季節はずれのかぐや姫
http://youtu.be/ZY5J03EDe9k 今宵「大雪」だそうな。 筆者の住む九州で大雪などまずは20年に一度、それも北国から見ればほんの名残雪程度でしかないだろう。 暖かい夜だ。木枯らしも吹かない。...
View Article人類学二題/本土でなぜ人骨は出ないか?
40万年前のヒトDNA解読に成功 ドイツやスペインの研究チームが、スペインの洞窟で発掘された約40万年前の人骨からDNAを抽出し、塩基配列の解読に成功した。人類最古のDNA解析結果が、初期人類の進化の謎を解明する手掛かりになると期待されている。...
View Article白保竿根田原洞穴遺跡/南方系古モンゴロイドは日本本土までこれたか?それが今後の宿題
昨日の人類学発掘記事の沖縄の人骨DNAにもう少しこだわってみたい。 篠田氏は日本や周辺諸国の古人骨DNA解析を基に、日本人の起源を研究している第一人者。スペイン征服以前のアンデス先住民のDNA研究にも携わる。琉球列島に住んでいた人々の系統が中国南部や東南アジアと関連深いことなどを明らかにしている。...
View Article故郷の山並みを求めた一族/地名
ふるさとは遠くにありて思ふもの・・・ さて古代人もそうだったろうか? ふるさとの山を探してはるかな道を歩いていった氏族がある。 まず筆者の故郷・大分県の由布山から別府市鶴見岳の遠景を見ていただこう。 左が由布、右が鶴見である。鶴見岳から東へゆるやかに丘陵が続き、そこで大分市のの高崎山のシルエットがかぶるとこういう景色である。 次に熊本県阿蘇市大観峰から見た阿蘇連山「五岳...
View Article蘇我氏と阿蘇氏/息長氏と安曇氏/三尾氏と安曇と宗像氏とかいろいろ
蘇我氏のこの表記には「我蘇る」という意味があるが、阿蘇氏の表記にも書き準は逆だが「阿、蘇る」ということが表現されている。 だから二つの氏族が同じかどうか、それは今後の楽しみな分析にかかっている。 蘇我は本当は「宗我」というのが正しいとも言われており、蘇我表記は記紀一流の皮肉であるとも思える。滅びたものが生き返るわけはない・・・、という。...
View Article文字の大きさ、どっちが見やすいですか?
XPのフォントは明確で、MSゴチックは見やすかった。新しいバージョンではフォントににじみや大小のばらつきがあって、ぼやけている。 この文字サイズはWin7、8、2008、Vistaで統一されてるサイズで、たぶんこのブログの10Ptと12Ptの中間くらい? これをこのブログのフォントサイズの10Ptにすると・・・...
View Articleシリーズ継体大王その2 継体のバックアップ軍団が見える考古学
ランクリ押すって約束したじゃないの。一種の拍手ですよ。 その2 継体のバックアップ軍団 筆者の継体~飛鳥蘇我王権への移行への考えは、蘇我氏が登場する背景となるのは倭五王、特に雄略以降から継体までの王権を欽明が継体・安閑を殺して奪取するための刺客としての蘇我となっていく氏族が出てきたためであると思っている。...
View Article継体大王の威信財共同体と筑紫君磐井包囲網が一目瞭然。邪馬台国はやはり狗奴国に滅ぼされた!
http://blog.with2.net/in.php?686171:1650 『日本書記』によれば、 「允恭天皇5年(416年)7月に地震があったが(最古の地震記事である)、玉田宿禰は先に先帝反正の殯宮大夫に任じられていたにもかかわらず、職務を怠って葛城で酒宴を開いていたことが露顕した。玉田は武内宿禰の墓(御所市宮山古墳か)に逃げたものの、天皇に召し出されて武装したまま参上。...
