例えばエドガー・アラン・ポーの「メエルシュトレエムに呑まれて(大渦に呑まれて)」
A Descent into the Maelström Edgar Allan Poe 1841
は、渦潮に飲み込まれた漁師が生還したものの、頭髪が真っ白になるという奇談である。
A Descent into the Maelström Edgar Allan Poe 1841
は、渦潮に飲み込まれた漁師が生還したものの、頭髪が真っ白になるという奇談である。
大災禍では、ままにこういう外見上の大変化が人間に起こるようだが、もっと重要なことは、災禍によって被るヒトの脳心理の傷の方である。
3・11の東北大震災以降、太平洋側東北人の間には、死者の幽霊が見える、あるいは夢にうなされるという、心理的なダメージが表出しており、柳田國男『遠野物語』を再認識する動きがあるという。
●参照・・・「東日本大震災 悲しみ語り継ぐ 116年前の物語、娘へ」毎日新聞 平成24年三月十一日記事
「保険外交員の長根さんは母享(きょう)さん、妻のり子さん(51)、璃歩さんと4人で2階建ての家に住んでいた。
大地震に襲われた時は仕事で隣の宮古市にいた。勤務先にいた妻の無事はメールで確認できた。娘がいる中学校は高台に建っている。78歳の母は自宅にいるはずだが、近くに高さ8メートル以上の防潮堤がある。さほど心配はしていなかった。
だが、戻った街は真っ赤に燃えていた。翌朝ようやく自宅に向かうと、防潮堤は壊滅していた。駆け寄ってきた近所の女性が泣き崩れた。「勝くん、母さんが流された」
膝が悪かった母は裏山への階段を上りきれずに流されたという。がれきだらけの自宅跡に座り込んだ。百余年前の先祖の姿が自分と重なった。
東北の伝承を集めた「遠野物語」の第99話に、明治三陸津波(1896年)で妻と子2人を亡くした男「福二」が、妻の幻影に誘われ浜に一晩立ち尽くすという話が収められている。福二の4代後の子孫が長根さんだ。
物語は福二のその後を「久しく煩(わずら)ひたり(長く病んでいた)といへり」と結ぶ。そのせいか、父も祖母もこの話をしたがらなかった。教えてくれたのは母だ。「本買え。遠野物語にうちの話がある」「先祖のことだから、しっかり覚えとけ」
長根さんは母を捜して遺体安置所を巡り歩いた。体の一部しかない遺体。焼けた遺体。7月上旬、訪れた安置所で赤ちゃんの亡きがらを見た。目を見開き、手を伸ばしたままだった。「抱っこして」とせがんでいるように見えた。「おまえは何のために生まれてきたのか」。涙が止まらなくなった。これ以上遺体を見ると自分がおかしくなると思い、安置所回りをやめた。
数百もの遺体を見ながら、思ったことがある。「自分の先祖以外にもたくさんの悲しみがあったはずなのに、その物語はどうなったのだろう」
明治、昭和の大津波を経て被害の記録は残されたが、悲しみは風化したのではないか。福二のことを伝えた母の思いを、自分なりに理解した。
「ただの教訓ではなく、じいちゃん、ばあちゃんから口で伝えられた話こそ力を持つ。一人一人が血の通った物語を語り継ぐことでしか、次世代の悲しみはなくせない」」
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『遠野物語』などの民俗学伝承を集めた伝奇物語的な民話コレクションには、ご存知のように多くの貴重な妖怪との出会い秘話が蒐集されているが、その中に、いくつか災禍、地震などによって生まれた伝承・伝説・妖怪であろう記事が散見できる。
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99話
「土淵村の助役北川清と云ふ人の家は字・火石(あざ・ひいし)に在り。代々の山臥にて祖父は正福院と云ひ、学者にて著作多く、村の為に尽くしたる人なり。清の弟に福二と云ふ人は海岸の田の浜へ婿へ行きたるが、先年の大海嘯(おおつなみ)に遭ひて妻と子とを失ひ、生き残りたる二人の子と共に元の屋敷の地に小屋を掛けて一年ばかりありき。
夏の初の月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたる所に在りて行く道も浪の打つ渚なり。霧の布(し)きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正しく亡くなりし我妻なり。思はず其跡をつけて、遙々と船越村の方へ行く崎の洞のある所まで追い行き、名を呼びたるに、振返りてにこと笑ひたる。
