道教
◆概略
「道教は漢民族の土着的・伝統的な宗教である。中心概念の道(タオ)とは宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指す。道の字は辶(しんにょう)が終わりを、首が始まりを示し、道の字自体が太極にもある二元論的要素を表している。この道(タオ)と一体となる修行のために錬丹術を用いて、不老不死の霊薬、丹を錬り、仙人となることを究極の理想とする。それは1つの道に成ろうとしている。
◆概略
「道教は漢民族の土着的・伝統的な宗教である。中心概念の道(タオ)とは宇宙と人生の根源的な不滅の真理を指す。道の字は辶(しんにょう)が終わりを、首が始まりを示し、道の字自体が太極にもある二元論的要素を表している。この道(タオ)と一体となる修行のために錬丹術を用いて、不老不死の霊薬、丹を錬り、仙人となることを究極の理想とする。それは1つの道に成ろうとしている。
神仙となって長命を得ることは道を得る機会が増えることであり、奨励される。真理としての宇宙観には多様性があり、中国では儒・仏・道の三教が各々補完し合って共存しているとするのが道教の思想である。食生活においても何かを食することを禁ずる律はなく、さまざまな食物を得ることで均衡が取れ、長生きするとされる。
老荘すなわち道家の思想と道教とには直接的な関係はないとするのが、日本及び中国の専門家の従来の見解であった。しかし、当時新興勢力であった仏教に対抗して道教が創唱宗教の形態を取る過程で、老子を教祖に祭り上げ、大蔵経に倣った道蔵を編んで道家の書物や思想を取り入れたことは事実で、そのため西欧では、19世紀後半に両方を指す語としてタオイズム(Tao-ism)の語が造られ、アンリ・マスペロを筆頭とするフランス学派の学者たちを中心に両者の間に因果関係を認める傾向がある。それを承けて、日本の専門家の間でも同様な見解を示す向きも近年は多くなってきている。」
「道(タオ)は、自然とか無為と同義とされ、また陰陽の思想で説明される。道は真理であり、無極(むごく)と呼ばれ、また太極とか太素と呼ばれる。これらの思想は、太極図で示される。朱子学として大成される宋学の形成に重要な役割を担ったのは、この太極図である。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E6%95%99
◆歴史
「道教の歴史は、中国の歴史と密接な関係を持っています。それは当然のことです。なぜなら、道教とは中国の人々の思想・信仰のすべてを包容した非常に多面的な宗教だからです。
殷~西周:中国文明のあけぼのといえる殷王朝から、初の封建社会を築いた周王朝前期まで。自然神、祖先神への信仰が見られる。
春秋戦国時代:周の支配力が衰え、諸侯が覇権を争う時代。諸子百家における道教的な思想を探る。
秦:始皇帝による中国全土の支配が完成した頃の道教の状況を見る。
漢:中国に安定期をもたらし、儒学も盛んになった時代。この頃、道教ばかりでなく仏教も現れつつあった。
五胡十六国:中国に異民族が侵入してきた混乱期。道教にも新たな動きが見られる。
隋:日本でも有名な煬帝の時代。道教はあまり振るわなかった。
唐:日本でも最も有名な時代であろう。道教はこの頃、唐王朝に保護されていた。
宋:混乱期を経て再び安定した中国。全真教など道教における革新派を見る。
明~清:最後の王朝を経て時代は近代へと近付いていく。道教はその勢力を失っていった。
http://homepage2.nifty.com/zhuang-zhou/doukyouF/rekisiF/rekisi.html
http://homepage2.nifty.com/zhuang-zhou/doukyouF/rekisiF/rekisi.html
◆日本の道教
