Quantcast
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1881

富士山大爆発


富士山の爆発は過去数回起きている。
中でも、万葉和歌の世界に富士山や東国の景勝地が頻繁に登場してきた画期には、奈良時代のある百年間の天変地異が大いに関与した。


九世紀。

古代史上もっとも天変地異が起きた年である。


五月・・・廿六日癸未 陸奧國地大震動 流光如晝隱映 頃之 人民叫呼 伏不能起 或屋仆壓死 或地裂埋殪 馬牛駭奔 或相昇踏 城(郭)倉庫 門櫓墻壁 頽落顛覆 不知其數 海口哮吼 聲似雷霆 驚濤涌潮 泝漲長 忽至城下 去海數十百里 浩々不辨其涯諸 原野道路 惣爲滄溟 乘船不遑 登山難及 溺死者千許 資産苗稼 殆無孑遺焉


いわゆる貞観の大地震である。これによって多賀城が大被害を受け何度も改修された。


850年11月23日(11月27日)(嘉祥3年10月16日) -出羽国地震、M7 863年7月6日(貞観5年6月17日) - 越中越後地震 864年7月 - 富士山貞観大噴火(2年間) 864年11月 - 阿蘇山噴火 867年3月(貞観9年1月) - 鶴見岳(大分県)噴火 867年6月 - 阿蘇山噴火 868年7月30日(8月3日)(貞観10年7月8日) - 播磨・山城地震、M7、山崎断層か。
  • 869年1月(貞観10年閏12月) - 摂津地震(7月30日の余震が続いていた)
869年7月13日(貞観11年5月26日) - 貞観地震 869年8月29日(貞観11年7月14日) - 肥後台風被害。同時に津波が襲った可能性あり。 871年5月(貞観13年4月) - 鳥海山(山形県・秋田県)噴火 874年3月25日(貞観16年3月4日)、仁和元年(885年)7月、同8月 - 開聞岳(鹿児島県)が大噴火。 878年10月28日(11月1日)(元慶2年9月29日) - 相模・武蔵地震、M 7.4 880年11月19日(11月23日)(元慶4年10月14日) - 出雲で地震、M 7 887年8月26日(仁和3年7月30日)- 仁和地震南海トラフ巨大地震?)、M8.0〜8.5 893年 - 国外の白頭山噴火にともない北日本東北地方北海道)に降灰。

以上『日本三代実録』から編修されているWiki貞観地震などの9世紀の災害記録


Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 1


富士山に限れば、まず800年に噴火は始まっている。三月十四日から四月十八日の約一ヶ月間それは続いた。昼は噴煙によって周囲は暗黒に、夜は昼間のように噴煙があかあかと照らし出し、噴火は雷音をたてて人々を恐怖の底に陥れた。火山灰は雨のごとく降り続き、溶岩流は眼下の川を血の色に染めつくした。

802年、正月再び噴火。昼夜を問わず砂礫と灰があられのように地上に降り注いだ。

864~865年 再び大噴火。

当時の噴火が生み出したのがほぼ今の富士山の原型になった。


昨日のかぐや姫記事で書いた富士山の中腹にあるかぐや姫の雪渓は、当時からだった可能性がある。さらに、このことは奈良の朝廷へ逐一通報があり、そのつどの朝廷の対応もちゃんと記事に残されている。

この大災害以降、和歌の世界で富士山や多賀城、あるいは宮城の「末の松山」などの地名が頻出しはじめる。そして日本各地にできはじめていた顕彰碑造営がストップしている。

そもそも顕彰碑などの記念石碑を建立する風習は日本にはなかった。古墳の墓誌すらなかった。それを持ち込むのは東国・東北の渡来人である。石碑建立の風習の大本は中国にあり、朝鮮にもかなりあった。しかし日本には彼らがやってくる7世紀後半には皆無である。


全国に残された石碑分布図

Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 2




本で今繰り返される「9世紀の天変地異」を専門家が指摘














 甚大な被害を及ぼした東日本大震災だが、ここ10年くらいを見てみると、日本各地でいろいろな災害が起こっているのがわかる。ある専門家は歴史や遺跡などから考察し、過去にも同じように天変地異が続いたことが日本にはあったことを指摘する。

