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◆ 縄文時代はいつ始まるか論争
縄文時代はいつから?中央大学文学部准教授小林 謙一
から転載
「縄文時代(1)は,後氷期の環境の中で土器を持つが農耕をおこなわない日本独自の新石器文化の時代と理解されてきた。しかし,近年の研究により異なった姿がみえてきた。それは日本史のみならず,人類の発展段階として大きな問題を含んでいる。
縄文時代の始まりはいつとされているだろうか?現行の高校教科書には,次のように記載されている。「縄文時代のはじまり いまから約1万年前,完新世になると,気候は温暖化し海面が上昇して,日本列島は大陸からはなれ,現在のような自然環境になった。(中略)大きく変化する自然環境に,人々は新たな道具を作り出して対応した。木の実など植物性食料を煮るために土器が作られ,動きの速い中小動物をとるために弓矢が使われるようになり,木を伐採し加工する木工具として磨製石器が発達した。(中略)縄文時代は約1万2千年前にはじまり,およそ1万年にわたって続いた」(実教出版「高校日本史 B」 平成 23 年 14-15 頁)。
もう一冊の日本史B ではより詳しく,約1万5千年前頃を境に地球は温暖化へ向かったこと,「約1万2千年前に土器の使用と磨製石斧や弓矢の発達,定住性の高い狩猟・採集生活」と書かれ,註として「草創期の隆起線文や爪型文をもつ最古の土器は,旧石器時代末期に発達した細石器とともに出土することがある。放射性炭素 14C による年代測定法によれば,草創期の長崎県福井洞穴の年代はいまから1万 2700 ± 500 年前」とされる(実教出版「日本史B」平成23年 29-30頁)。
他社の教科書でも同様の記載であるが,東京書籍版では注釈として「縄文文化のはじまりは,放射性炭素 14C による年代測定の研究によれば,約1万3千年前と推定されている」(東京書籍「新選日本史B」 平成 23 年 8 頁),
山川出版社版ではさらに詳しい注釈として「放射性炭素 14C による年代測定(炭素 14 年代)では約 1 万 2000 年前とされてきた。(中略)この方法は過去から現代に至る大気中の 14Cの濃度は一定との前提に立つが,実際にはその濃度は変動していることが知られている。最近ではAMS 法(加速器質量分析計)の採用によって高精度化した炭素 14 年代を,さらに年輪年代法などの確実な方法によって補正する研究が進み,縄文時代のはじまりは1万 6500 年前にさかのぼる説が出された。ただこの補正年代を認めない研究者もいる」(山川出版社「詳説日本史 B」平成 23 年 6 頁)とされる。
以上をまとめると,縄文時代の始まりの様相について,教科書にある現在の定説では約1万年前に氷河期が終わり,大型獣が滅びて替わりに照葉樹・広葉樹が森林を形成するという環境の変化に応じて,旧石器時代の遊動民が大型獣を追う狩猟中心の生活から,採取した木の実など植物質食料を土器で煮炊きして食するようになり,一定地域に定着的な生活を始めたと理解してきた。
しかし,この 10 年間に土器付着物の炭素 14 年代測定など研究成果が進み,青森県大平山元?遺跡の無文土器は 1 万 5000 年以上前の土器で,確実な測定例としては世界最古の土器の一つと評価できることがわかった。土器の初現は,まさに氷河期の最中にあったのである。 このように,「縄文時代の始まり」については,年代が揺れている。これまでの定説では1万年前または 1 万2千年前といわれていたのが,1万6500年前とされる説も出てきた。これは単に古くなったと言うだけではない。1万 6500 年前というのは氷河期の真最中である。とすると「暖かくなって堅果類を煮るために土器が作られた」という説明は間違いになる。
さらに考えると,氷河期の最中に当たる文化は「縄文時代」でいいのか?ということになろう。 さて,この問題はいくつかのレベルでの議論が組み合わさっていて,わかりにくい。
そこを,まず整理しておきたい。
1)土器出現の年代を明らかにすること,
2)そのときの環境や文化的な評価,
3)旧石器時代から縄文時代への画期を何に求めるか,
1)土器出現の年代を明らかにすること,
2)そのときの環境や文化的な評価,
3)旧石器時代から縄文時代への画期を何に求めるか,
の3つの課題であり,
1)については一番古い土器はどの土器か,その年代をどのように決定するか,という二つの側面がある。
順番にみていきたい。
1.一番古い土器は何か,何年前か?