日本の筑紫などへはすでに1世紀頃から道教的な神仙思想が中国南部から流入している。しかしそれを「道教」という教義の設けられた4世紀以降の中国思想と同一だったとは言いがたい。また三角縁神獣鏡にたまさかよく描かれる東王父(とうおうふ)や西王母(せいおうぼ)や神獣、葡萄などの絵柄や、永遠の模様である葡萄唐草、忍冬唐草などなどのモチーフも、近畿地方で取り込まれても、観念的に道教の真義を充分に理解していたとは言いがたい。奈良時代までの大和における神仙思想は筑紫とは違って朝鮮からもたらされた加工された道教であり、むしろ古い時代の筑紫に入った神仙思想は南朝直送の古い時代のものだったと言える。つまりともに正しい意味の中国道教を理解していたかどうかは、はなはだ疑問である。
平安時代前後に陰陽道が花開くが、その前に731年、役小角の弟子である韓国連広足(からくにのむらじ・ひろたり)が天平道教の呪を執り行うという記事が『令集解(りょうのしゅうげ)』に『古記』として引用されている。これが日本での「道呪」の記録上の最初であるが、それ以前に、先に書いたように用明天皇に医療をほどこした豊国法師、その前には豊国奇巫(きふ)が来たとある。もちろんこれらは豊前・宇佐の祭祀に関わった巫師であろう。
その宇佐の巫師であっただろうのちの辛島勝氏(からしま・かつうじ)が「からしま」と名乗ったように、彼らは朝鮮半島から来た道教の秦氏から出た巫師ではないかと推測でき、カラクニから来たという名乗りで韓国連と同根であると考えてよい。先の古伝では確かに広足の名前は「辛国連」と表記されていて、辛島の「から」と同じである。また広足の職掌が「典薬頭」だったことを忘れてはならない。巫師とは同時に医術士・薬剤師でもあるのだ。
勝とはなにか?玉勝やうずまさの「まさ」で考えれば、それが「すぐれたもの」を差すことは間違いがない。
また辛島氏と同族の常世連(とこよのむらじ)もまた元は秦氏から出る赤染氏という銅鏡製作者=治金鍛冶である。染色の始まりも鉱物、薬剤師の始まりも鉱物である。
こうした朝鮮系道教を最も最大に受け入れたのは天武天皇なのである。つまりあらゆる日本史の革命的改革の始まりは天武天皇にあるとするのが正しい。それ以前の『日本書紀』の記述は、天武の業績を前倒しにちりばめてあるだけである。
このように日本の道教的巫師の始まりをまずは英彦山信仰・八幡信仰・香春岳信仰そして宇佐信仰・宗像信仰からと見るのがよいだろう。となれば日本の道教の源流はやはり筑紫でも朝鮮流だったことは明白である。となると問題は唐古・鍵遺跡の2世紀前後には、すでに長寿の妙薬であった太一禹余糧(たいいつうよりょう)を入れた褐鉄鉱の容器が出ていることである。
近畿でそんなに早くから道教的な不老長寿の鉄分が利用されていた理由は、考えられるのは京都にいた秦氏などからの入手としか考えられまい?それも深草遺跡よりももっと古い渡来人遺跡の人々であるから宇治市街地遺跡の弥生時代後期、あるいは近江、あるいは大和吉野あたりに住まう先住渡来人がもたらした。秦氏の場合、深草秦氏は水銀・砒素という不老長寿の仙薬でおおもうけしたのだから、知っていたのである。
ヒ素が不老長寿の妙薬だとされていた証拠は鎌足?(阿武山古墳被葬者)の髪の毛から出た砒素成分である。水銀・鉄・ヒ素などが妙薬になるのはそれがミネラルであるからだ。ミネラル・ミネラルとネコも杓子も現代人はありがたがって言うが、ミネラルとは英語で鉱物のことである。必要ミネラルとして鉄・亜鉛などが大事なことは栄養学をかじったものなら知っているだろう。しかしもちろん必要最小限の摂取が身体にいいのだ。大量にとればなんだって毒になる。しかも水銀やヒ素は猛毒である。薬どころか命をうばう毒薬でしかない。
そんなものを摂取してまで長生き、不老不死になりたい、それが人間である。おろかである。
道教も、宗教というものはそういう足許をみすかしてようやく商売たりうるものだった。
無学の時代とは、まことにもうけぐちが多い時代である。
今のように教育が行き届くと、なかなかそんな詐欺まがいの方便もきかなくなるはず・・・・あれ、やっぱりなにかと騙される人がいますか。主観で生きるからだろうかねえ?世の中には不思議なことがまだまだあると言うけれど、もしかするとそういう人種が不思議を勝手に作り出しているのじゃあないか?面白いねえ、人間は。
