノハナノサクヤヒメ(木花開耶姫)である。都良香の『富士山記』にも,山頂で美姫が舞うことを記しており,古代から霊山として信仰の対象であった。浅間神社は里宮にあたり,中世にはここを通して,富士登拝を行なう富士道者が増加した。近世にそのなかから長谷川角行という者が現れ,浅間神社から独立した富士講をつくった。これはのちに江戸町人を基盤に大きな勢力をもつにいたる。近代にはさらに扶桑教,実行教,丸山教などの教派神道が成立した。
●開山不明
富士山本宮浅間大社(ふじさんほんぐうせんげんたいしゃ)は、静岡県富士宮市にある神社。式内社(名神大社)、駿河国一宮。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。社家は富士氏。
富士山には、その美しい山容から女神と見る信仰が古くからあり、平安時代には都良香の「富士山記」(『本朝文粋』所収)に「浅間大神」として、『竹取物語』には「かぐや姫」の名でその表現がある。しかしながら、これに『古事記』『日本書紀』に見えるコノハナノサクヤヒメが当てられたのは近世に入ってからと見られ、それまでは一般に「浅間神」の名で信仰されていた。
「浅間」の古称「あさま」は、阿蘇山・浅間山・朝日岳等に見られるように「火山」を表す呼称と見られている。都良香の記述も延暦21年(802年)の噴火を取り上げており、この頃に「浅間神」の呼称が生まれたと考えられている。中世以後の神仏習合時代には「富士大菩薩」「浅間大菩薩」、さらに降ると「富士権現」とも称された。
富士山の神霊をコノハナノサクヤヒメに当てる起源は明らかでないが、文献の初見は江戸時代初期の『集雲和尚遺稿』である。「コノハナ(木花)」は桜の古名といわれ、祭神は富士山の美貌の形容に由来するとされる。また、神話にある「コノハナノサクヤヒメの火中での出産」も、火にまつわる事象として意識されたと見られる。また、三島神(三嶋大社)の祭神を大山祇神(おおうやまづみ・大山積神)と見て、富士と三島が父子とする伝説も江戸時代頃から散見されるようになる。
江戸時代の屋代弘賢による『古今要覧稿』には「二神を祭る」という表現もあるが、現在は上記のように「浅間大神は木花之佐久夜毘売命の別称」としており、習合した1柱の神格を主祭神としている。また配祀神については、『富士本宮浅間社記』では太元尊神と大山祇神としている。太元尊神は国常立尊とされるが、明治初年以降から現在に至るまでは、太元尊神に代えて瓊々杵尊を配祀神の1柱としている。
※コノハナサクヤの前に浅間神があり、これは山の神。それを江戸時代までにおそらく修験者たちが権威付けとして記紀の女神を持ち込んだか?その女神が海人族が祭った山の神の娘であるところから、修験者の多くに、葛城系つまり南九州や瀬戸内系の海の民がいたことを思わせてくれる。
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11 七面山(身延山信仰) 山梨県
七面山(しちめんさん)は山梨県南巨摩郡にある1,989mの山。三角点は1,982.4m。日本二百名山の一つに選定されている。
七面山(しちめんさん)は山梨県南巨摩郡にある1,989mの山。三角点は1,982.4m。日本二百名山の一つに選定されている。
●開山不明
東側は身延山、富士川を隔てて天子山地と対峙し、西側には笊ヶ岳、青薙山など、赤石山脈南部、白峰南嶺の山々が連なる。
山頂東北部の約73haが歴史的に久遠寺の寺領であり[1]、現在も周囲を早川町に囲まれた身延町の飛地である。Wiki七面山
「七面山が日蓮宗の法華霊山となったのは、日蓮聖人の身延入山に始まります。それ以前、はるか古代から里人にとっては七面山を神体山として、山の神が祀られてきたと思われます。まず、日蓮聖人入山以後の七面山の法華信仰を年表により確認してみます。 〇(民族信仰から山岳修験信仰の時代・修験道第一次成立期―山伏衆の結成). (平安~鎌倉~南北朝時代 七九四~一三九二年). 池大神・龍神の民族信仰がおきます. 雨畑村の人達が一の池に池大神の祠を建てます. 修験者が役行者を祀ります。」
http://www.myoukakuji.com/html/telling/benkyonoto/index177.htm
12 立山(カルデラ活火山) 富山県 修験道
●開山 開山縁起によれば奈良時代の佐伯有若・佐伯有頼親子
※立山は連峰であり複数の峯が連峰を形成する。中でも立山は二重火山。