View Article九州で阿蘇ピンクを「石材として」使えた古墳の主こそが葦北国造の一族である
さて、ここまで来たら、九州で阿蘇ピンク石を使えた氏族はいたかどうかである。もしいれば、それは允恭~継体大王という「允恭系倭五王」の臣下である氏族の親族・子孫であることになる。 九州で阿蘇ピンク石を石棺に使った古墳はない。つまりその権利は河内王朝後半の允恭系を受け継いだ継体大王の親族だけだったということになる。 もう一度阿蘇ピンク石石棺が出る古墳一覧を見てみよう。 そして継体の威信財の分布図...
View Article青い石・赤い石/色彩に呪を求めた古代人・転載記事
日本の古墳に使われた石にはかなり色のついた石がある。青石、ピンク石、白石、黒石、灰色石。。。 どうやら日本人は往古から・・・それはなんとも不思議なことだが縄文人の昔から青、緑、赤などに特殊な感応を示してきた。 以下は、阿波~紀州にかけての構造線上に他出する青石=緑泥片岩製品のでる古墳の以前の記事からの転載記事である。...
View Article葛城地域にはないピンク石石棺
奈良盆地の阿蘇ピンク石石棺の分布 継体時代の阿蘇ピンク石石棺が、継体グループへの許可された石棺だったとするならば。一目瞭然で葛城氏グループは継体には加勢していなかったことが見える。...
View Article米原市 村居田古墳の阿蘇ピンク石石棺は資料にならない
◆村居田古墳・伝息長広媛陵墓(光運寺本堂南敷地内古墳)むらいだこふん/でんおきながひろひめりょうこふん http://miharu.pro.tok2.com/20041031yokoyama/20041031okinagaryoufukugen.html 時代古墳 所在地滋賀県米原市村居田...
View Article秦氏と継体大王/継体と淀川氏族の相関関係
秦氏と継体の互換関係図1 寝屋川・枚方・四条畷の秦氏と河内馬飼氏 2池田市・大阪市豊嶋郡の秦氏 3 継体の三つの宮(=三島)と秦氏の居住関係 4 継体と近畿のバックアップ軍団の相関関係 データベース 水谷千秋...
View Article老子『道徳経』全81章 體道第一
Kawakatu流道徳経の読み方 老子『道徳経』全81章 體道第一 原文 道可道、非常道。名可名、非常名。無名天地之始、有名萬物之母。故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名。同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門。 書き下し文...
View Articleデジブック 『神社探訪葛城編1』
2008葛城・物部の敗北の怨霊に感応する旅である。 この写真集は、みんなのデジブック広場で作りました。2007~2010の間、筆者は歴史の真実を知り、敗北者の霊魂と共感するために旅にあけくれていた。 その手ごたえはこのブログにすべてあかしてある。 歩かなければ歴史は見えない。歩くしかない。読むしかない。感じるしかない。...
View Article70万アクセス感謝!デジブック 『神社探訪葛城編2』
2006年からあしかけ7年・・・ついに本日70万アクセス。 ブログパーツくす球http://bpmaker.giffy.me/how-to-use この写真集は、みんなのデジブック広場で作ました。葛城の旅その2...
View Article緑泥片岩分布地域と海部・紀ノ川の古墳
和歌山県の古墳についてこれまで書いた記事をまとめて転載。大谷山から出ていた埴輪が胡籙だったことが発見報道されたことがきっかけ。大谷山の古墳群は九州式石屋棚を持ち、太平洋側海部の特徴である青石=緑泥片岩の石棺を持つものがある。このことから継体大王時代に海部の整備があったことを匂わせるのである。 岩橋千塚の石棚 福岡県竹原古墳の石棚...
View Article韓国光州の前方後円墳群の被葬者の日本人は誰か?
この問題はすでにいくらかは解決済みである。韓国・慶北大学の朴天秀(パク・チョンス)らの在韓国学者の間で、それが倭人であることはすでに論じられている。 『日本書記』欽明二年(541)七月紀臣 奈率 弥麻沙(きのおみ・なそちの・みまさ)欽明四年九月物部 施徳 麻か牟(もののべの・せとく・まかむ)欽明五年三月許勢 奈率 歌麻(こせの・なそつ・かま) 奈率も施徳も百済の役職である。...
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