今のように教育が行き届くと、なかなかそんな詐欺まがいの方便もきかなくなるはず・・・・あれ、やっぱりなにかと騙される人がいますか。主観で生きるからだろうかねえ?世の中には不思議なことがまだまだあると言うけれど、もしかするとそういう人種が不思議を勝手に作り出しているのじゃあないか?面白いねえ、人間は。
日本では神獣鏡以前の縄文・弥生の原始信仰にはすでに中国的な神仙思想・不老長寿への願望が表現されている。いわゆる甕棺の水銀やベンガラ塗布などは、まさしく死体の腐食を防ぐと同時に、霊魂を食う魔物を防ぎ、天上界へ登った祖霊・魂魄の肉体への復帰が望まれていたのだと理解できる。
さらに古墳時代の3世紀後半の近畿でも、神獣鏡の西王母がかぶる玉勝(たまかつ・ふたまたの触角、あるいはツノのある冠)を描かれることがあった。ところが、このような西王母の姿は1世紀あたりの兵庫県桜ヶ丘銅鐸に簡略化されてすでに描かれている。
西王母の姿は中国では、ななめに女性すわりして、スカートのドレープがななめに波打って描かれ、手には桛(かせ)を持ち、頭には玉勝というティアラをかぶっているのが定型になっていた。
◆目的は仙人
さて、道教が受け継いだ、それまでの神仙思想とはおおまかにどのような教義を持っていたのだろう?
まず長寿は仙人になるための長い修行には不可欠だとされた。(こういう部分が逆に即物性・現実主義の中華思想の元じゃないか?老荘の教義とはかけ離れていく)
まず長寿は仙人になるための長い修行には不可欠だとされた。(こういう部分が逆に即物性・現実主義の中華思想の元じゃないか?老荘の教義とはかけ離れていく)
つまり道教とはまずもって仙人になることを目的とした、不老長寿思想だったと言ってもよいだろう。
それが仏教のような教義が必要になり、老子のような伝説の仙人になるための先生像が作り出され、ついで荘氏のようなそれを受け継ぐ弟子が出てきた。これは宗教発展のための定型的手法である。儒教も同じであるし、キリスト教も同じ。あらゆる宗教・宗派が。元祖がいて、弟子がそれを発展させることになっている。ひどいのになると真宗のように現世的な世俗的な弟子・蓮如がいなかったらすたれてしまった宗派さえある。宗教といえども発展のためには金も力も必要で、中興の祖というのがそういう汚れ役を演じるのである。そういう演出は芸能によく似ている。いやそっくりである。なぜなら中興の祖というのはだいたい渡来人の子孫で金持ちだったのだから。
西王母の髪飾り1 玉勝とY字型聖杖と糸巻きカセ http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54278766.html
西王母の髪飾り2 聖なる形・ゴンドラの形 http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/54279185.html
なんと言っても世の中は教義よりも金である。
これだけは絶対に間違いがないのである。
Wiki陰陽より
だから金克・金気(西)こそが重要で、すべてに金がうわまわり、あげくのはてが亡者のようになって土(黄)に変えることになるわけだ。それがあんただ、おれだ、おまえだよ。
人の一生なんて所詮は亡者の繰言だね。
かわかつワールド!なんでも拾い上げ雑記帳 http://blogs.yahoo.co.jp/hgnicolboy/MYBLOG/yblog.html.
Kawakatu’s HP マジカルミステリーコレクション渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
民族学伝承ひろいあげ辞典http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/MYBLOG/yblog.html/
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Kawakatu日本史世界史同時代年表http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nennpyou.html
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