●開山 開山縁起によれば奈良時代の佐伯有若・佐伯有頼親子
※立山は連峰であり複数の峯が連峰を形成する。中でも立山は二重火山。
13 白山(コニーデもある活火山連峰) 福井県・石川県・岐阜県 修験道
白山比(ひめ)神社(祭神白山菊理姫くくりひめ)及び白山権現を祭神として、被差別「しらやま」信仰と一般民衆の「はくさん」信仰が同居。及び修験道と秦秦澄開山の仏教聖山、一向宗衆徒による寺院(永平寺・延暦寺・平泉寺などなど)が時代を経て複雑に同居するが
●開山は秦秦澄(はたの・たいちょう)の白山比神社が最古。
白山火山帯の中心的山。
白山火山帯の中心的山。
14 越智山 福井県
15 伊吹山 滋賀県
16 鷲峯山(じゅうぶせん)京都府相楽郡和束町
17 三輪山(コニーデ型)奈良県桜井市
18 大峰山 奈良県
19 信貴山 奈良県
20 葛城山・吉野山・金峯山(きんぷざん) 奈良県
21 甲山 兵庫県西宮市 コニーデの低山。頂上に弥生時代の銅剣のきっさきが露出しているという(森浩一)。
22 熊野山 和歌山県 ご存知空海の聖山。開山する前に空海は地元神の秋葉さんやら丹生津姫さんやら金山彦さんにおことわりを入れたという。空海は水銀や金を捜し求め、その金で遣唐したらしい。蝦夷俘囚の連行された讃岐佐伯氏出身。
23 大山(単独峰・コニーデ火山) 鳥取県
24 高山 山口県・島根県
25 剣山 徳島県
26 石鎚山 愛媛県
15 伊吹山 滋賀県
16 鷲峯山(じゅうぶせん)京都府相楽郡和束町
17 三輪山(コニーデ型)奈良県桜井市
18 大峰山 奈良県
19 信貴山 奈良県
20 葛城山・吉野山・金峯山(きんぷざん) 奈良県
21 甲山 兵庫県西宮市 コニーデの低山。頂上に弥生時代の銅剣のきっさきが露出しているという(森浩一)。
22 熊野山 和歌山県 ご存知空海の聖山。開山する前に空海は地元神の秋葉さんやら丹生津姫さんやら金山彦さんにおことわりを入れたという。空海は水銀や金を捜し求め、その金で遣唐したらしい。蝦夷俘囚の連行された讃岐佐伯氏出身。
23 大山(単独峰・コニーデ火山) 鳥取県
24 高山 山口県・島根県
25 剣山 徳島県
26 石鎚山 愛媛県
ご自分で調べてね!
27 英彦山(コニーデ) 福岡県
英彦山神宮(ひこさんじんぐう)は、福岡県田川郡添田町の英彦山にある神社。旧社格は官幣中社。現在は神社本庁の別表神社。通称「彦山権現」。
英彦山神宮(ひこさんじんぐう)は、福岡県田川郡添田町の英彦山にある神社。旧社格は官幣中社。現在は神社本庁の別表神社。通称「彦山権現」。
日本三大修験の霊場(恐山・白山?出羽三山?その概念自体、調べても不明。英彦山の自称か?)として栄えた神社である。しつこく調べたらこうあったが・・・。
「大峰山(山上ヶ岳)(奈良県)、出羽三山(山形県)、英彦山(ひこさん)(大分県・福岡県)を日本の三大修験道場というそうです。」https://ameblo.jp/masac2/entry-10700858558.html
Wikipediaでもやはり「 羽黒山(山形県)・熊野大峰山(奈良県)とともに「日本三大修験山」となっている。へえ。ちなみに日本三霊場とは違うようだ。
いろいろあってよくわからない概念。
主祭神正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命(まさかつあかつかちはやひあめのおしほみみのみこと) - 北岳。
配神伊耶那岐命(いざなぎのみこと) - 南岳。
伊耶那美命(いざなみのみこと) - 中岳。
配神伊耶那岐命(いざなぎのみこと) - 南岳。
伊耶那美命(いざなみのみこと) - 中岳。
たしか登ったときにニギハヤヒもどこかに祭られていたような記憶あり。
英彦山は古代より神体山として信仰されていたとみられる。当社の開基については次のような伝承がある。
●開山 秦秦澄か?よくわからない。
●開山神話
継体天皇25年(531年)、北魏の僧・善正(ぜんしょう)が英彦山山中で修行中に日田の猟師の●藤原(藤山)恒雄(こうゆう、のちの●忍辱〈にんにく〉)に会い、殺生の罪を説いた。しかしそれでも恒雄は猟を続け、1頭の白鹿を射た。その時、3羽の鷹が出現して白鹿に檜の葉に浸した水を与えると、白鹿は生き返った。それを見た●恒雄は、この白鹿は神の化身なのだと悟り、善正の弟子となって当社を建立したという。藤原恒雄は半島伝説の桓雄(かんゆう)の音読みだろから、この猟師も渡来人だろう。
また別の伝承では
