「宿禰」徹底追跡
宿禰とは?
「古代の姓 (かばね) の一つ。古くは人名につけた敬称であったが,天武 13 (684) 年の八色の姓 (やくさのかばね) 制定で第3位の姓となった。主として従来,連 (むらじ) 姓をもつ者に賜与され,真人 (まひと) ,朝臣 (あそん) に次いで高位を占めたが,奈良時代後半以降になると,出身を問わず,功績などのあった氏などに与えられるようになった。」
ブリタニカ国際大百科事典
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「古代日本における称号の一つ。後に姓(かばね)になる。宿禰は,古く足尼とつくり,もっとも古い用例は,埼玉県行田市稲荷山古墳出土の鉄剣銘に〈多加利足尼〉とみえる。宿禰(足尼)は,少兄(スクナエ)の約で,高句麗の官名の小兄に由来するという説もある。古い時代の称号である宿禰は,5世紀半ば以前に,主として畿内地方の豪族が用いていたといわれているが,姓となったのは684年(天武13)で,八色(やくさ)の姓の一つ。」
世界大百科事典 第2版
「小兄 すくなえ」と読ませているがそれは日本の「少兄」の読み方であり、中国で小兄しょうけい、高句麗では音読みで「少兄 소형 Su-hyau」。
小兄(高句麗の官位)
「『隋書』や『新唐書』に見られる官位名も異同が著しいが、いずれも12階となっている。第15代の美川王(在位:300年-331年)の時代になって、次のような王権の下に一元下された13階の官制に整備されたと考えられている。
「『隋書』や『新唐書』に見られる官位名も異同が著しいが、いずれも12階となっている。第15代の美川王(在位:300年-331年)の時代になって、次のような王権の下に一元下された13階の官制に整備されたと考えられている。
1.大対盧(だいたいろ)
2.太大兄(たいだいけい)
3.烏拙(うせつ)
4.太大使者(たいだいししゃ)
5.位頭大兄(いとうだいけい)
6.大使者(だいししゃ)
7.大兄(だいけい)
8.褥奢(じょくしゃ)
9.意侯奢(いこうしゃ)
10.小使者(しょうししゃ)
11.小兄(しょうけい)
12.翳属(えいぞく)
13.仙人(せんにん)
2.太大兄(たいだいけい)
3.烏拙(うせつ)
4.太大使者(たいだいししゃ)
5.位頭大兄(いとうだいけい)
6.大使者(だいししゃ)
7.大兄(だいけい)
8.褥奢(じょくしゃ)
9.意侯奢(いこうしゃ)
10.小使者(しょうししゃ)
11.小兄(しょうけい)
12.翳属(えいぞく)
13.仙人(せんにん)
高句麗の末期に大対盧の位にあった淵蓋蘇文はクーデターを起こし、莫離支(ばくりし)の位に就いて専権を振るった。莫離支そのものの名称は『三国史記』職官志では『新唐書』を引いて12階のうちの最下位の古雛大加の別名としている(ただし『新唐書』高麗伝にはそのような記載はない)。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%8F%A5%E9%BA%97
そもそも一般的には中国で「大兄 たいけい」=長男に対する次男が小兄である。
何人かいる兄のうち、自分に年齢の近い方を敬っていう「対象語」。
大兄は大和言葉で「おおえ」で、小兄は「こあに、しょうえ、しょうに、女性ではこあね(小兄比売=蘇我小姉君)。「しょうに」は平安時代には少弐だからやはり二番手である。
宿禰が「小兄 すくなえ」の大和での転用であるなら、例えば出雲神話で大国主と対比的に登場する少彦名(那)(すくな・ひこ・な)の出雲の「二番手」的扱いも、小兄からきていると考えてもおかしくなかろう。すると宿禰は八色の姓官位の三番目。十分に「小兄」的官位と言える。
すると、出雲神話が実は紀氏系譜を王としていた国家で、そこに、葛城鴨の祖である八重事代主やら宗像氏・安曇の祖であろうタケミナカタ?やあるいは高鴨阿治須岐詫彦根がいたのはわかりやすい。要するに武内宿禰も紀氏も飛鳥の先の王家の腹心氏族だったが、その前は日本海の王家だった。それが倭五王政権下では臣下、内の臣とされたのだと。それが本当の国譲りだろうとなる。ならば武内宿禰=蘇我氏説に有利である。また葛城氏の神社に闇龗(くらおかみ)という本来は高龗(たかおかみ・)とセットであるはずの一方だけが祀られるのも説明しやすくなる。闇龗とは雷・稲妻で雷神を指し、高龗は風神だと考えればいいのである。すると前に書いたように風神は皇別、雷神はその外に置かれる別の地位にあったことが非常に納得できるものと考える。
