Sant Muerte 死の聖母
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これはご存知アステカ文明の発見物でオーパーツとも喧伝されてきた”クリスタル・スカル”(水晶髑髏)である。
現在、十数個が確認されており、そのほとんどがマヤ文明やアステカ文明、インカ帝国といった中南米の考古遺物とされている。当時の技術水準から考えてあまりにも精巧に造られているとも思えるためにオーパーツとして取り上げられるが、本当に出土品であるかどうかについて懐疑的な説がある。
現在、十数個が確認されており、そのほとんどがマヤ文明やアステカ文明、インカ帝国といった中南米の考古遺物とされている。当時の技術水準から考えてあまりにも精巧に造られているとも思えるためにオーパーツとして取り上げられるが、本当に出土品であるかどうかについて懐疑的な説がある。
話題性だけがとりざたされるが、実はすべてがにせものだという分析結果が出ている。
超常現象の謎解きにそのネタ晴らしがある。
ことほど左様に、「現代の技術では不可能」などという「謳い文句」はまずすべてが出版業界やとんでも作家の作り出す宣伝文句にほかならない。
しかしアステカ、マヤ、インカなど中南米の古代人が髑髏を聖母と考えたのは、まずもって間違いのない事実である。クリスタル・スカルの真贋はともかく、中南米人の古代から連綿と続く「髑髏愛好」は間違いがなく、おいおいそれを歴史を遡って証明する。
◆現代の「髑髏の聖母」
サンタ・ムエルテ Sante Muerte
スペイン語 意味は「死の聖母」
美術研究者の加藤薫(かとう・かおる)が2012年に出版した『骸骨の聖母 サンタ・ムエルテ』新評論 2012 に詳しく紹介されている。
美術研究者の加藤薫(かとう・かおる)が2012年に出版した『骸骨の聖母 サンタ・ムエルテ』新評論 2012 に詳しく紹介されている。
加藤は考古学者でも歴史学者でもなく、単に美術品のひとつとして、民俗学的な好奇心からメキシコに渡り、そのルーツや意味を考察しているので、内容にややとっぴな部分もあるのは否めないが、この不思議な髑髏の聖母は地母神(じぼしん=大地母)信仰から出てくると見破っているようである。
そしてこのメキシコの人口の3パーセントまでも占める骸骨聖母信仰の始まりを
1 スペイン統治によって入ってきた欧米文化の影響
2 アステカから続く先住民の大地母信仰の一部での存続
3 鉱山起源説
などなど、すべての起源説を紹介している。
その飾られる祭祀場の祭壇には、東洋と同じく、水・火・土、空気=風に関わる供物(オフレンダ)があふれており、中南米人の信仰が東洋や、あるいは北欧土着の民間信仰と同じように、五行に似た構成要素を持っていることに気がつく。とにかく原始信仰というものは世界共通のきわめて原初的な、かつ人間的なチープな観念から始まるのである。それはいつもここで書いているように、永遠の生命と再生へのあこがれ、つまり大地母信仰なのである。
サンタ・ムエルテはメキシコのみならず、いまや中南米全体、欧米にまでその人気が広がってきた。メキシコの”原宿”エル・チョボや、ほかの市場だけでなく通販サイトもたくさんあるし、海外Wikiには各国語で項目が作られてもいる世界的にメジャーな民間信仰のオブジェなのである(残念ながら日本のWikiはまだ記事が存在しない)。どうやらこの髑髏趣味は中世から古代にまで遡ることができそうな、中南米人の中に残存する古代先住民から続く文化であるようだ。ということは現代中南米人の中に古代の血脈や伝承がまだ残っていることが想定できるのではないか?