●祭神・天忍骨命(あめのおしほねのみこと)の降臨した地とされて山上に一祠が建てられたのが起源とも云う。清和天皇代の貞観7年(865年)に従四位上を授けられたとあり、延喜式神名帳にも忍骨命神社として名を残す。この神は田川郡香春町の香春神社の祭神でもある。
「今の赤村と津野一帯を昔は吾勝野と呼んでいたという。その由来は、吾勝尊(天忍骨尊)が岩石山に天降ったことから、岩石山は吾勝野と呼ばれていたし、 その東側の今川流域は吾勝野の名であったという。それが、景行天皇が熊襲を討つときこの山頂に登り、神々を祭って東側を見下し、「この山麓は豊かな土地であるが、 南北に連なって細長いので二つの村にしたがよい」との言葉からアカツノが分かれてアカ村とツノ村になったという。」http://tokyox.matrix.jp/wordpress/%E8%8B%B1%E5%BD%A6%E5%B1%B1%E3%80%81%E5%A4%A9%E5%BF%8D%E7%A9%82%E8%80%B3/
筆者著書で、忍骨はオシホミミのことだろうと推測したが、記紀には出てこない在地だけの神。名前は香春岳の竜骨から創作したようだ。母は息長帯姫大目命つまり神功皇后だろうが、そうすると記紀ではオシホミミはアマテラスの御子なのだから、神功皇后=アマテラスになってしまうとも書いた。修験者が香春の秦氏だから、オシホミミという日の当たらなかった天孫を持ち出したのか?記紀でオシホミミは子のニニギに降臨を譲り、自身は降臨していないことになっている。福岡県赤村には数度行ったが、確かにここに吾勝オシホネ祭られている。しかしその「われかつあかつ」とはオシホミミのものなのでやはり二人は同一神のようだ。敗者の作った神なのだろう。
28 国東六郷満山(両子岳はコニーデ火山) 宇佐神宮も含めた国東半島全域の修験道。峰入り修行地。
●開山 伝説で仁聞(にんもん)菩薩と伝わるが、南都・比叡山の天台密教に始まって、四国からは空海の真言密教、また宇佐信仰と福岡田川郡の渡来系?英彦山修験道が?入り混じる混沌性がある。東大寺お水取り儀式に関わる修正鬼会(しゅじょうおにえ)が伝わるのは、白山信仰の伝わった愛知県や長野県南部の花祭・雪祭に近似。奇山・奇岩・景観を経巡りながら天空をゆくような高揚感が味わえる。無明橋が高山と高山をつなぐ醍醐味は、葛城山と吉野金峯山にハシをかけて自在に往来したという役小角の呪術を思い出させる。また数年に一度ほど、比叡山阿闍梨(あじゃり、あざり、ācārya アーチャーリヤ、阿舎梨・阿闍梨耶とも音写)とともに修行する峰入りが行われるのは見もの。
29 阿蘇山(カルデラ活火山) 熊本県 その他熊本には熊本市に金峰山、九州山地熊襲居住地そばには金峯・銀峯がある。
30 霧島山(コニーデ活火山連峰) 鹿児島県・宮崎県 霧島山・新燃岳・韓国岳・高千穂岳を含む霧島連山 霧島の高千穂岳頂上には天の逆鉾がささっている。宮崎県高千穂町の高千穂峰は祖母山のことで霧島とは別であるが、どちらも天孫降臨候補地の高千穂を主張している。
番外 由布・鶴見岳伽藍岳噴火口(コニーデ活火山)と九重連山 大分県 特に鶴見岳は別府温泉・塚原温泉、由布岳は湯布院温泉・湯平温泉のそれぞれ源の山 火男火売女神社(ほのおほのめじんじゃ)と山麓の朝見神社が別府鎮護の山である●開山役小角
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岩石信仰と修験道もリンクする。聖なる石だとされた石材の出る地域には偏りがある。種類が多い場所は石材の必要性が高かった高度な都市文明がある場所?それは石棺や石室、つまり古墳の分布数にもリンクしたし、強力な豪族や大名のいた場所でもあった・・・。
さて長々と(一覧製作に一日かかった)並べてきたが、この地図をいろいろほかの分布図と比較してみたいのである。
まずこれらの聖山と鉱物・石材分布のリンクはあるのかどうか。
日本の花崗岩分布(筆者製作)
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聖地と花崗岩分布はほぼリンクする
※花崗岩は甲とか御影とかの地名がある場所に、岩盤として多く存在し、中に石英などの輝石や、貝殻化石、砂鉄などを含むので、古代金属探索の目安になった石。とくにそのマーブルの中にむかでとか蛇と呼ばれる鉱物鉱床のすじがあれば、そこの地殻には金や鉄や銅や錫・水銀なども含まれるかもしれない。修験者がそれを修行といいつつ探したのではないか?
