Quantcast
Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1881

[転載]黒歯國はここだ!南米チリのチロエ島・マプチェ族のDNAはアイヌ琉球縄文人系

$
0
0
イメージ 1
 
 
 「今から7,000年以上も昔、縄文人が海流に乗って南米大陸まで航海してエクアドル人になった、あるいは現地人と混血した、と考える事は決して奇想や妄想ではない。 
  2001年、ミシガン大学のローリング・ブレイズ教授を中心とする米国・支那・蒙古の共同チームは、世界中の1,000個以上の頭蓋骨を21ヶ所の特徴で照合調査した。   
その結果、9,000年前の古い地層から出土する先住民(最初にアメリカ大陸を踏んだ人々)の人骨は、日本のアイヌ・縄文人・ポリネシア人に最も近い構造をしている、と発表した。   
世界の民族から27,000人の血液データを採取して遺伝子(DNA)による民族間の近親性を調べた研究がある。   
その結果、ペルーの先住民にもっとも近いのはアイヌ人だった。
チリ西岸のチロエ島の島民のDNAは「日本人に極めて近い」と判定されている。   
日本人と南米先住民は、21,000年~14,000年前に共通の祖先から分岐した、という遺伝子研究の成果もある。   
倭人が南米の分国と盛んに往来していた頃、現地には確かに裸で暮らす部族や歯を黒く染める部族がいた・・・。
バルディビア遺跡から出土する土偶は、裸体で歯が黒く、前頭部に入れ墨をしている。   
100年ほど前まで南米西岸にパサードス裸族がいたし、現在も南米の深い密林の中に全裸で暮らす先住民がいる。   
ウイトの木の実を用いて歯を黒く染めるカヤパス族もいる。   
江戸時代まで日本の女性は成人になるか、嫁入りすると歯を黒く染める「おはぐろ」という風習があった。   
南米の黒歯の風習は日本の「おはぐろ」とは異なって、歯を健康に保つために染めているのだが、二つの文化は太古にはなんらかの関係があったのではないか・・・。
エクアドルのジャングルで昔ながらの生活を守り続けるコロラド族は、縄の結び方で記録する桔縄(けつじょう)文字である「キープ」というものをを有する。   
ペルーのインカ帝国は16世紀まで桔縄文字を使用していた。   
倭人について書かれた5世紀の『隋書』倭国伝にも、「男女多く膚(はだ)に黥(げい)し、面に点し、身に文し、水に没して魚を捕う。文字なし、ただ木を刻み、縄を結ぶのみ」とある。    
倭人には入れ墨の風習とともに桔縄文字があった。   
大陸から文字が入ってきた後も、庶民は伝統的に縄を結ぶ伝達方法を捨てなかったのだろう。   
縄文人の同種とされる沖縄の琉球人も、近年まで「藁算(バラサン)」と呼ばれる桔縄数字を日常的に使い、島と島の近海交易で筆記に代わって広く用いていた。」
※ 参考文献
『「邪馬台国」は無かった』  『倭人も太平洋を渡った』  『古代の霧の中から』
『海を越えた縄文人』  『魏志倭人伝の航海術と邪馬台国』  『幻想の古代文明』  『海の日本史』
http://plaza.rakuten.co.jp/realityofusa/diary/201103050000/
 
