和田晴吾は古墳石室の棺(ひつぎ)について、九州型の「開かれた棺」と、畿内型の「閉じられた棺」について論じ、さらに「開かれた棺」が朝鮮半島南部の慶州に多いことを書いている(『古墳時代の葬制と他界観』2014 4月)
慶州周辺の屍床などを持つ「開かれた棺」
(『古墳時代の葬制と他界観』2014 より)
「開かれた棺」とは、竪穴式石室を「閉じられた空間」の埋葬様式とするに対する、日本では北部九州で横穴式石室に伴って始まる5世紀後半~6世紀にかけた開かれて、石棺を持たない、直接床に死体を置く葬送様式の石室を言う。この床を屍床と言い、九州ではやがて屍床周囲を石の衝立で囲み、前部だけが開いて遺骸が入り口から見える横口式となる、いわゆる「組み合わせ式石槨」が作られ始め、さらに石槨の上に屋根石=石屋形を置くようになり、次第に屋根の様式が中国的な宮の屋根のように凝ったものへと発展した経緯がある。
畿内では、竪穴式石室から6後半になりようやく横穴式石室が始まるが、棺は閉じられた石棺のままである。石棺はやがて畿内河内王権であろう強い氏族が登場して、それが派遣してきた国司クラスの墓には、九州でも採用され始めた。
朝鮮南部の屍床のある石室はほぼ、北部九州から遅れて6世紀後半から採用されており、かつ光州の前方後円墳の来訪の遅れることからも、これらは北部九州から半島南部へ人の移住とともに持ち込まれた墓制だろうと筆者は考える。
また、和田の仕分けと分析を受けた吉井秀夫は、半島南部横口式・横穴式の古墳における石室・木棺の年代別分析を綿密に行い、木棺を「持ち運ぶ棺」と呼んでおり、半島東部のかつての新羅の範囲だった慶州地方でも、九州型の屍床、石枕などのある古墳の存在を述べている。
半島で前方後円墳のような外観の一致する墳墓は、かつての百済の範囲である南西部の光州に多く集中するが、これもおそらく九州型横穴式石室を持っており、版図南部の東西に、九州からやってきた氏族の墳墓があることが確認できるのである。
古墳時代初期~中期の竪穴式石室では、一度土をかぶせるともう二度と開くこともできず、さらに石棺に先行した木槨・木棺も釘で蓋を身に打ち付けられ、あけることがかなわない。要するに竪穴式は閉じられて、再び家族を入れられない、個人の墓であるが、横穴式石室は重たい石で扉されるものの、それは開くことができたわけである。その証拠に重たい閉塞石の地面には「敷居」状の刻みがいれられている。これは『古事記』が描く「黄泉へぐい」の穴倉つまり死者の国のイメージそのものであり、天の岩屋戸の扉そのものであろうと思えるわけだ。そうなると『古事記』が言うところの黄泉のイメージというのは、考古学的にはせいぜい横穴式が畿内へ入ってあと、つまり6世紀後半を遡らない観念で描かれたことになるので、記紀の神話記事そのものが、紀元前何千年などまでは決して遡らない、つまり畿内大和王権の開始が6世紀程度・・・・雄略以後の観念で作られているのだと理解できるのである。はっきり言えば、神武どころか、スサノヲやアマテラスの神話時代も、8世紀記紀の編者が、6世紀あたりを神代と考えていることの証拠にもなろうか?
そしてもっと重要なことは、北部九州型の墓制が、7世紀直前の半島に再現されたことだろう。これは半島民族のアイデンティティを根底からくつがえすことになる。すべての古式がわが国から日本へ行ったといいたがる彼らには、かなりなショックであるはずだ。
吉井秀夫
朝鮮三国時代の墳墓における棺・槨・室構造の特質とその変遷
から抜粋
「朝鮮半島南西部と南東部では、木棺墓・木槨墓が築造される段階を経て、埋葬施設に石材を用いた、さまざまな構造の竪穴系埋葬施設が築造された。そうした変化の中で、各地域の大型墳墓の埋葬施設内に、鎹や釘を用いた「木棺」が用いられるようになる点に注目したい。南東部においては、鎹のみが用いられる地域が多い。例えば、洛東江河口の慶尚南道金海・大成洞墳墓群や釜山・福泉洞墳墓群では、長さ30cm以上の大型鎹が用いられる。鎹の用途についてはさまざまな説があるものの、出土状況からみる限り、筆者や李賢珠が指摘してきたように(李賢珠1997・2006、吉井2002)、木槨や石槨の内部に築造された「内槨」もしくは「木棺」と呼ばれる構造物に用いられたとみるのが、最も妥当であると考えている。また慶州の積石木槨墳の場合は、梅原末治によって木槨を構築するために鎹が用いられたと想定されている。洛東江中流の高霊を中心とする大加耶系竪穴式石槨からは、釘と鎹が出土することが多く、釘で側板と小口板を結合し、板同士を連結するために鎹が用いられたと推定される(吉井2000、本書第Ⅱ章)。
中略
