現在の大阪市平野区喜連町:旧東成郡喜連村付近の伝承記事である。
この辺りは、元々大々杼(オオド)国 大々杼郷と称した。
この辺りは、元々大々杼(オオド)国 大々杼郷と称した。
「楯原神社」の祭神建御雷男の子孫 大々杼命にちなんで付けられた。
神武天皇時功あって 大々杼の姓を賜り、国造に任じられた。
14仲哀天皇時「大々杼黒城」に嗣子がなかった。
天皇(神功皇后)は弟の息長田別王を黒城の娘黒媛に婿養子として出した。
その時息長の名を与えた。その子供が杭俣長日子であり、この姉娘が息長真若中比売で15応神天皇の妃となり若沼毛二俣王を産んだ。
この杭俣に嗣子がないため応神8年に妹娘の弟女真若伊呂弁の婿養子として若沼毛を迎えた。
この間に産まれた子供らは大郎子ら7名である。
この間に産まれた子供らは大郎子ら7名である。
長子大郎子は仁徳天皇の勅命により淡海の息長君として分家した。
その子供が彦主人である。
一方息長氏の本家を嗣いだのは末子の沙禰王であった。
その娘真若郎女が近江の彦主人に嫁ぎ、産まれたのが大々杼王(後の26継体天皇)である。
産まれたのは母の里である河内である。8年後雄略元年に母子を淡海に帰したが、間もなく実母は亡くなり異母福井振媛に従い越前三国の君を号した。
その娘真若郎女が近江の彦主人に嫁ぎ、産まれたのが大々杼王(後の26継体天皇)である。
産まれたのは母の里である河内である。8年後雄略元年に母子を淡海に帰したが、間もなく実母は亡くなり異母福井振媛に従い越前三国の君を号した。
大々杼郷は継体天皇にはばかり杭俣郷に変わり現在は「抗全(クマタ)」と呼ばれている。
息長の姓はこの村を流れている息長川(現在は今川)に由来する。即ち神功皇后に冠せられた「息長帯足日売」とは無関係との記述ともとれる。
http://www17.ocn.ne.jp/~kanada/1234-7-9.html
息長の姓はこの村を流れている息長川(現在は今川)に由来する。即ち神功皇后に冠せられた「息長帯足日売」とは無関係との記述ともとれる。
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今日はノーコメント
これだけ書くのでもう精一杯なほど疲れている。
ただ、近畿には息長氏由来の地名があふれていることにだけは気がついた。
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