 宮城県多賀城市にある東北学院大学工学部の教授、河野幸夫さんは『歴史としての東日本大震災』(刀水書房)の共同執筆者。水理学が専門で、水撃圧による配管破断を研究し、津波に関心をもつようになった。

 その研究はかなりアクティブだ。海底遺跡を調査するため、50歳手前でダイビングの免許を取得した。

「オーストラリアのケアンズのサメがうじゃうじゃいる海で特訓をしました。松島湾では14年間で100回ほど潜っています。最初は小さな船で行き、スキンダイビングで死ぬ思いをしました。いつもこれが最後だと思って潜っています。私の研究室の学生は、みな潜りますよ」

 かつて松島湾南方約10キロほどの地点に大根(おおね)島があり、貞観(じょうがん)
地震(869年)で海底に沈んだとされる。

「ダイビングを重ね、水深10メートルから15メートルの地点で、明神の祠を二つ発見しました。階段のような遺跡、木の化石もあった。貞観地震で島が沈んだことはまぎれもない事実です」

 河野さんは仙台平野の掘削調査や炭素測定も行い、地震の痕跡を調べてもいる。日本経済新聞に寄稿した「海底遺跡が語る貞観地震」(2011年8月16日付)に書いている。

「自ら確かめた海底遺跡、地層と古文書の記述を突き合わせると、現代の地震・津波との強い関連性が見えてくる。日本列島では今、まさに9世紀に起きた天変地異が繰り返されている」

 2000年以降に起きた三宅島の噴火、中越地震、岩手・宮城内陸地震、そして東日本大震災……。

「9世紀に発生して今世紀に起きていないのは富士山や鳥海山の噴火ぐらいだ」

週刊朝日 2013年4月19日号






今、再び日本列島が動き始めている。
世界各地のリングオブファイアー上の火山たちが鳴動し、大地震と津波が勃発。この傾向はあと百年間続くと見てよいだろう。

つまり地殻変動の時代、「イベント」が始まったのだ。

そこに危険な施設が放置されたまま、いよいよこの大変動期はメインエベントを迎える。阿鼻叫喚と氾濫の時代である。



なのに、あなたがたはまだ、都心に働き、きわめてあやうい地盤の上に、砂上の楼閣のごときちんけな我が家で眠り、毎日毎晩を、剣のやいばの上を綱渡りするごとくに、それが正しい人生だと思い込み、貧相で、不勉強で、危機感の皆無な、ミゼラブルな幸福に安穏とし、なにも危険なことはないと信じ込み、おのれの馬鹿さ加減を棚に上げ、不安をごまかし、岩屋戸の後戸の闇に隠しこんで生きている。まるでスサノヲの暴走に恐れ戦くアマテラスのごとくに扉の奥に逃げ込んでいる。



そのまま後戸へ隠れておればいい。



防空壕にでも隠れていろ。





災害の神は、われわれ不遜なる人類の大半をそろそろ消してしまいたいと思い始めている。カタストロフィによって、その高慢で、鼻持ちならない無知な脳溝と、これまた貧弱で、さわるだけで折れてしまいそうなガラスの肉体とを、更新する時期が近づいたのだ。





Image may be NSFW.
Clik here to view.
イメージ 3



われわれには祈るしかない。それは太古・古代からわれわれが少しも進化していないという証拠である。おまえもおれも、神々の足元にも及ばない未だサルでしかない。

それを忘れてはならない。為政者は。



Kawakatu’s HP 渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
かわかつワールド!なんでも拾い上げ雑記帳
 http://blogs.yahoo.co.jp/hgnicolboy/MYBLOG/yblog.html
画像が送れる掲示板http://8912.teacup.com/kawakatu/bbs/
Kawakatu日本史世界史同時代年表http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nennpyou.html
公開ファイルhttp://yahoo.jp/box/6aSHnc
装飾古墳画像コレクションhttp://yahoo.jp/box/DfCQJ3
ビデオクリップhttp://www.youtube.com/my_videos?o=U






Viewing all articles
Browse latest Browse all 1881

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>