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京都ディープ本編1 貴船神社の仏国童子=牛鬼伝説と出雲国譲りの真実 菱形は天地四方

まったく関係がなさそうな離れた場所の、時代も違う謎の歴史をつないでしまおうという試みである。数回連続で、できることなら京都を拠点に、各地にジャンプしてみよう。いよいよ本編。






かつて貴布禰の社人には舌・鳥居・願などがあったと言う。
舌(ぜつ)氏は牛鬼(舌さん子孫は「うしおに」と読ませる)だったと言われる仏国童子の子孫を自称している氏族。貴船山の某所に磐座があって、そこに童子は降臨したと言う。かつて貴船神社宮司を代々世襲で務めてきて、やがて社家になったが、今は分家が一軒残るきりになり、近年、その子孫である舌勇治(ぜつ・ゆうじ)さんも亡くなったと西川照子※が書いている。


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鏡岩


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貴船川源流・雨乞いの滝



このサイトの方がわざわざそこを訪ねた記事が見つかったので、画像を貼っておこう。
鏡岩というらしい。かなり山深いところにあるという。貴船の水の源であろう。

丑の年、丑の月、丑の日、丑の刻に、
貴船大神が天下万民救済のために、
仏国童子(牛鬼)を従者として
貴船山中腹の鏡岩に降臨した。「貴布祢雙紙」(きふねぞうし)
https://blog.goo.ne.jp/tabijinja/e/88b264eaae35788300803524d9d53075
 
「貴船神社に『黄船社秘書』という和綴の小冊子がある。表紙には「不許他見」と記されており、誰にでも安易に見せることは許されていない。社人・舌宗富により宝暦4年(1754)以降に著されたものと考えられ、内容に興味深いものが多く含まれている。そのなかに納められている「貴布祢雙紙」(きふねぞうし)は、社人・舌家の縁起を知るうえで非常に貴重なものである。
 
「貴布祢雙紙」によれば、貴船明神が天下万民救済のために、天上界から貴船山中腹の鏡岩に御降臨され、そのお共をしたのが仏国童子(牛鬼ともいう) である。ところが、この仏国童子がはなはだ饒舌(じょうぜつ)で、神戒をも顧みず、神界の秘め事の一部始終を悉く他言したので貴船明神の怒りに触れ、その舌を八つ裂きにされてしまった。そして貴船を追放され、吉野の山に逃げた。そこで一時は五鬼を従えて首領となったが、程なく走り帰って、密かに鏡岩の蔭に隠れて謹慎していたところ、ようやくその罪を許されることになった。舌家では、この鏡岩のところで「屈んで」謹慎をしていた岩だから、鏡岩を「屈岩」と書いて伝えている。この初代・仏国童子の子ができ、僧国童子と名付けた。
 
ある時、仏国童子が貴船明神の御弓、鉄にて打った面二寸三分宛の御弓を取り出し、二張まで折ってしまった。余りの悪事に怒った大明神は、童子の手を鉄のクサリ七筋を以って括ったが、少しもひるまず引きちぎってしまう。大明神は今度は二間四面の大石を膂(背骨)に掛け置いたが、童子はこれも苦ともしなかったので大明神は心を痛めた。この童子、食べ物は一日三升三合食べたが、百三十歳の時カミナリに打たれて死んでしまった。

二代目・僧国童子は少年の頃から丹生大明神(貴船大神と御同体)に奉仕していたが、後に吉野の五鬼を従えて帰り、父に代わって神勤怠りなかったが百二歳でなくなった。僧国童子の子を法国童子と云い、その子を安国童子と名付け、以上四代目まで鬼の形をしていた。五代目よりは普通の人の形となり子孫代々繁昌して大明神に仕えた。そして祖先を忘れぬ為に名を「舌」と名乗った。 (以下略)」
https://ja-jp.facebook.com/notes/%E8%B2%B4%E8%88%B9%E7%A5%9E%E7%A4%BE/%E8%B2%B4%E8%88%B9%E7%A5%9E%E7%A4%BE%E3%81%A8%E7%A4%BE%E4%BA%BA%E8%88%8C%E5%AE%B6-%E7%89%9B%E9%AC%BC%E4%BC%9D%E8%AA%AC/487935831259546/