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
イメージ 4
 
 
●チリ西岸の小島チロエの原住民とは?
・概要と地理
「チロエ島(スペイン語:Isla de Chiloé)は、チリのパタゴニア地方、ロス・ラゴス州にある大きな島。面積は8,394km²で、チリの島ではフエゴ島に次いで広く、南米でも5番目に広い島。チロエ島とその周辺の小島で構成されるチロエ諸島の主島である。Isla Grande de Chiloéともいう。
島の人口は155,000人(2002年)。主要産業は、農業、林業、サケ養殖、観光である。2000年にチロエの教会群が世界遺産に登録され、観光客が増えている。
・原住民
チロエ島には先住民として遊牧民のチョノス人がいた。後からやってきたマプチェ族の人々が東海岸で漁業や農業を行った。
・歴史
1817年12月、チリの独立で追われたスペイン軍の最後の拠点となる。
1826年1月、スペイン軍の残党が降伏し、チロエ島はチリ領に併合された。
1834年から1835年にかけてチャールズ・ダーウィンが島に滞在し、南部チリの印象を彼の日記に残した。
1960年、チリ地震で壊滅的な被害を受ける。
1982年、カストロが再びチロエ県の首都になる。
2000年、チロエの教会群が世界遺産に登録される。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%AD%E3%82%A8%E5%B3%B6
 
●チョノス人とベリチェ族
「この辺り(チロエ周辺)には、もともとはチョノスという部族とベリチェと言う部族が住んでいたらしい。チョノスは海に出て魚をとって生計を立て、ベリチェ(これは本土のマプチェ族の親戚らしい)は農業と海岸での貝や海草の採取で生活を立てていたという。そうか、日本では海ひこ、山ひこの話だな。分かる。昨日バスで会った、ここからまだ船で六時間の小島に住んでいるおばさんはチョノスの人だったわけか。」
http://www.geocities.jp/peter_fujio/viaje/viaje02.html
チョノス人は遊牧民なのだからこれは間違いであろう。漁師はマプチェ族である。けれどもしこの伝聞記事が正しいのなら、先住民チョノスは遊牧民でありながら漁師でもあったということになるが、それはエスキモーに似ている。しかしこのサイトの伝聞はWiki記事と矛盾する。
ベリチェという部族はここ以外ではヒットせず、ベリチェ語が一件ヒット。「チョノスとベリチェ」は「チョノスとマプチェ」ということだろう。(Kawa)ベリチェはマプチェの類縁種族であるようだが、詳細不明。
いずれにせよ「先住の山の民」と「後から来た海の民」がチロエには同時存在した。
最も好んだのは鮭(太平洋サーモン=日本と同じタイヘイヨウサケ種つまりシロザケ・ベニザケ・カラフトマス)である。
サケの分類参考http://bailebeag.cocolog-nifty.com/scotland/2006/10/post_9712.html
チェノス人は現在はどうなったのか不明である。生き残りはいないのか?

