久木 かおり/身体コミュニケーションと帽子
帽子にまつわるエピソード
そして、いくつかの「帽子にまつわるエピソード」があります。愛の帽子、幸福を招く帽子、生きている帽子、幻の帽子、差別の帽子、宿命の帽子、の6つのエピソードがあります。
愛の帽子について、ルイ17世とリシュリュウ枢機卿の時代である17世紀のフランスでは、騎士が、つばの広い帽子で、ダチョウの大きな羽をサイドから後頭部にかけて垂れ下がるようについている帽子をかぶっていました。騎士がこの愛の帽子に分類されているのは、騎士は女たちの前では精一杯つっぱって見せていたからです。この時代、フェンシングが盛んで、羽飾りは右腕の邪魔にならないように左側か、後ろにつけられていました。この17世紀の習慣より、現代の帽子の飾りは左側についています。そしてフランスでは、毎年11月25日に「聖カトリーヌ祭」といわれる帽子の祭りが行われます。参加者はさまざまな工夫の凝らした帽子をかぶります。それが、ハイヒール帽子やコルセット帽子といったユニークな帽子だったのです。主役となるのは、その年に25歳となる未婚の女性です。昔、聖カトリーヌが妃の頭に天使の冠をかぶせることでその心を開きました。そのためにこの冠が思いを遂げる帽子とされ、聖カトリーヌ祭が開かれるようになりました。現在、パリモード界に受け継がれ、毎年開かれる各メゾン主催のパーティのクライマックスは、帽子のコンテストとなりました。16世紀中頃のヨーロッパでは、未亡人の帽子と呼ばれるハート型の帽子が登場します。これは、未亡人となったフランス人の二人の妃が好んでかぶったためそう呼ばれます。それと一緒に、禁欲的なイメージを持つマントやコートも着用されるようになりました。未亡人は、二年間髪を覆い隠し、再婚しない限り黒いマントを着用し喪に服し続けました。他人に顔や姿を見せないようにすることが、亡き夫への貞節の証だったのです。
次に幸運を招く帽子には、青い帽子があります。ヴェネツィアでの花嫁は、地中海を思わせるようなコバルト・ブルーの帽子をかぶっています。昔から「青い鳥」「青い花」といった青には幸せや理想を象徴していると言われます。このように青い帽子は、自分と自分を祝福してくれる人に幸せがやってくるようにという思いがこめられているそうです。
次に幻の帽子ですが、17世紀にビーバーの帽子が大流行しました。そのためにビーバーの生息数が激減し、深刻な問題となりました。そして姿を消すという運命をたどることとなったのです。大航海時代が生んで新しい時代の波にかき消されたビーバーの帽子は、幻の帽子となったのです。
次に差別の帽子ですが、16世紀半ば以降のイギリスでは、ベレー帽というのは「町民の帽子」として広く普及しました。エリザベス1世の時代では、中産階級の七歳以上の者は日曜と祭日に帽子を必ずかぶるように義務づけられていて、違反者には罰金を科するという法律が制定されました。ルネッサンス期のヨーロッパでは、階級によって就く職業が決められていただけでなく、職業ごとにかぶる帽子や色も決められていました。例えばフランスでは黒が貴族階級の色でした。また、イギリスでは白い帽子も身分の高い婦人にだけに許されていました。
次に宿命の帽子についてですが、これには「キャロット」という「ロミオとジュリエット」でジュリエットがかぶっている半球型の帽子で真珠の純愛帽子と呼ばれる帽子があります。これには、いくつもの真珠がちりばめられていて、純愛を象徴するかのようであります。この頃、真珠をちりばめたキャロットに熱をあげていたのは、貴族の若い娘たちでした。そして、古代ローマ時代には、結婚式の前夜に、頭にかぶって眠りについたという赤い糸を編んで作ったヘア・ネットの前夜の花嫁帽子というものがあります。また、花嫁は炎のような赤か黄色のベールを着用しました。赤とは、悪霊を寄せ付けない色とされていました。そしてカトリック教徒では、花嫁のベールは白か紫でした。映画「ロミオとジュリエット」でも、礼拝堂での二人だけの結婚式にジュリエットが薄い紫色のフードをかぶっています。現在では、純白または白に近い生成り色のベールが多いです。教会で女性がベールをかぶるようになった理由は、1世紀頃から、キリスト教会により始まりました。女性の髪は淫らなものとされ、教会に入るときは必ず、髪を覆い隠さなければいけないとされました。以来、カトリックの宗教的な集まりの席では、女性はベールをかぶるのが鉄則となりました。次に18世紀末に「二角帽子」(黒いフェルトやビーバーの皮でつくられている)で民間や軍隊で最も好まれたナポレオンの帽子があります。18世紀、男性の帽子の主流とは、「三角帽子」といわれるものでした。これは上流階級のしるしとされ、普段はわきの下に抱えて持ち歩く折りたたみ式となっていました。18世紀の下層階級の人々は、エッジを巻き上げない帽子をかぶっていました。18世紀の末には、先ほどあげた「二角帽子」が人気となります。今日でもフランス、イギリスの海軍の上級士官たちの帽子として残っています。
帽子とマナー
かつてヨーロッパでは、紳士を見分ける方法がありました。{もし、その人物が家の中に入ってきて、帽子を脱ぐようなら真の紳士である。帽子を脱がないのなら、紳士のふりをしている男である。そして、帽子をかぶっていない人物は、紳士のふりさえすることをあきらめている男である}と判断されました。そして、19世紀の帽子に対するエチケットが3つあります。①知人に会ったときはとる、②女性の前では脱ぐ、③車を運転している時に知人に会ったときは持ち上げてみせる、といった3つがありました。そして、ヨーロッパの習慣では、たとえエレベーターの中であろうと男性の場合は、室内では必ず帽子をとらなければいけないとされていました。しかし今では、帽子を「脱ぐ」というのは、「くつろぐ」といった意味になっています。今回帽子のマナーについてもう少し調べてみました。広辞苑を見ると「脱帽」の意味として、1.敬意を表すために、帽子を脱ぐこと。2.比喩的に(その相手には、とてもかなわないとして)敬意を表すこと、とありました。
帽子はかぶるものですが、脱ぐときにその人の人品が問われることになります
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