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佐世保・高島、宮の本遺跡の太い腕の人骨と海の道・貝の道


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筋骨隆々の弥生人?太い上腕の人骨出土 長崎の離島
 「筋骨隆々の弥生人の集団が西北九州にいた-。長崎県佐世保市・高島の「宮の本遺跡」でこの夏、上腕骨が一般的な弥生人よりも一回り太い、約2千年前の人骨が出土した。人類学者によると、西北九州の離島で見つかった弥生人骨には、こうした特徴があるという。「弥生文化=農耕社会」と思われがちだが、高島の弥生人は異なる暮らしをしていたようだ。

 高島は九十九島の一つで、本土の相浦港から海上タクシーに20分ほど揺られて渡る。その先には世界文化遺産の黒島天主堂で有名な黒島が浮かぶ。」
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20181217-00010003-nishinpc-sctch





長崎県佐世保市高島 宮の本遺跡
http://msmnnmy.web.fc2.com/26nendokeikaku.html

地図
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http://digx.hatenablog.com/entry/2017/12/07/223539


「宮の本遺跡は、沖縄から北九州を経て北海道にまで至る、南島産貝製品(貝輪。材料はゴホウラ・イモガイ・オオツタノハ(貝の考古学(忍澤成視))*2の交易と関わる遺跡でもある。」

九州沿岸地域の島嶼間における原始・古代の文化交流に関する研究 上村 俊雄*3
https://kaken.nii.ac.jp/ja/report/KAKENHI-PROJECT-03610211/036102111991jisseki/

研究概要
「日本列島の近海に沿って流れる黒潮は、一つは九州の西を過ぎて日本海に入り本州および北海道の西岸を洗い、他の一つは太平洋岸側の伊豆諸島に達している。本研究では、黒潮の流れに乗って原始・古代の南島および大陸からどのような文物が往来したのか、また九州沿岸地域にどのように影響を及ぼしたのかなどについて調査研究を試みた。

調査研究の対象を1.南島産の貝製品(ゴホウラ・イモガイ・オオツタノハなど)、2.大陸の関係の深い支石墓の2点にしぼり、壱岐・対馬、五島列島などの島嶼および西北九州を中心とした九州西岸の沿岸地域を調査した。

1のテ-マの南海産貝製品のうち、ゴホウラ製貝輪は有川町浜郷遺跡(五島列島)、平戸市根獅子遺跡(平戸島)、イモガイ製貝輪は佐世保市宮の本遺跡(九十九島中の高島)、五島列島の福江島大浜貝塚・中通島浜郷遺跡・宇久島宇久松原遺跡、オオツタノハ製貝輪は宇久松原遺跡・福江島大浜貝塚などで出士している。

また、埋葬人骨にともなうアワビの副葬列が中通島浜郷遺跡、福江島大浜貝塚で確認されたが、同様な列は沖縄本島読谷村木綿原遺跡にもあり、弥生時代の五島列島と沖縄に共通した埋葬習俗が見られることは注目される。南海産貝輪は九州西海岸をかすめて北九州へ運ばれるル-トの中で五島列島へもたらされたと考えられる。

2のテ-マの支石墓については、甕棺・土壙・箱式石棺などの下部構造について調査した。九十九島の宮の本遺跡、五島列島の宇久松原遺跡・神ノ崎遺跡(小値賀島)・浜郷遺跡などの箱式石棺墓の中に南九州特有の古墳時代の墓制である地下式板石積石室墓を想起させるものがある。地下式板石積石室墓の祖源は縄文時代晩期の支石墓に遡る可能性を示唆しており、五島列島方面から南九州西海岸に到達したものと考えられる。この見解については平成3年11月9日、隼人文化研究会で「地下式板石積み石室墓の源流」と題して口頭発表をおこなった。」


沖縄では明刀銭(めいとうせん)や黒曜石(沖縄にはない)が同時に出土している。つまり2000年前、五島の弥生人はすでに中国と交流していたということである。

明刀銭
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沖縄県那覇市の城岳貝塚(ぐすくだけ・かいづか)から縄文晩期の土器ととともに出土した、中国戦国時代の青銅の貨幣。
縄文晩期に南島と大陸の間に船の交流がすでにあったことを証明する、画期的遺物。
当時の島人たちがこれをと貨幣と認識できたどうかは不明だが、3000年もの昔に、すでに大陸と島を横断できる船舶の力があったこと証明された。

同様な遺物は列島にはほかにないが、東北地方の三崎山遺跡からは青銅刀が出土している。いずれも縄文時代の遺物で、大陸と列島の交流を証明する遺物である。

松木武彦『列島創世記』より




随分前だが、このブログで海人族や五島隼人を扱ったときに、五島の漁師の人々が、こともなげに「中国には三日もあれば行ける」と言っている話を書いた覚えがある。

また貝の道分析で、五島隼人がこれに関わったはずのことも書いた。

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今回の高島宮の本遺跡の弥生人は、おおそらくそうした舟を漕ぐ海人族隼人であろうかと見える。ボートを長年漕ぐ人は骨が太い。縄文人でも海洋考古学の海部陽介が太い骨を発見していることも前に書いた。
https://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/58332793.html

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証拠品がそろってきた。

熊本大の木下尚子教授(考古学)は「西北九州沿岸の全ての弥生人が交易したとは言えないが、福岡平野の農耕社会を支えるダイナミックな海人の世界があった」と推測。その行動様式は縄文時代から続いている、とも指摘する
海人族はすごいのである。





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