そもそも最も古い土器は縄文土器研究が進むにつれて次々さかのぼって発見されてきた。それは,大正から昭和前半期を中心に縄文土器編年の基礎を作った山内清男博士が,日本列島における最古の文化を探るのは一番古い土器を探すことでわかるとしたことにより,より古い層から出土する古い形の土器を探すことが大きな課題となってきたからである。
1949 年の岩宿遺跡の発見により旧石器時代が確認されると,最古の土器が最古の日本列島における人類文化ということではなくなったが,縄文文化の始まりを知るための重要性は変わらず,繊維土器→撚糸文土器と最古の土器は置き換えられてきた。 一番古い土器は,考古学的な遺跡の調査によって埋まっている層位の順番,一緒に出てくる石器のタイプ,土器自体の製作方法や装飾の仕方から相対的な順番はわかり,日本列島の中でどの土器が古いか(相対年代とよぶ)は考古学的に決めることができる。しかし絶対年代は従来の考古学的手法のみではわからない。
そこで一定の速度で崩壊していく炭素14 という元素の量を測ることで経過時間を知る炭素14 年代測定法によって年代を調べるようになった。
1959 年頃には縄文時代早期撚糸文式土器を出土する神奈川県横須賀市夏島貝塚で測定された 14C 年代をもとに,芹沢長介によってその時点で世界最古の土器出現となる約 9000 年前に縄文時代が始まるという絶対年代観が提示され,14C 年代に反対する山内清男との間で激しい論争が生じた。 1960 年代には愛媛県上黒岩岩陰遺跡や長崎県福井洞穴の調査から,尖底の器形をもち口縁近くに横走する粘土紐で装飾する隆起線文土器が芹沢らにより最古とされ,14C 年代で 1 万 2000 年前とされた。
その後も隆起線文土器は,旧石器時代の石器を出土する関東ローム層と縄文早期土器を出土する黒色土層との間の漸位層など古い地層から発見され,山内清男の目指した「縄文土器の底」はほぼ確定し縄文時代早期の前に縄文時代草創期として位置づけた。
しかし,1998 年に青森県大平山元?遺跡でそれまで旧石器時代の最後と考えられていた石刃や石槍,局部磨製石斧に伴う無文の土器片が出土し,14C 測定結果の較こう正せい年代で,1 万 6500 年前とされ,大きなニュースとなった。
これまで最古の隆起線文土器よりはさらに古い土器であることは共伴する石器が旧石器時代の特徴を持つことからも明らかで,土器の出現をさかのぼらせるものであった。14C 年代では 1 万 3000年前で,年代的にも確かにさかのぼるものであったが,14C 年代を年輪年代との比較から暦年に補正する較正年代で計算し,最も古く計算すると 1 万6500 年前になるという意味もあった。
炭素 14 年代の較正とは,以下の補正方法を指す。
年代測定を始めたリビーは,14C の量を調べて物理的な経過年数を知るために,過去の 14C の量を一定と計算して年代としたのである。しかし,実際には過去の大気の中での 14C の生成量が異なるので,正確な年代ではないことが年輪年代との比較で判明した。そのため,樹木の年輪に含まれる過去の 14C の量と対比させることで暦年代に補正する方法である。
年代測定を始めたリビーは,14C の量を調べて物理的な経過年数を知るために,過去の 14C の量を一定と計算して年代としたのである。しかし,実際には過去の大気の中での 14C の生成量が異なるので,正確な年代ではないことが年輪年代との比較で判明した。そのため,樹木の年輪に含まれる過去の 14C の量と対比させることで暦年代に補正する方法である。
過去にさかのぼるほど実年代と 14C 年代の差が激しくなり,1万年を超えるあたりでは 2000 年古くなる(2)。大平山元?遺跡は 13000 14C BP の炭素 14 年代測定値を較正しさらに古いことがわかったという面もある。ただし,現在では大平山元I遺跡の測定値のバラツキの平均値を用い,さらに改定された最新の較正曲線を用いると,大平山元?遺跡の無文土器は 1 万 5000 年よりは古く 1 万 6500 年までの間の一時点と考えるようになった。
※大平山元I遺跡と類似した無文土器や隆起線文直前の可能性がある簡便な装飾と考えられる土器が,関東(茨城県後野 , 向野 A, 東京都前田耕地 , 田無南町 , 神奈川県相模野 149, 寺尾 , 勝坂遺跡)・北陸(新潟県大刈野遺跡)・東北地方(青森県大平山元?遺跡)と南九州(鹿児島県横井竹ノ山 , 加治屋園遺跡)など 10 箇所ほど見つかっており,共伴する石器の様相から大平山元?遺跡や後野遺跡などの無文土器が最古の土器と位置づけられる。」
http://cache.yahoofs.jp/search/cache?c=w-ckcUmKNW0J&p=%E7%B8%84%E6%96%87%E6%99%82%E4%BB%A3%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%A4%E5%A7%8B%E3%81%BE%E3%82%8B%E3%81%8B%E8%AB%96%E4%BA%89+%E5%B9%B4%E7%B8%9E+AMS&u=www.jikkyo.co.jp%2Fcontents%2Fdownload%2F9992655588
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Kawakatu注※
大平山元I遺跡(おおだいやまもといちいせき)とは、
青森県外ヶ浜町にある、縄文時代遺跡である。
出土した土器片この遺跡から発掘された縄文土器に付着した炭化物のAMS法による放射性炭素年代測定法[1]の算定で16,500年前(暦年較正年代法による)とされ、世界最古の縄文土器とも言われている。
出土した土器片この遺跡から発掘された縄文土器に付着した炭化物のAMS法による放射性炭素年代測定法[1]の算定で16,500年前(暦年較正年代法による)とされ、世界最古の縄文土器とも言われている。
つづきは是非本文をお読みください。
年代法の歴史や、縄文時代の区分
果ては、今後、縄文時代という名称すらもっと区分けしていかねばならないことな、
多くのことが見えてくることでしょう。
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年縞による基準年代が明確化され、これによってこれまでのC14及びAMS年代測定の数値が、さらに詳細な一年単位までの年代数値が割り出せて来た。これを信頼するかどうかが問題になっている。ここまで正鵠な数値を出してきても、まだ疑うものがいる。
とにかく彼や小林達雄が書いているように、縄文時代の開始は15000年前より新しくはならない、もっとさかのぼって16500年前までになるだろうことだけは確かである。従って教科書の定説数値・13000年前はこれで書き変わるのは間違いない。
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