以上のように、4・5世紀においては、王墓が出現する一方で、地域ごとにさまざまな構造の墳墓が築造される。その過程で、同一地域において木槨から石槨へ変化したり、「室墓」と呼びうる横穴系埋葬施設が受容された。しかしその一方で、「棺」の構造や、被葬者の数や葬送儀礼は必ずしも変化しなかったことを、この段階の墓制の特徴としてあげることができるだろう。
後略
(3)6・7世紀における墳墓の地域性と棺・槨・室
6世紀にはいると、高句麗・百済・新羅および加耶諸国において、王墓級の墳墓に横穴系の埋葬施設が採用される。そして、百済の陵山里型石室のように、石室構造に代表される独特の墓制・葬制がそれぞれの政治的領域内に普及した。
この段階において、「持ちはこぶ棺」である釘と鐶座金具が伴う木棺が、朝鮮半島の各地で確認されるようになる。百済の場合、宋山里墳墓群・陵山里墳墓群などの王墓級墳墓では、日本特産種であるコウヤマキを用い、釘や鐶座金具などによって装飾がなされた木棺が用いられ、他の墳墓で用いられた木棺との間に大きな違いが認められる。こうした木棺の出現時期について、筆者は、横穴式石室の出現と共に漢城期にまでさかのぼる可能性を考えていた(吉井1995)。しかし、最近調査例が急増している漢城期横穴式石室では、鎹と釘が共伴する場合が一般的である。
中略
6世紀の洛東江以西地方、中でも高霊・陜川を中心とする大加耶圏を中心とする地域では、玄室平面方形の横穴式石室が出現する段階において、釘と鐶座金具からなる「持ちはこぶ棺」が出現する。これらの中には、玉田M11号墓出土例のように、金銅や銀で釘頭や鐶座金具を装飾する木棺も存在する。こうした木棺は、咸安・宜寧・晋州などに分布する玄室平面細長方形石室でも用いられている。さらに陜川苧浦里古墳群D-Ⅰ地区のように、小型竪穴式石槨にも釘を用いた木棺が用いられた。以上の様相からみて、6世紀前半から中頃の洛東江以西地方においては、横穴式石室の構造のみならず、釘と鐶座金具からなる木棺を用いた新たな葬送儀礼が受容されたと考えられる(吉井2008c・本書第Ⅲ章)。
5世紀に尚州や昌寧で受容されはじめた横口式石室は、6世紀にはいると洛東江以東地方の各地域で築造されるようになる。昌寧校洞墳墓群の例のように、受容の初期段階の石室からは鎹が出土する場合があり、何らかの木製構造物が存在したと推定できる。しかしその後は、梁山夫婦塚のように、屍床の上に複数の被葬者が直接安置される場合が一般的になる。
羨道を備えた横穴式石室は、慶山や浦項など慶州周辺地域で築造がはじまるものの、慶州では6世紀前半頃まで積石木槨墳の築造がつづいていたようである。初期横穴式石室の中には、釘や鐶座金具が出土した例があるが、こうした木棺を用いる風習は定着しなかった。
「忠孝里型石室」と呼ばれる、慶州で発達した横穴式石室においては、屍身は屍床に直接安置され、石枕や足台が発達する。また、このような被葬者の安置方法は、横穴式石室の構造や「短脚高杯」に代表される特徴的な土器類の副葬などと共に、洛東江以東地方のみならず、洛東江以西地方、漢江流域、東海岸地域など、新羅領域内の各地に広がった。」
同上 和田著書より
6世紀後半には、北部九州人たちが半島南部の東西に入って、世代を重ねていたわけで、これはちょうど武烈から継体あたりの飛鳥直前のことなので、半島の百済・新羅経営や伽耶の鉄の占拠などといった大和、あるいは葛城勢力のやったことと書いている『日本書記』などは、まさに嘘になってしまいかねない。また葛城・紀の海人勢力こそが九州から和歌山を経て畿内へ入り、葛城山麓や紀ノ川沿線で別の王家を作っていたという筆者の持論に、考古学が合致するデータを提供してくれたことになるだろう。
と言うことは、要するに畿内が勢力を強くする時代は葛城・紀・吉備各氏を滅ぼす時代からであり、しかもそれは飛鳥でも奈良大和氏族でもなく、河内の倭五王の後半の人物だったこととなる。だから大和朝廷などという名前の近畿の勢力が登場して王朝をちゃんと作った時代とは、せいぜい飛鳥の蘇我氏が最初で、大和地方ではないとなるのである。用語を正確に使うならば「大和朝廷とはなかった」河内の次が摂津・乙訓、そのあとが飛鳥となり、最後にやっと奈良時代がやってくる。飛鳥が奈良につながるのは天武がつなぐという『日本書記』の記事しか記録はないし、ましてその前の河内政権から継体へのつなぎも『日本書記』が言っているだけであり、そのすべてにクーデター乗っ取り劇があったと思うのは、もう当たり前だとなったとも言える。
百歩譲っても、大和政権の誕生は雄略からである。
しかもそれも允恭時代までに葛城勢力つまり武内宿禰の勢力を倒して以後、雄略がようやく大和に入ってからである。
もしかしたら神武から仁徳、聖徳太子あたりもかなり怪しくなリャせんかい?
『日本書記』はすでに正史とは言えない状況。なにかこう、今の小渕さんみたいな水際状態である。
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