「龗(おかみ)は龍の古語であり、龍は水や雨を司る神として信仰されていた。 「闇」は谷間を、「高」は山の上を指す言葉である。」Wiki淤加美神
高龗・闇龗は火の神カグ土の血液から生まれたわけだからどちらも「鉄の氏族」ということになるのだが、一方は天皇家がかつての出雲王からうばった製鉄技術と読み解けるのである。そうするとにわかにわかるのが天孫の天稚彦と出雲のアジスキタカヒコネがそっくりだったという喪山のエピソードだ。どちらも鉄の氏族で、軍事王だったが、一方は天孫で弓矢の達人、一方は出雲の下照姫(高照とも)を妻にした製鉄氏族。そっくりだが、一方は勝ち組、阿治須岐詫彦根(高鴨神)は負け組み。
ゆえに負け組み(大和の出雲族である葛城系譜や蘇我氏)である神社は雷神しか祭れないのである。阿治須岐詫彦根を祭るのは奈良の高鴨神社であり、その摂社が雷神を祭るのだ。高龗・闇龗は同時に祀られているが、それは大和で祭祀を続けるための「従属の隠れ蓑」であろう。また、闇龗は三嶋信仰でも祭神で、こっちは瀬戸内海人族たちが祭る大三島=大山積神社の摂社である。ここから気づくのは出雲地方で四国高松方言の「だんだん」などが混じっていること。それは村上水軍らが日本海でも活躍してきた痕跡とみてとれるのである。ちなみに「むらかみ」は「たむら」と同じように「たもら」「むれ」由来かと思っている。朝鮮語の済州島と山を意味する。
どちらの姓名も多分朝鮮由来の氏族である。「伽耶海岸部の倭国つまり金官伽耶」にいた氏族だろう。葛城氏・紀氏とは同じ血脈か?紀州九鬼水軍もそうだろう。また村上水軍の姓は越智であるが、これは越=日本海富山湾地名の高志=越からであろう。ということは彼らをひっくるめて越氏族、要するに遠くは中国越=のちに分裂して越南、百越。黄河文明に押し出されてベトナム北部人に。ドンソン・銅鼓の文化を持ち、なれ寿司や羽人の民・越人を大元にしたと自称しただろう海人氏族。蘇州を本拠地とした。蘇州の蘇は蘇我氏の蘇と同じ。(→滇国)
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蘇州から雲南、そして北ベトナムへ移動していった日本人と同じ遺伝子を持つ氏族
越人は志賀島金印と同じく蛇鈕である。
本体は蘇州海人族。つまり白水郎である。
倭族である。
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さて、「かばね」は姓と書くが、現代の姓名のことではなく、官位・尊称である。
宿禰のつく古代史の人物と言うと、主に連(むらじ)姓の神別氏族に与えられた。
野見宿禰、武内宿禰・甘美内宿禰(うましうちのすくね)兄弟、葦田宿禰などが有名だが、いずれも天武時代にはいなかった人。
宿禰のつく古代史の人物と言うと、主に連(むらじ)姓の神別氏族に与えられた。
野見宿禰、武内宿禰・甘美内宿禰(うましうちのすくね)兄弟、葦田宿禰などが有名だが、いずれも天武時代にはいなかった人。
しかし、天武が採用した官位に、滅亡した高句麗の官位を転用したというのも奇妙ではある。第一、それではゲンが悪い。もし少兄を採用したのならなぜそのまま少兄ですくねではなかったのか?小兄は中国の官位であり、天武が採用するならこっちであろう。それを大和言葉で「すくなえ」と読ませたというのがわかりやすい。
宿禰を「足尼」と書くのもげせない。どう読んでも「すくね」とは読めない。
ところが「すくね」の最も古い用例が埼玉県行田市 稲荷山古墳出土の鉄剣銘に多加利足尼と彫られていた。これが最古の考古学資料ゆえに文献の言うことより信憑性が相当高い。すると「すくね」そのものは稲荷山古墳の5世紀後半にはすでにあったことがわかる。
しかし表記は「足尼」である。『先代旧事本紀』巻第十国造本紀には「甲斐国造。纏向日代朝世、狭穂彦王三世孫臣知津彦公、此子塩海足尼(しおみのすくね)、定賜國造」とあって、記紀よりも信憑性がありそうか?双方から考えれば「足尼」のほうが「宿禰」よりも古いことは間違いない。旧事紀は当初、「足尼、宿祢、宿尼」を別々に使い分けているが、「大尼」などの官位も出てきて途中から「大祢」と書き換わっており、使用法がどこかでこんがらがって錯綜しはじめたようである。するとこういう思いつきもありえる。大海人=大尼。つまり天武を半島の軍人に見立てたのが「おおあま」の名前の真実・・・?