役行者は国家によってとらわれたが、それを換言したのが葛城の山の神である一言主神だったと記録は言う。実際には弟子だった韓国広足であったらしいのが、なぜかのちに書き換えられたらしい。一言主と言えば役の行者にしてみれば出身地葛城の地元の地主神である。それに裏切られたというのは、もしや葛城山・吉野山の鉱脈を採集したからではないか?
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筆者がもらった葛城一言主神社御火焚祭祈祷串Clik here to view.
一言主神社は大阪府の赤坂村にある地主神社。ここは楠正成が南北朝の争いのときに立てこもったところ。同時に葛城鴨氏が管理した場所でもある。役の行者はその葛城鴨の朝臣だったとなっている。葛城氏出身なら一言主神にとってそれは管理者・監視氏族であり、それをちくるというのも奇妙か。雄略天皇の記事では、狩りの最中に現れて、天皇そっくりの姿で天皇を威嚇する。そういう口やかましい地元神である。土蜘蛛がいたとあるので鉱山の鉱夫らの神だろう。
そういうと神武のときには吉野山の似たような鉱山夫?いひかが出てくる。吉野山は往古から仙人がやまほどいたとされた聖地。仙人は道教の言葉だから、吉野山の伝説は中国の道教の影響から生まれたわけだ。
さて記録では、のちに国が僧尼令(養老律令の一部)を出して山に僧侶が修行として住み着くことが禁止(山居禁止)されている。その理由が森さんは最後まで、「わからない」と言って亡くなっている。しかし山にある金属は、武器の材料である。鉄なら剣もやじりも作り出せ、さまざまの農具、刃物も作れたえわけである。そうなると為政者は困るだろうと思う。鉱物を勝手に採取する行為は、為政者にとっては国家の敵となりうるものだっただろう。行者が呪を用い、鬼神を使って山々を闊歩し、孔雀明王の秘術の真言孔雀呪文を唱えて自在に山々をうごめいた・・・(孔雀妙法は真言密教の観念で、その呪文とは真言である。つまり孔雀明王の名前オン・マヤラギランデイ・ソワカをサンスクリットで連呼するだけのことなんだが病魔退散・災害忌避にご利益があるとか?それにしては本人は島流しされているが?)それは非常に危険な敵対行為に見えたのであろう。それにしては空海も最澄も入山修行や放浪修行のオンパレードなのにつかまってはいない(空海は一度だけ注意されたらしいが)。国家が許容した国家仏教の正式伝承者だったからだろうか?えこひいきかな?https://climbing-shoes.info/hitori/archives/2815
役小角は優婆塞だから(この言葉自体が公伝仏教・儒教の用語だから奈良時代にそれが来ていることになる)、僧侶にはならない。すると僧尼令は当たらないことになるか?
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神社信仰は修験道も。仏教・道教・神道の習合が修験を生み出し、それは皇極~天武の時代に特に・・・。それこそが天皇家登場の裏側のヒント。
●出雲は鉄よりも銅の国家
ついでながら、出雲を鉄の国家だと見る向きは多いようだが、筆者は出雲は最初は銅の国家だったと見ている。出雲からは銅剣も銅鐸も大量に出ている。その数は日本全国で出てくる銅器の数量を簡単に超越する数量だった。つまり記紀の言う国譲りは、出雲の銅文化が、侵略者の鉄文化によって圧倒された歴史を語るものなのだろう。それで奈良時代になると出雲は砂鉄によるたたら製鉄のメッカに変身した。しかし出雲よりも早い・・・日本でも最古級に早い製鉄遺跡が出てくるのは吉備や丹後や若狭なのである。金属は現代でもまだ国家の産業の基盤であり続けている。自動車は鉄やアルミでできている。だからアメリカは鉄やアルミに今回、高い課税をしてきたのだ。中国や日本を、奈良時代の天皇同様、役の行者だと見ているわけである。
あとは地図、分布図を一杯やりながら、つらつら眺めては、あなたはあなたなりの古代学を楽しんでください。ながながとおつきあいさせました。ご愛読、ご通読、完全読破をありがとうでした。
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渡来・秦氏・修験道・神仏習合の影にのちの呪術の亜流である忍法も?
あとは鉱物・金属・鉱床・鉱山そのものの分布だな。
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日本の鉱山分布図各種ページへのリンク
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