男はと見れば海波の難に死せり者なり。自分が婿に入りし以前に互いに深く心を通わせたりと聞きし男なり。今は此人と夫婦になりてあると云ふに、子供は可愛くは無いのかと云へば、女は少しく顔の色を変えて泣きたり。死したる人と物言ふとは思われずして、悲しく情けなくなりたれば足元を見て在りし間に、男女は再び足早にそこを立ち退きて、小浦へ行く道の山陰を廻り見えずなりたり。
追ひかけて見たりしがふと死したる者なりしと心付き、夜明まで道中に立ちて考え、朝になりて帰りたり。其後久しく煩ひたりと云へり。」
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郷土史家であり学者という高いインテリジェンスを持つ人の弟である福ニが見たのは、大津波に呑まれて死んだ妻の亡霊だった。
柳田が聞き書きしたこの『遠野』の記事を、北川福ニの四代目子孫の母親が今度の震災前に奇しくも読み、「ほれ、ここにうちのことが書いてある。先祖のことだからしっかり覚えとけ」と息子に教えている。しかしその教訓むなしく、脚が悪かった母親自身が、階段を登りきれずに津波に流されてしまったという。
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●参照2 「水たまりに目玉、枕元で『遺体見つけて・・・』『幽霊見える』悩む被災者」産経新聞 平成24年一月十八日
「「お化けや幽霊が見える」という感覚が、東日本大震災の被災者を悩ませている。震災で多くの死に直面した被災者にとって、幽霊の出現は「心の傷の表れ」(被災地の住職)という見方もある。だが、行政に対応できる部署はなく、親族にも相談しづらい。心の傷を癒やすよりどころになろうと、宗教界は教派を超えて取り組んでいる。
1月初旬、仙台市の仮設住宅に住む70代の夫婦が市内の浄土宗寺院、愚鈍院をお参りに訪れた。いつも通りあいさつを交わした中村瑞貴住職に、夫が「実は…」と口を開いた。始まったのは「お化け」に関する相談だった。「仮設住宅に何かがいる。敷地で何かあったんじゃないかと思う」という夫に、中村住職は「供養しましょうか」と応じた。仮設住宅でお経を唱え、供養を終えると、「誰にも相談できなかったんです」。夫はホッとした表情でそう打ち明けたという。
「水たまりに目玉がたくさん見えた」「海を人が歩いていた」…。被災者の“目撃談”は絶えない。遺体の見つかっていない家族が「見つけてくれ。埋葬してくれ」と枕元に現れたのを経験した人もいる。」
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いずれ後述するが、柳田の弟子が船旅の帰路に「海坊主」を見たことを書いている。そういう超常現象を見てしまうのと同じことが、被災者の間に頻繁に起きているのである。
これは先述のごとく、災禍による突発性の脳挫傷や脳梗塞に似た症状である。妄想を見てしまう現象は、このように急激なショックによって引き起こされることがある。それまで後戸に隠されてきた心の闇が突然に、津波のショックによって無理やり開かれた結果であろうか。
先天的にこうした霊魂を見ることのできる人を、霊能者とかシャーマンと呼んでいる。
これまではその謎を、超常現象であるとか、特殊能力とかいうあいまいな言葉で神秘化するばかりだったが、脳神経外科などの医学的なダメージとして分析解明していくことが、実は上記のような災禍による心的ダメージと脳内科的ダメージとの連動によったのではないかと想定可能な症状を治療するための、大切な視点になるだろうと思う。
引いては、霊能力が解明されれて、それが脳内外傷によるものであると証明できれば、霊能力の多くへの理由なき差別も、病気として認知され、彼ら自信の積年の悩みも解消されていくのではあるまいかと、老婆心ながら期待する。
心の闇や他者との著しい部分を、神に助けをゆだめたり、逆に開き直って神の言葉が聞こえる特殊な才能と思い込まねば生活してゆけない人々への、根本的救いが柳田の100数十年も前の記録から見えたように思う。