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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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年末の重要な考古学ニュース抜粋

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1)全国有数の古墳群、岩橋千塚古墳群で最大級の前方後円墳、大谷山22号墳(和歌山市、全長67メートル)から昭和41年に発掘された埴輪の破片が、これまで和歌山でしか出土していない、矢を収める「胡ろく形埴輪」だったことが分かった。市教委文化振興課によると、国内2例目の出土といい、発掘から48年目に「真実」が判明。和歌山に独自の埴輪文化があったことを裏付ける貴重な資料となりそうだhttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131217-00000060-san-l30
 
 
 
2) 長崎県壱岐市教委は14日、同市の弥生時代の環濠(かんごう)集落カラカミ遺跡で、国内で初めて鉄生産用の地上炉跡が複数見つかった、と発表した。  弥生時代では明確に確認されていない精錬炉跡の可能性があるとしている。専門家によると、日本で精錬が始まったのは6世紀後半とされており、従来の定説の見直しにつながる可能性もあるという。  市教委によると、炉跡は少なくとも6基あり、竪穴住居跡の中で見つかった。弥生時代後期(紀元1~3世紀)の複数の時期のもので、床面に直径約80センチの範囲で焼土塊が広がっており、床面に直接炉を築く地上式とみられる。炉に風を送るふいごの一部や棒状の鉄素材も出土している。  これまで国内各地で確認されている鍛冶炉は地面に穴を掘ったものだが、今回は韓国南部の遺跡などにみられる精錬炉跡に似ているという。  市教委は「カラカミ遺跡では鉄素材が多く出土していることからも、精錬炉だった可能性がある」と指摘。朝鮮半島から1次素材を輸入し、本土へ鉄を供給する中継交易拠点だったと推測している。
  カラカミ遺跡は、「魏志倭人伝」に記された「一支国(いきこく)」の王都とされる「原(はる)の辻(つじ)遺跡」(国特別史跡)とともに、一支国を構成する集落と位置づけられている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131214-00000733-yom-soci
 
 
 
3) トルコの遺跡からアッシリアの精巧なライオン像
読売新聞 12月15日(日)11時24分配信
トルコの遺跡からアッシリアの精巧なライオン像 
読売新聞
 中近東文化センター(東京都三鷹市)付属アナトリア考古学研究所が発掘調査しているトルコ中部のヤッスホユック遺跡で、アッシリア商業植民地時代(紀元前20~前18世紀頃)のものとみられる、鉛製の小型ライオン像が出土した。
  当時これだけ精巧な鉛像は珍しく、鋳造技術の高さを示す貴重な遺物となる。
  像は高さ6・6センチ、幅1・4センチ、厚さ0・3センチ。ライオンが後足で立った姿をかたどり、表面に短い平行線を重ねた模様で体の毛が表現されている。同遺跡で発掘が続く同時代の直前頃の宮殿跡を覆う土の中から出土した。同研究所によると、トルコが位置するアナトリア半島では、同時代の植民都市遺跡で鉛製の人や神の小像がわずかに出土しているが、ライオン像は初。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131214-00000702-yom-soci
 
 
 
4) 竪穴系横口式石室や馬具 観音寺狼谷山遺跡から出土 鳥取・米子
産経新聞 12月12日(木)7時55分配信  山陰地方で珍しいとされる竪穴系横口式石室を持つ帆立貝(ほたてがい)形古墳が、鳥取県米子市宗像の観音寺狼谷山(かんのんじおおかみだにやま)遺跡から出土し11日、市文化財団が発表した。石室内から副葬品とみられる馬具も見つかった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20131212-00000022-san-l31
 
 
各記事リンクは時が立てば削除されます。
 
 


 
 
2) 大谷山古墳群は幾度か記事にしてきた和歌山の海人系種族の墓。
九州北部とのつながり、東海・東国とのつながりの遺物がこれまでもいくつも出ている。特に特徴的埴輪が多数。岩橋千塚、大谷古墳を中心とする大古墳群である。
 
「ころく」は実戦用の弓容器。弓の羽を上にして入れる筒である。鏃(やじり)を上にする靫は「見せる弓矢容器」でやじりが上になっている。やじりが上ということは手を怪我するわけで、つまりみがいたやじりを光らせて敵に見せつけ、味方には鼓舞させようという道具。ころくが出るということはここの人々が実戦的戦闘集団だったということ。古代にころく埴輪は和歌山のふたつだけ。
 
2)カラカミの住居内精錬炉はきわめて珍しい発掘。ここが一支国(壱岐国)の副都心で工業都市だったことになるし、この炉跡が「工場」だろう。竪穴式住居の中に精錬場があるのだからまさに工場であろう。
 
3)アナトリアとアッシリアの蜜月時代の遺物か?
 
4)東出雲、つまり松江周辺でホタテ貝式が出たということは、少なくとも3世紀に畿内型の古墳が来ていたということ。
 
 
 
来年はどんな発見があるだろう。楽しみである。
 
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