ほかにも『黄船社秘書』の 「貴布祢雙紙秘伝之巻」に舌家の家紋に関する記載が見られるという。「舌」というものは、善用すれば理を弁じ、物を格し、道を講じ、和を謀るが、もし悪用すれば初代の如く秘を発き、密を洩らし、神を犯し、聖を汚すが故に、永く子孫を戒めるために、舌(ぜつ)と名のるようになった、という。

仏国童子は貴船の神が神代にここへ降りたときに、家臣として連れ添って降臨した。貴船の神は地上に降臨したら天上界のことは決してしゃべってはならぬ、ときつく言われていたのに、降りたとたんに人々にじゃんじゃん喋り捲ったものだから、貴船大明神はその舌を八つ裂きにしてしまう。

「ここにはもういられない」と恥じ入って、童子は奈良の吉野山に逃げ込み役の行者の配下の後鬼などの家臣を作り、隠棲。そのままおとなしくしていればよいものを、貴船恋しさに戻ってくる。で、この鏡岩に消沈して座っていた。大明神もさすがに哀れに思い三年後、これまた懲りないことに童子を家臣に戻してやった。(葛城の役の行者との葛城氏と鴨氏の婚姻関係をここに言っていると見る)

いつのまにかどこかの女性とちぎりを結んだのか子に恵まれる。それを僧国童子となづけたが、これまたおやじをしのぐ悪童ぶりで、大明神の大切な弓を二張、へし折ってしまう。大明神は怒って童子を七回りも鎖でしばるが、童子はものともせずにこれを引ききってしまう。どうしたもんかとあきれはてていると、百三十歳になった日に、落雷とともになぜか天上界へ去ってしまう。

仏国童子の子孫は五代目からは牛鬼の姿から人間の姿になり、姓を舌と名乗った。初代が舌香保登と言ったそうだ。家紋は菱形の中に八。舌姓はおしゃべりを戒め反省して、今後しゃべらぬように、菱形は口の形で、八は舌が八つ裂きにされた形だと言う。なぜ口が菱形かと言うと、舌氏百何代目かの舌佐衛門守(ぜつ・さえもんのかみ)の書いた「不許他見 貴舩人舌氏秘書」に、菱形は天地四方を表し、魔よけである。八は天地太平を表す」とある。

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舌氏家紋

2組の対辺は互いに平行で長さは等しい 2組の対角の大きさも互いに等しい 対角線がそれぞれの中点で垂直に交わる Wiki菱形

まれな形状である。自然界には少ない。
真ん中で切ると二等辺三角形、つまり魔除けである三角鋸歯文が二つできる。



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古墳の装飾、中国の墓の仏教壁画、武家の家紋、やくざの代紋、海人族の鯨面文身の幾何学模様などに使われてきた。花菱、剣菱、三菱、山菱などなど。


(ちなみに貴船神社の神紋は今は三つ巴と二つ葵葉だが、上賀茂神社は葵。おそらく徳川家のときにそうなったのであり(梶まつりから藤祭から葵祭りへの変化とともに)元は梶の葉ではないか?ならばそれはタケミナカタを祭る長野の諏訪大社も梶葉で同じとなる。梶は舟の舵に通じる。貴船末社に舵取り社がある。http://kifunejinja.jp/access/kifunemap/detail.html
ウカノミタマを祭ってある。諏訪は安曇氏やタケミナカタで海人族。貴船・上賀茂も海人族である。

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賀茂大神=高龗神(鴨氏貴船神)=アジスキタカヒコネをサンカたちは「かじすき」とも呼ぶ。そして紙漉き職人が梶の葉を家紋とし、「かじすき」を「かみすき」と転化している。)


なるほど、やっと菱形の意味がわかった。魔よけなのだ。すると中国や九州の壁画に描かれる菱形もそういう聖なる形状なのだとわかった。ならば▲△と同じ意味だ。鋸歯文・連続三角文と同じくサメなどの魔物よけだ。つまり舌氏も鴨氏もやはり海人族なのだ。海士の刺青(鯨面)に描かれていた絵柄と同じである。そういえばやくざの代紋にも菱形は多い。彼らも最初は大阪天満の海人族漁師中卸だったからだ。

