◆こもりく
故(かれ)、追ひ到りませる時に、待ち 懐 ( おも ) ひて歌ひたまはく
●隠国(こもりく)の 泊瀬 ( はつせ ) の山の 大峡 ( おほを ) には
幡 ( はた ) 張り立て さ 小峡 ( をを ) には 幡 ( はた ) 張り立て 大峡にし なかさだめる 思ひ妻あはれ 槻弓 ( つくゆみ ) の 伏 ( こや ) る伏りも 梓弓 立てり立てりも 後も取り見る 思ひ妻あはれ
●隠国(こもりく)の 泊瀬 ( はつせ ) の河の 上 ( かみ ) つ瀬に 斎杙 ( いくひ ) を打ち 下 ( しも ) つ瀬に 真杙 ( まくひ ) を打ち 斎杙 ( いくひ ) には 鏡を 懸 ( か ) け 真杙 ( まくひ ) には 真玉 ( またま ) を懸け 真玉 ( またま ) なす 我 ( あ ) が 思 ( も ) ふ妹 鏡なす 我が思ふ妻 ありと 言はばこそよ 家にも 行 ( ゆ ) かめ 国をも 偲 ( しの ) はめ
『古事記』 木梨軽皇子詠みし歌二首
●木梨軽(きなしのかる)
允恭天皇の皇子。母は忍坂大中姫。安康天皇・雄略天皇の同母兄。允恭二十三年、立太子。同母妹の軽大娘皇女と密通し、翌年、これが漏れて軽大娘皇女は伊予に配流された。四十二年、允恭天皇が崩御すると、群臣は同母弟の穴穂皇子につき、孤立した太子は物部大前宿禰の家に匿われるが、穴穂皇子の軍勢に取り囲まれ、自決した(以上、日本書紀による)。古事記では大前・小前宿禰に捕えられ、伊予の湯に流されたあと、追って来た軽大郎女と心中したとある。
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/kinasi.html
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●「こもりく」とは「籠るところ」である。隠国で「許母理久」と読む。
籠るとは、隠棲して精進潔斎し神仏に祈りを捧げることであるが、これはそもそも「まつる」ことの本義であった(久野昭2004)。
籠るの意味は、籠に隠れる。
「かご」は音を「こ」で、変化すると「け」となる。「こ」もる。かくれる。
「け」は食器の総称であった。→かわらけ、しょうけ、笥(け)に盛る飯を草枕
転じて「コモル」である。
祭とは本来、こうしてこもることだった。
●泊瀬(はつせ)は初瀬で、奈良県桜井市の山側、三輪山・巻向山・泊瀬山に囲まれた谷間を指す。
泊瀬川の湧水点で「初瀬」であり、最果ての「果つ瀬」であり、扇状地の奥の奥の黄泉の国である。
転じて「死に場所」。
長谷(はせ)は同意語である。長谷寺が建つ。
土形娘子(ひじかたのおとめ)を泊瀬山に火葬(やまはぶ)る時に、柿本朝臣人 麻呂の作る歌一首
●隠口の 泊瀬の山に 照る月は 盈長しけり 人の常無き 万葉集 巻7 1270 詠み人知らず
隠口乃泊瀬之山丹 照月者 盈呉為焉 人之常無
こもりくの はつせのやまに てるつきは みちかけしけり ひとのつねなき
※盈=みちる
「許母理久乃は、「隠れ城の」にて泊瀬と云はん枕詞なり。許母理久は岩屋戸隠れなど云うごとく、人の、幽冥に隠もりて見えずなること、城は墓を奥城と云う城なり。泊瀬は上古の墓所にて山城の京の鳥部山の如くなりつれば、其の地の名も果瀬と云う。果は終る意。瀬は限りの意なり。ゆえに隠れ城の果瀬・・・。倭姫命世記に、許母理久志多備(こもりくしたび)の国とあるは、下部(地下)の国にて、黄泉の事なり」
橘守部『稜威言別(いつのことわざ)』巻七
人麻呂の生きていた奈良時代(天武年間)に、泊瀬はすでに火葬の場となっていたことが考古学でわかった。
先日、考古学ニュースに兵庫県猪名部の火葬場遺跡が出ていたが、あれなどわずか鎌倉以後のものである。
泊瀬は奈良時代初頭から、つまり持統天皇が火葬された最初の天皇であり、最初の火葬を受けた僧道昭の時代である文武年間から始まっていたのだろう。
京都の鳥辺野(とりへの)はつまり化野(あだしの)周辺であるが、おたぎ郡周辺はやはり火葬と墓場になった。
この「とりへ」とは要するに鳥葬(チョウソウ)風習の縄文時代からあったという地名である。「あだしの」の「アダ」は「あだうち」・「あだな黒塀」の「仇」で、すさんだという意味である。転じて女のコケティッシュな風に使われる。
「おたぎ」には「あたご」が先、「お焚き火」が先などいくつか説がある。しかし「あだぎ」訛って「おたぎ」から「あたご」かも知れぬ(柳田國男)。
全国各地にコモル場所はある。
地名では、秋葉は火葬地名で今も火葬場は多いし、たいがい火の神カグツチを祀った秋葉神社もある(東京都秋葉原、別府市秋葉)。こういう場所はたいがい奥まった高台で、風が吹きぬける場所で、要するに鍛冶屋と同じく火がおこりやすい土地柄である。だから皮肉なことに昔から火事が多い。
長野県には隠れ里地名の戸隠(とがくし)がある。漂泊者が籠った地名であろう。
「おこも」さんという言葉は隠遁者の通称である。背中に薦=蓑やゴザを纏うゆえであるが、世捨て=死者なのであろう。古代にはそうした被差別舎から墓場の守戸・陵戸が選ばれた。それが武家の世になると漂泊するようになる。王家の庇護が失われたからだ。それらがいわゆる「瀬降り」「ポン」「わざおぎ」などへと分化していった。
和歌の大元は長歌であり、どちらも祭りの謳いから始まる。和歌の抑揚あふれる調子こそは「歌垣」からの由来を物語っている。長歌もまた節回しをつけ、本来吟遊口伝されたもので、そこから猿楽や神楽も始まっている。
謳いの大元こそは太古から続く訪問・来訪神の歓迎祭祀なのである。それは西欧ではフォークダンスやロマのフラメンコなのであり、少数民族では歓迎の手をつないで踊り謳う宴となる。ロマとは欧州ジプシーのような漂泊芸能民である。朝鮮にもそうした漂泊芸能民はあった。ゆえなくも、棲家を負われ、つまり敗北して彷徨せなばならなくなった歴史がそこにはある。
長谷寺十一面観音像は漂泊者と技能者の守り神である。
続く
参考 久野昭『異界の記憶 日本的たましいの原像を求めて』三省堂 2004
ちなみに人名の長谷・長谷川・長谷さんは泊瀬が起源の祭祀する氏族に多い。私事ながら筆者親族にも一軒あり。
komorikuno
先に書いたとおり、日本人は世界には少し出ては、あとは籠もる民族であった。
なぜなら、敗北者だったからである。
西日本の中心部を占めた人々は、そもそもが、大陸から追い出された人々が、こもりくの天然の要害であるまほろばに引きこもったことから始まった。われわれは敗北者の子孫から始まったのだ。
では?どうするんだ?考えろ。
おたく文化?
引きこもり?
どうする?
きみが考えることなのでは?
それでいいのか、そこから出てゆくのか。
ランクリよろしく!!
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