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易経二十四節季

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『易経』に曰く、
「天文を観てもって時変を察し」
「天文を観、俯してもって地理を察す、この故に幽明の故を知る」
 
=日月星辰の位置や動きから季節の移り変わりを知る。=暦法
 
 
食べてゆくためには収穫や狩猟採集に最適な時期を知る必要場あり、そのためには暦を知る必要がある、ということである。つまり地上の周期的変化を自然現象・・・つまり宇宙の摂理=神=天がそれを知らせるのだという考え方である。
 
 
 
また、
「天象を垂れ吉凶を見して」
 
=天は天文現象を通じて将来の吉凶を知らせる=占星
 
 
 
このように天文にはカレンダーと未来予測という二種の天啓があるとしてある。
この二つを把握するものが神の代弁者としての王・人間の支配者であった。民衆は王によって支配され、王は天文によって支配されていた。これを則天武后前後の時代には天皇(てんこう)とも言う。
 
 
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これを陰陽=日月、と五元素=五行の相関関係によって把握しようとしたのが中国古代である。これを暦法といい、陰陽五行説と言う。その中に二十四節季がある。
一年を十二の節気に区分し、その中間点に中気を置くことで全体で二十四の気に分配する。
 
二分二至(春分・秋分と夏至・冬至)
四立(立春・立夏・立秋・立冬)
の八節の期日をきめるために「表」と呼ばれる棒(西欧でノーモンという)を立て、影の長さによって太陽の高さを測った。つまり日時計である。
 
天の運動を客観的に観測し、その法則を求めることで、一年の予測を立てる。そのほかに動植物の生態情報もここに加えより緻密な予測にしていた。天の規則的な動きを受動的に捉え、王は天の法則にしたがって為政者となった=天命 とする。ゆえに王は「天子」であった。天の摂理を科学する・・・つまり統計学である。過去のデータを積み重ねて、未来を予測したのだから、今の気象学となんら根幹は変わらない。
 
 
支配者たる天子は、神の命=摂理を受けて政治を行った。つまり王とは宇宙の摂理が指名したと考えたのである。
 
占星術は反対に、天の摂理を積極的に受け入れようとした。異常事態、天変地異を過去のデータから予測し、王に奏上せねばならず、ゆえに国家機密であった。だからこそ、どんなに小さな異変でも記録されたために、現代天文学の「何年ぶりの」という表現を可能にした。天の動きを過去の動きから前もって予測するのが占星術である。国家や支配者の運命を天の異変から占うことを公的占星術=天変占星術と、誕生月の星の位置から個人の運命を占う宿命占星術=ホロスコープ占星術とがある。前者はアジアで、後者はギリシアで広まった。前者は天の異変に注視し、後者は星の規則的運動を注視する。これが西欧の科学・哲学とアジアの道教の相違となる。天を律する宇宙神は、アジアでは人間社会を動かす災害神となり、西洋では時計職人のように規則的運動を律するインナーな征服者であった。
 
 
宇宙が時計仕掛けであるがために西欧では客観的科学が生まれたが、東洋では主観的易経として大成したのである。
 
 
 
参考文献 池内了 『宇宙論と神』2014
 
 
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