考古学者・都出比呂志(つで・ひろし)はかつてお国自慢の考古学ということを言った。
お国自慢考古学とグローバルな越境考古学があると筆者も思える。
考古学に限らず日本の歴史学全体は、世界から見るとかなりいびつで、けったいなところから始まったと感じている。それは敗戦経験である。だから日本全体はそれまでの右より、民族主義的歴史観が一気に左へ動いて、津田左右吉のような左翼的、マルクス主義史観に大転換したことがあった。しかし既存の文献史学は、戦後の動きがどうあろうと、戦時中からの皇国史観、記紀至上主義的歴史観を捨てきれず、つい最近まで、古臭い政治性を持って書かれてあまりある記紀の主張を踏襲。それは考古学にも強く影響を与え続ける。歴史学・考古学が西欧的自然科学にはじまり、客観的分析を旨とすることを否定して、あくまで主観的歴史観や天皇観にこだわったのだった。
民間の歴史愛好家たちは、郷土史に埋没して、これもまた記紀記述や神社観を脱皮できず、かつての民族主義的史観を、便宜的な郷土愛へと置き換え、摩り替えただけ。いつまでも郷土復興、お国おこし、村おこしのために考古学や歴史学を証拠品として利用したかった。
しかし科学の立場から言うならば、それは本末転倒なのである。なぜ?を知るのに最初から記紀記述や神社祭神の主張、考古遺物を利用して、いかに古代の郷土人たちが偉大だったか、いかにわが故郷がすばらしいかを全国に訴えるというのは、畢竟、観光客や歴史ファンによる金銭の反映を望むたくらみなのであって、学問ではない。
あらゆる学問には、最初から想定された「こうだからこうだろう」という達成目標などあってはならないのである。やってみ分析してみて、あ、そうか・・・が学問の本文。最初に恣意があってはならない。
お国自慢考古学の代表は、京都府丹後半島にある弥栄町の太田5号前方後方墳から出た青龍紀年鏡の出土だった。弥栄町長は村おこしのカリスマで、これだとばかりにこの古墳をお国自慢にして、村おこししようと考える。ところがこの古墳はお隣の峰山町との境界線上にあった。で、出土遺物の管理はどっちがするかでもめることになってしまう。現在は京丹後市として合併されたので結果オーライであるが、当時はかなり話題になってしまった。
現在の行政区画である市町村や県境など、古代人にはまったく関係がない。
あるいは大阪府の三島古墳群の「三島」は、現在の茨木市・高槻市・島本町にまたがる広い地域だったので、古墳や遺跡がひとつの市におさまりきれない。しかし行政は縦割り。どこまでを協力しあえるかが問題である。
考古学の遺跡や遺物の管理はあくまでも地元行政に委ねられ、重要な一級遺物や遺跡だけが、たまに奈良県の国立機関や東京国立博物館が扱うことになる。縄張りがあるのだ。学問に縄張りがあることほどよそから見てこっけいな話はない。
これが世界となると、イスラエルのパレスチナとの和平(あのアラファト議長時代)のどさくさでのメッカ発掘は抜け駆け事件として有名である。メキシコのアステカ発見での国立民族博物館への金と力の入れ方のすごさなどもそうだ。それらはまさに民族主義的な国おこし事業なのであり、国威を高めるためにやられた考古学だった。利用されたのである。
かつてのローデシア共和国から黒人たちが独立したジンバブエは、「石の家」という意味の国名だが、それは独立運動のきっかけとなったジンバブエ遺跡をそのまま克明にしてある。先ごろ氾濫があって記憶に新しい国だ。かつてはとなりの南アフリカと同じく白豪主義によって黒人が奴隷同様な扱いだった土地である。これも石で造られた精巧な建造物群を見た白人考古学者が、黒人などにこんな立派な遺跡が作れたはずがないとされたために、民族運動が高まるきっかけになった事例だ。
一方アメリカ民衆には考古学という概念そのものがない。
彼らにとっての考古遺跡とは、南北戦争、独立戦争時代にリンカーンが住んでいた家とか、その程度のものである。
それ以前に北米大陸に歴史があったなど、つゆほども考え付かないのがアメリカ人である。インディアンや古代異民族の遺跡など、欧州学者しか興味のないことだった。インディ・ジョーンズのような人はかつて皆無だったのだ。200数十年しかない移民の歴史である。そんなのは考古学ではない。