仏国童子が牛鬼の姿だったという伝承は、牛鬼が吉備の児島湾・牛窓の魔物だったことを思い出させる。児島湾もおそらく賀茂氏などの海人族の盤居する瀬戸内交通の要所である。牛窓の地名は児島湾に出没する牛鬼が「まどって出てくる」に由来するという。かつては小島半島は島で、狭い海峡に関を設けて海上通交料金を取る四国海賊が巣食っていた。藤原純友は彼らとつるんで謀反を起こす。のちの村上・越智・九鬼・潤島などの三島神=闇淤加美(くらおかみ・大山積神)を奉じた瀬戸内水軍はその子孫である。そういう伝統が義経の弁慶なども作らせたに違いない。何事かにつけて謀反や反駁するときに彼らはいつも関わっている。

願(がん)氏という氏族も貴船にある。貴船大明神は水・船・雨乞い、雷神であり、賀茂氏は水の管理者である。ゆく先々で船で河川を上り、水の湧く聖地を探した人々だ。だから下賀茂の二川合流の出町にも住まい、京都の治水というところで氾濫が多かった葛野松尾の秦氏の堰造営、高野・鴨川の治水という部分で合体するのだろう。のちに秀吉が鴨川開発のさいに、魚行商の今宮供御人たちが八坂にスサノヲ=牛頭天王を祭ったのも、そういう牛鬼伝説が上流の水源である貴船にあったからだろう。今宮はえべっさんだ。今宮恵比寿とは事代主のことなのである。えびすとは異界のものども=異常出産児=異形の出自のものどもを指すのである。つまり渡来や蝦夷やあらゆる異民族。それがげい面文身の「倭の水人」にも適用され、賀茂氏のアジスキタカヒコネ=高龗神(たかおかみ・鴨氏貴船神)=賀茂大神がこれを管理したのだ。「氏、首、人部、部」という秦氏と同様の家人構成を持つ。上は貴族・豪族から下は部民・海民まで何層ものノット血脈一族で構成される。

葵祭で、賀茂氏の玉依姫は上賀茂から下鴨へ「里帰り」するのだが、貴船に入るときには黄色い船に乗って淀川から鴨川を遡り、下鴨へ嫁入りする。秦氏という「丹塗り矢」異形の一族に嫁入りするために。そしてどの氏族にもいたはずの玉依姫は、託宣するシャーマンである。その願いが氏族の名となったのが願氏だろう。

また鳥居は船を表すものという。いわゆる九州装飾古墳の「もがり舟と鳥」やエジプトにもある鳥のとまった生命の魂の船であろう。願氏も舌氏も、そして鳥居氏も卜占や託宣を行うシャーマンだったに違いない。すると鴨脚(いちょう)氏もそうなのだろう。しかし鴨氏の祖神アジスキタカヒコネはなぜ出雲からやってきたのか?彼らも秦氏同様、伽耶滅亡のときに葛城襲津彦につれられて葛城に戻った氏族だ。そのとき着岸した場所こそが出雲なのだろう。出雲はコスモポリタン的な公共港だったのだ。古志三国の九頭竜川の継体大王=古志のヤマタノオロチがそこを奪うまでは。

出雲はフリーダムだった。
北の縄文人、南の宗像や安曇、朝鮮のさまざまの人種が共有していた港=神門(かんど)だったのだ。そこを奪い、鉄の武器で平定したのはではスサノオだったのか?それはつまり新羅の人か?
山口県土井ヶ浜や鳥取県青谷上寺地には、スキタイ系渡来人の遺骨や痕跡があり、いくさがあった痕跡がある。騎馬遊牧民が立てていた中国北東部の紀元前6000年前の遼河には、環状列石を作る北方系文化があって、秋田や青森の縄文人と交流していた。では彼らウラル系遺伝子を持つ人々が出雲を奪ったのか?『日本書紀』はそれをあとから大和の手柄にしてしまったのか?






京都は奥が深い。
遡ると何に出くわすかわからぬ歴史がある。
新しい首都が古い首都のうそまで暴いてしまう。
そして日本人3万年の歴史まで、秘書として隠し持ち続けている。





次回、「安寿と厨子王」ゆかりの朱雀権現堂。
次に晴明神社。

おたのしみに。




※西川照子『幻の、京都 隠れた歴史の深淵を訪ねる』平成26
西川は梅原猛のまな弟子とも言える雑誌編集者。











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