ちなみに「尼」は朝鮮語では비구니 音はPigーni。つまりサンスクリット語の「比丘尼」である。最後の音は呉音そのまま。日本語で「びくに」。
半島の高句麗や百済に「軍尼」という官位もあり、これは「くに」と読む。「くね」だった可能性もあろう。現代の「尼」は「に」と音読みするが「ね」であったか、あるいは混用があったか。では問題は「足」である。足は呉音で「そく」、漢音では「しょく」で、現代日本語では呉音を優先している。ならば「そくに」「しょくに」が正しい読み方か?それが「すくね」に訛ったということになる。
いずれにせよ古い表記が「足尼」だったのならば、その官職の呼称はやはり半島から来たのかとなる。尼は中国では呉音で「に」、漢音は「じ」で、これまた呉音が優先されている。これが尼僧に使われたのはサンスクリット音に文字を当てただけの事で、尼に尼僧の意味は当初なかった。本来の尼字の意味は新字源によれば「人に近づき並ぶ」ことである。それが官位になったと見える。王に匹敵する役職だろうか。すると宿禰たちがそういう人物像であることが理解できる。つまり側近=宰相=内臣である。
明治時代には呉音が珍重された過去があり、その名残であろう。明治にできた関西学院が「かんせい」と読ませる理由はこれだ。近畿や佛教界では特に呉音が優先され、仏教でも礼拝を「らいはい」と読ませている。要するに呉の方がつきあいが古かったのと、南朝のほうが権威だという考えである。実際、中国王家は南朝から始まっている。漢字漢字と言うけれど、半分以上は「呉字」だったわけである。そういえば和服を呉服とも言う。中世までの官位束帯を和服の本筋とするならば、それが着物に変わった江戸時代では呉服=正統な和服、新しい着物とするのが感じがよかったのだろう。それが今は洋服になったので和服は着物と呼ばれ始めた。着物では着衣すべてのことであるからどこの着物なのかわからないはずなのに、海外でも「Kimono」は和服を指すようになった。
では「足尼」が古いのはわかった。それが天武時代に官位として「宿禰」となった。いずれにせよ尊称でもあっただろう。王となる神人の側近、助言者だと解明できた。
ということは武内宿禰は助言者の代表である。ところが、武内宿禰という名前は「武」こそ名であるが、あとは役職名だけである。すれば『古事記』の読みである「たけしうちのすくね」のほうが「たけのうちのすくね」という『日本書記』呼び名よりよくならないか?「たけし」とは「たけだけしい」という意味であるので、タケミナカタとかヤマトタケルとかタケイワタツの「たけ」と同じで軍事的人物の名であろうから、結局、武内宿禰には日常で呼ばれた実名がない。つまり幽霊、空想上の人物=紀氏の伝承上の祖神となるわけである。300年生きて天皇に仕えたというのはつまり紀氏の祖先のことなのであろう。つまり紀氏は大和最古の王族=飛鳥王権にとっては「先の王家」=倭五王政権の宰相である。その子孫が葛城氏、巨勢氏、平群氏などなどで・・・そして蘇我氏であるとなる。
では「甘美内宿禰(うましうちのすくね)」はどうか?
「うまし」は美称で「美しい、よい」でやはり意味しかない。名ではない。これも紀氏の祖霊のへんげしたものである。「うましあしかびの神」となんら変わらない。ちなみにこの神の名の意味は「とてもよい葦の周りにできる高師小僧=褐鉄鋼」でしかない。
「うまし」は美称で「美しい、よい」でやはり意味しかない。名ではない。これも紀氏の祖霊のへんげしたものである。「うましあしかびの神」となんら変わらない。ちなみにこの神の名の意味は「とてもよい葦の周りにできる高師小僧=褐鉄鋼」でしかない。
足尼の「あし」ももしや「葦」だったりするか?ならば鉄の管理者の軍事的側近である。
すると出雲の少彦名もまたそういう人物だろう。だから金属=ミネラル=薬物で、のちに医療・薬師の神となったのは整合。その前提として同じく調合してできる百薬の長・酒の神であることも整合となる。
出雲にたたら製鉄の新技術をもたらし、ついでに最新医学と酒をもたらした渡来人。それが「小さな軍師」少彦名の実態である。だからオオクニヌシは大穴持=オオナムヂになれた。
大穴とは野だたらの窪地のことである。それを持っている人は、伽耶の鉄も自在に採集した成金大王。要するにそれは大和では葛城鴨氏を指す。なぜなら葛城襲津彦は伽耶の鉄を自由に採集する伽耶連合国家の宿禰だったからにほかなるまい。
だからこそ、大物主も大国主も大和の三諸の山=三輪山に祭られ、出雲にも祭られたのである。大物主は葛城系譜ら海人族の神=大三輪神であり、同時に出雲の神でもあり、大社のオオクニヌシなのだ。天武がその宿禰を採用したということは、天武の政治理想に葛城氏や蘇我氏の理念があったことの証明となり、もしかしたら、天武が蘇我氏血脈であることを隠すために、その前の聖徳太子の没年まで一年ずらしたという関祐二の説を強く後押しすることになるだろう。ならば・・・天武死後、天皇位が天智の子孫に戻るには、天智は蘇我氏の血脈でないことを証明するために、新たな海人族・息長氏の創作は必須になる。その息長の血とはもしや天武外籍となっていた宗像氏と藤原氏の結託から作られたものではなかったか?!
となると天智のための継体大王到来が、葛城出雲王家や次の倭五王系譜との分断をはかるものだった可能性すら出てきてしまうのである。
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