日本の郷土史愛好家や邪馬台国愛好家などの史学を都出は同じくお国自慢考古学だと言う。そして邪馬台国九州説は判官びいき考古学だろうとも書く。全国では邪馬台国のあったのは近畿説より九州説がいまだに強いのだ。それは奈良をのぞく全近畿でもそうなのだ。その割合は九州説支持が一般好事家で6割。近畿説支持が4割という数字に表れている。しかし九州説がいまだに支持される理由が都出の言うような判官びいきだとは筆者は思えない。判官びいきとは九郎判官源義経のように、追い込まれて逃げてゆくヒーローを多くの日本人が、主観的なお芝居のお涙話をして大好きであるという意味で、それでは現在、九州説が風前の灯であると言っていることになる。そういうところが近畿学派が嫌われる部分でもあろうに。よく言えるものだ。まことに佐原系学派っていつもこれだ。しかも史観が大和至上主義で戦前並みのままだ。
都出はお国自慢考古学だ、グローバルに越境しなければと言い募る、その反面で、あくまでも大和至上主義者に見えてしまうのである。それこそが彼もまた奈良県とか、近畿とかいう、かつての皇国民族主義から脱却できていない証拠だと気づかない。
地元の歴史を知るためには、それこそ地球の歴史からおおかた知っておくべきなのだ。あとからでもかまわないから、世界史、地球史、宇宙史から始め直さねば自分の立っている足元の土地の歴史など語る権利がないと筆者は考えた。だからこのブログを書き始めた。
20代で大阪で働き始めたとき、最初に中ノ島図書館で大阪市の歴史本をざっと読むことから始めた。18歳で京都の大学に入ったときは、まずは京都や奈良をデートコースにして検分して回った。それが住むということ、先住している地元民への礼儀だと考える人間である。まして北部九州・奈良・京都のような歴史の古い土地ならなおさらである。
九州で産まれて18歳で故郷を一旦捨てて関西に出て行った。それがまた九州へ帰ってきたのは、秦氏を知りたかったのが一番だが、渡来人を知ることはそのまま日本人を知ることだと言う確信もあったのである。なぜなら日本人とは弥生人だからだ。アイヌや蝦夷や琉球やではなかったのが古代だからだ。渡来人が京都や福岡や大阪や北関東の文化をまず作ったのだ。農業も芸術も技術も書道も、あらゆる日本文化の停留には彼らが先生として存在した。だから彼らを尊敬した。現代の半島人への感じ方と、それはまったく別のことである。一事は万事では、ぼくの中では決してない。わけて考える。
次回、なぜ近畿考古学は藤ノ木古墳の発掘を途中放棄したのか?
現在、ブログの引越し先を模索している最中だ。
ヤフーが言う五月まで待っていたらよそのブログへの引越しが集中してしまう。早めに済ませたい。
で、とりあえずKawakatuわーるどブログをただいま引越ししている。一週間もあかるかもと言う。案の定ヤフーからの引越しが分散してさわぎを起こしているのだろう。普通なら数時間でできるはずのことがこんなに時間がかかるのだろう。
どこに引っ越したかは今は書かない。
ヤフーはメールもなにもかも、いずれは全部やめるつもりである。何個もIDを持ってももう管理が邪魔臭い年齢だ。そうなれば今来ている迷惑メールの「あなたのIDが」とかどうのも減るだろう。しかし反面で新しい引越し先のIDにちょっかいする奴も出てくるかもしれない。相手はいたちで切りがない。もうメールをやめるつもりだ。誰にも教えていないので、一通もメールが送れなくしてある。というよりも、誰からもメールを受けるつもりがない。没連絡の隠棲生活だから。
エリック・クラプトンのコケインを聞きながらテレビであいつお顔を眺めているが、テクノ全部の汚名を感じた坂本龍一がコメントを出したように、彼らの音楽まで配信させないとか、映画も上映しないとか、日本人は少し、今、世界から見て相当おかしな方向へ向っている。
動物への過剰愛護を朝日だけが放送してみたり、人間よりも動物という
流れも異常で気味悪い。必要以上にそのことを許せないと叫ぶ異常な動物愛好家。そのえさをやる行為はかつて保健所の顰蹙を買う行いだった。
これらの動きは、民族主義なのである。
安倍首相の昨今のやや異常に見え始めた日本愛も民族主義である。
民族主義に偏ってゆく日本の若者たち。
異常な殺しと強盗殺人、麻薬、覚せい剤、少子化、結婚激減、日本人消滅説・・・すべてが空気に満ち溢れる「悪意」という民族主義のなしている作用ではないか?
戦争したいなら俺が死んでからにしてくれ。
俺は70までにこの世界から消えたいと考えてきたが、ブログのサービス終了は、実は俺に死に時はいまだと教えたように見える。そろそろこの既存のニホンにはあきあきしている。自分はこの世界には合わない。内田裕也に似ている。できるなら早く、最悪の世の中になる前に消え去りたいと切に願っている。
おそらくそういう私の考えは正しいのだ。