●マプチェ族(Mapuche、マプーチェ族とも表記される)は、まれびと精霊信仰の女性シャーマン社会
・概要
「チリ中南部からアルゼンチン南部に住むアメリカ州の先住民族。民族名は、彼らが話すマプチェ語で「大地」(Mapu)に生きる「人々」(Che)を意味する。マプチェ族は、南アメリカ南部を支配し、インカ帝国やスペインの侵略に対し長く抵抗を続けた民族として知られている。彼らは生計を農業に依存し、ロンコ(lonco)と呼ばれる首長のもとで血縁関係を単位とした社会を構成していた。戦争のときには「トキ」(toqui「斧を持つ者」の意)というリーダーを選出し、その下に連合してより大きな集団を形成することもあった。
・民族
マプチェ族は共通の社会構成、宗教、経済構造、言語的遺産を引き継いだ数多いグループからなる広い地域に住む民族である。その影響はアコンカグア川とアルゼンチンのラ・パンパ州(en)に挟まれた地区全域に及んだ。チリ中部の山峡地域に住み、スペイン人からはインカ帝国の一部とみなされたピクンチェ族(es)や、ウイジチェ族(es)、クンコ族も同じ一派と考えられている[3]。マプチェ族は、ウイジチェ族・ラフケンチェ族およびペウンチェ族と同様にイタタ川とトルテン川の間にある谷に住んでいた。これは、「マプチェ族」をラ・アラウカニア州に居留した部族に限定した狭義でも、ピクンチェ・ウイジチェなど諸族を含みアラウカーノ語族とした広義でも当てはまる。フェルディナンド・マゼランによってパタゴン族(en)と呼ばれた北部のAonikenk族は、マプチェ族と交流を持ち言語や文化への影響を受けたラ・パンパ地域のテウェルチェ族に属する少数部族とされている。このようなマプチェ族の言語や文化が南アメリカ西部の諸族へ影響を及ぼす過程はスペインの進出後も継続し、この一連の伝播をアラウカナイゼーションと呼ぶ。
・言語
マプチェ人の言語は、アラウコ語族の代表的言語であるマプチェ語(マプチェ・ドゥングン=「マプチェ人の舌」の意味)を用いている。これは、北アメリカ先住民族言語にも見られる複雑な動詞語幹を特徴とする。一方で文字を持たず、神話などはもっぱら口頭で伝承されて来た[9]。大別すると二つの系統があり、ウイジチェ語系とマプチェ語系に分けられる。言語学的には直接関連していないが、いくつかの語彙にケチュア語からの影響が識別されている。
・信仰
マプチェ族の信仰はマチと呼ばれる祈祷師が執り行う儀式を中心とした自然崇拝に分類される。彼らの信仰では、伝承『Trentren Vilu y Caicai Vilu』が重要な位置を占める。さらにNgenやPillanなどをはじめとする自然崇拝に基づいた霊的存在が信奉されている。Machiマチはシャーマニズム的な特徴を持ち、通常は女性が担いつつ、年長の者が後進を指導する。マチは多様な薬草などや科学的な知識を広く持ち、病気治療(マチトゥン)や悪霊払い、または雨乞い(ギジャトゥン)や豊作についての儀式や社会的な交流などを執り行う。
・音楽
マプチェ族では、音楽は儀式の一環として演奏される。木製の笛ピフィルカ(Pifilca)、角のホルン・トゥルトゥルカ(Trutruka)、片面太鼓クルトゥルン(Kultrun)、口琴トロンペ(Trompe)など固有の楽器を用い、列になって演奏しながら祭壇を廻る。この他にも、語り調の歌も伝わっている。現代にマプチェ音楽を伝えるミュージシャンとしては、アルゼンチンのベアトリス・ピチ・マレンなどが活躍している」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%97%E3%83%81%E3%82%A7%E6%97%8F
●お歯黒の発祥地か?
先史時代の入れ墨の道具は南米でも見つかっている。オナ族やマプチェ族は海人系で文身風習があったらしい。
お歯黒風習は魏志の黒歯国を思わせる。
●ジャガイモやナスの発祥地のひとつ?
「環境保護論者はチリ政府に対して、南部チロエ島での遺伝子導入技術を禁止すること、チロエ島をボリビアやペルーと並ぶジャガイモ(Solanum tuberosum:ナス科 ナス属)発祥の地として承認することを要請している」
http://janjan.voicejapan.org/world/0610/0610253430/1.php
●フエゴ島と古い交流
オナ族との間で交流が続いていた
●魚食民族
生で食すかどうかは不明。刺身で魚を食う風習は日本とトンガ・フィジーだけである。しかし魚食であることは間違いがない。
●音楽を奏でながら歩き周回するというのはナスカ人や日本のチンドン屋に似ている。
●見た目はすっかりインディオ
 
イメージ 2
 
イメージ 3

http://www.unicef.or.jp/children/children_now/chile/sek_chile03.html
http://www.pref.fukushima.jp/kokusai/wwt/chile/yamadera_mapuche.html
どうやら海人族らしくオナ族よりも行動範囲が広いためにすっかり混血しているようだ。スペイン系や新モンゴロイドとの混血が済んでしまっているので、見た目では日本人に似ていない人が多いようだ。しかし中には原種を残す顔つきもある。浅黒いのはどうもインディオのようだが?
●国立遺伝子研究所の宝来が分析したチロエ島民とは、果たしてマプチェ族のことでいいのだろうか?
 
イメージ 1
 

転載元: 民族学伝承ひろいあげ辞典


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1881

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>