以下、新しい順に古い時代へと骸骨を画像で追いかけてみよう。
そのままメキシコの歴史順序も一目でわかると思う。
アステカ文明なども、実はついこのあいだの、日本の戦国時代にあたることがわかる。
◆スペイン植民地時代
16世紀
プエプラ州トラルマナルコの西洋建築にある骸骨
◆アステカの骸骨
アステカ(Azteca、 Aztēcah)
1428~1521(15世紀前半-16世紀前半)
西欧暦では中世時代の文化。
アステカ ツォンパントリの壁面 骸骨
ハラパ市ベラクルス州立人類学歴史博物館所蔵ミクトランテクトリ像
≪ミクトランテクトリ神像≫ テンプロ・マジョール博物館蔵
◆ミシュテカ人
先スペイン統治期
10世紀~
ミシュテカ人の骸骨がある骨壷
◆マヤ
バレンケの骸骨
7世紀
バレンケと言えば石棺の蓋に刻まれた”宇宙船のパイロット”であろうが・・・。
バレンケ遺跡の骸骨神殿
◆レモハダス文化
7世紀
ベラクルス州
ハラパ市ベラクルス州立人類学歴史博物館の埋葬様式の復刻
◆テオティワカン文化
前150-後650年
太陽のピラミッドの前の広場より出土。メキシコシティ国立人類学博物館所蔵
太陽のピラミッドの前の広場より出土。メキシコシティ国立人類学博物館所蔵
◆オルメカ(Olmeca)文化の骸骨
紀元前1200年頃から紀元前後
先古典期のメソアメリカで栄えた文化、文明
アメリカ大陸で最も初期に生まれた文明であり、その後のメソアメリカ文明の母体となったことから、「母なる文明」と呼ばれる。
オルメカ・トラテロルコ遺跡の半身半骸骨偶像と儀式用仮面
このように、さまざまの民族が入れ替わって来たメキシコ。
それなのに骸骨趣味は変わらない。
ということはどんな民族であろうと「死=生まれ変る生」という観念は絶対的に共通しているということである。それこそが世界中の歴史的遺物の類似性を解く、最大の解答であると言える。
諸説の中の西欧の死神のイコン(正教会で用いられる画のことで、聖像)は、おそらく中南米の偶像をスペイン人が持ち帰り考案されたものであろうし、西欧で持たされた巨大な鎌をもつ姿やフード付チュニック(聖衣)は、スペイン正教会のシトー修道会などの風習が逆輸入されて、現代の中南米に入ったのだろう。もともとのデザインはこっちである。つまりカトリック正教会風俗と先住民骸骨聖母伝統のミックスマッチなのである。
聖母マリアが大地母女神となった
とも言える。そういう意味では、まるで北欧の民間信仰である冬至祭りにクリスマスがかぶったのと同じことが、ここアメリカ先住民の子孫たちにも起こったということだ。
現代の迷信であるサンタ・ムエルテ信仰は、つまりは新旧・西東のクロスオーバーした新しい骸骨像である。しかしながら西欧がそれを死神として畏れたり、海賊船やワイルドなバイク野郎ドモやロックンローラーのシンボルにしておいて人を威嚇しようとする風習は、あくまでもキリスト教至上主義からでる、原始のあっけらかんで自由な野生の思考に対する否定的、内向的、排他的、いずれは帝国主義・植民地主義へとつながることになる観念でしかないのに比べ、陽気なメキシカンたちの髑髏の聖母は、あくまでも愉快な着せ替えバービー人形であり、アイドルなのである。こういう原始的できわめて自然主義的な志向性は、日本人の持っているデフォルメ文化、怖いものすら「可愛い~~~」にしてしまう志向性にまったく等しい、平和な考え方である。
骸骨の正体が大地母女神である証拠は、その背後にあるこのような美しい女神が描かれることがあるからである。日本の山姥や鬼子母神も、やはり小野小町のような美しきおんなのイメージを持たされてきた。まったく違うところなどない。
※偶像分析のヒント
目に瞳が描かれない、くぼんだ眼窩だけのものの多くは
死者を表すものが多い。
それは縄文土偶にも共通する。
縄文土偶もまた大地母=死者の姿をしている。
だから土偶もまた再生祈願のための破壊だった。
破壊=死、死=再生 それはつまりは輪廻であり、魂が帰ってくるようにとの願いなのである。
Kawakatu’s HP マジカルミステリーコレクション渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
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戦争や侵略が起こりえない文明とはこのように野生的な現象を押さえ込まず、そこに同和してしまう、したたかさを持っている。今の中国がやっているような軍国的帝国主義侵略主義は、大昔の西欧人のような古臭い過去の遺物的行為である。