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アイスマンの鍼灸あとと鏃

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アイスマン2http://youtu.be/6WZGExaSQc4
ビデオは1~3まであるようだ
 
 


 
◆タトゥーと鍼灸の一致
もっとも興味深いのが、腰椎すべり症の治療を施していたということ。これを解明した人物が、オーストリアの医学博士で鍼灸を研究しているレオポルト・ドルファー医師。アイスマンの手足と腰部に、不思議な模様をしたタトゥー(刺青)が15か所あり、それらの位置を調べたドルファー博士は、鍼灸治療のツボの位置とほぼ全てが重なっていることに気づいたのです。腰椎すべり症によって左の腰部から足にわたって坐骨神経痛に悩んでいたアイスマンは、ツボと符合する箇所に、まるで鍼灸を施すようにタトゥーを施したと推理したのです。こうしたアイスマンと鍼灸との関連は、すでにScience誌(98年)や全日本鍼灸学会雑誌(99年)に掲載されていますが、今回TV映像として初めて目の当たりした衝撃は大きなものでした。
http://anshindohariq.blog.fc2.com/blog-entry-97.html
 
 
「アイスマン 5000年前の男は語る」、NHK、2013.4.13


NHKでやっていた、アルプスの冷凍ミイラ、アイスマンの調査番組。録画したものを今頃見た。

アイスマンって、もっと昔に見つかっていたはずでは、と思っていたら、遺体を解凍してサンプルをとって調べたのは最近のことでした。

瞳は茶色、胃の内容物からはパンらしきものがわかり、体に入っていたのは煤で入れた入墨。これは全部、鍼灸治療のツボの位置に入っていた。しかも体には治療が施された痕跡があり、5300年前のヨーロッパにも高度な医療技術があったことがわかった。

遺体は冬山登山に耐えられる装備を持っていて、死因は凍死だと思われていたが、左肩に鏃が埋まっていたので、生贄として死んだのではないかと思われていた。マチュピチュ遺跡で見つかったミイラと同じ。アイスマンが見つかった山麓には、同時期の石碑に背中から矢を射られる人の姿が描かれていた。

しかし、遺体からは植物の花粉が見つかったことで、アイスマンが死の直前、山中を激しく動いていたことがわかった。そこでアイスマンは殺害されたと考える説もあった。

調査の結果、脳から取り出された検体で、後頭部に出血の跡があることがわかり、さらに右目の上の傷が強打されてできたこともわかった。これで、アイスマンは殺害されたという説が有力になった。鏃だけが残り、矢が抜き取られていたのは、矢の特徴から犯人がわからないようにするためだったらしい。

遺体の調査から謎解きするプロセスがおもしろい。5300年前で、中東の文明地域から遠く離れたアルプスでも、高度な社会生活があった。この調査もいずれ本になると思うので、これはたのしみ。
 
 



鍼灸は中国で3000年前に生まれた医療というのが常識だったが、アイスマンの刺青が鍼灸治療のためのマーキングだったことが判明。鍼灸の歴史が一気に2000年も遡り、それが中国が最初ではない説が出ることになる。欧州学者には感涙、中国学者には青天の霹靂であった。
 
お灸治療を受けられて、うまいものを食っていて、相当にいい登山身なりだった男・・・つまりかなりの身分の王族クラスだ。それがなぜ、背後から矢を受けたか。なぜ花粉分析で、アルプスの山中を上下に上り下りして森の中を縫うようにうごきまわったか?
 
それは彼が追われる逃亡者となったからだという。
 
背後からの鏃は、矢を切り取られ、誰が打ったかわからないようにしてあった。頭部に打撲されて、脳内出血したことがわかった。これがとどめである。
 
うつぶせに倒れて、左腕が奇妙に体の下に折れ込んでいたのは、一旦あおむけに倒れてからひっくり返されて背中の矢を抜かれたためだとされた。
そのとき後頭部に岩で打撲を受けた。
外科手術で赤血球のかたまりが脳内に見つかってここまでわかった。
 
 
 
5000年前のヨーロッパ・・・・
 
背後から矢を打たれるのは欧州の石版に絵があって、それは神へのいけにえ風習であると言う。
思いつくのは、日本で人身御供が、鬼とされて追い回されたあげくに殺されるというトウヤ風習である。
尾張国風土記などで、一日トウヤとか、一つ目風習として出てくる。片目にされ、片足を傷つけられて森を追い回されたあげくに、殺されて神への生贄になったという凄惨な風習である。
 
どうもアイスマンもそうだったのだと思いたい。
うまいものを食わされたのは、山野を充分に駆け回れるように、彼が久しく「飼われていた」ためではあるまいか?片目にはなっていなかったようだが、最初から背中に矢を打ち込まれた上で山に放たれ、逃げ回ったのではあるまいか?
 
鍼灸治療は治療だったのではなく、痛めつけるための手法だったかも知れない。マーキングである。
 
意見は科学性を帯びてから、暗殺説へ傾いているが、人類学者の言う生贄説もまだ捨てがたい。
 
 
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