形態(形質)人類学における人種
ネグロイド
モンゴロイド
コーカソイド
オーストラロイド(サフール人=アボリジニと南インドドラヴィダ人)
それぞれに狭義と広義の解釈がある。
例えばモンゴロイドでは、狭義にはモンゴル民族に代表される黄色人種(新モンゴロイド)だけを指す場合と、広義には東南アジアなどの古モンゴロイド、及び、ミクロネシアなどの太平洋のほぼ全域に拡散した島嶼人つまり、オーストロネシア語族、アメリンド、アイノイド※、イヌイット、メキシコ人、中南米インディオまで含めて言う場合がある。
ネグロイド
モンゴロイド
コーカソイド
オーストラロイド(サフール人=アボリジニと南インドドラヴィダ人)
それぞれに狭義と広義の解釈がある。
例えばモンゴロイドでは、狭義にはモンゴル民族に代表される黄色人種(新モンゴロイド)だけを指す場合と、広義には東南アジアなどの古モンゴロイド、及び、ミクロネシアなどの太平洋のほぼ全域に拡散した島嶼人つまり、オーストロネシア語族、アメリンド、アイノイド※、イヌイット、メキシコ人、中南米インディオまで含めて言う場合がある。
※
アメロイド・・アメリカ先住民=インディアン
アイノイド・・アイヌ民族
ちなみに、形質人類学狭義のモンゴロイド・新モンゴロイドとは、皮膚組織にカロテンを多量に持つために肌が黄色く見える民族全般を指す。特徴は、その半数は酒に弱い。つまりアセトアルデヒド分解率が低い。日焼けしやすく、焼けると小麦色になる。乳幼児の蒙古斑の出現率が非常に高い※。などがある。
※蒙古斑は現在ではアジア人の専売特許ではないことは明白になっており、モンゴロイドの証明としては、パーセンテージが高いことで表現される。
インドヨーロッパ語族の系統樹
アルタイ語の系統樹
オーストロネシア諸語の系統樹
こうした説は、いずれまた新しくなってゆくので、ここではおおざっぱに、現段階での最新であろう説で、ざっととらまえておきたい。
ニューギニアを基点とすると考えられるラピタ人は、台湾や中国柳江周辺から分岐し、ニューギニアから4000年ほど前にまた分岐して、それぞれ太平洋に拡散し、集合・分裂・混血を繰り返しながらポリネシア人に変化して行ったのだろうと言われる。その範囲は東は北米・南米。南はニュージーランド、北は小笠原諸島、西はアフリカのマダガスカルである。すべて海を越えて広がっている。
◆オーストロネシア語族とラピタ人
「ラピタ人は、今からおよそ3600年前、インドネシアのビスマルク諸島に突如姿をあらわし、バヌアツ、ニューカレドニアを経て、ついには西ポリネシアのトンガ、サモアにも居住を始める。2000年前頃には再び拡散を開始し、クック諸島、ソシエテ諸島、マルケサス諸島など東ポリネシアに到着し、西暦1000年頃には、イースター島、ニュージーランドに到着している。」
「オーストロネシア語族の東への移動は大きく分けて二つの波があったと考えられているが、二回目の大移動、アジアのモンゴロイドたちが琉球列島を含む台湾あたりから東へと移動をはじめたのは、今からおよそ6000年前といわれている。」
*高度な土器文化と栽培食物を運んだ「海のモンゴロイド集団」の一団であり、
*人類史上初めて、南太平洋の島々に住み着いた人々
長い間土器を持たなかった太平洋地域にあって、高度な技術「ラピタ土器」を残したラピタ人はアジア人とポリネシア人をつなぐミッシング・リングとして注目を集めている。
「人類学は何を語っているのか」片山一道教授 より引用
新モンゴロイドは中央アジアからやってきたテュルク系民族とバイカル湖あたりで混血し拡散。その中の一派が日本列島北部にやってきた。南下して近畿~南九州あたりまで拡散。
古モンゴロイドとラピタ人の子孫は、台湾から琉球諸島を北上し、港川人となった。
その後、新石器時代の貝の貿易によって彼らは奄美、種子島を経て北西九州や朝鮮半島南岸人、中国海岸人と交流・混血する。
アイヌはこれらに先んじて?海を渡って?北海道東部へ到達した古モンゴロイドで出身地は不明。その後南下して一旦は中部地方あたりまで拡散するが、その後また北上し、最後は北海道東部に陸封された。
あくまでもわかりやすく表現したが、そうではないかも知れない。あとはご自分で。
日本語にはオーストロネシア言語と、テュルク系アルタイ語膠着言語が到来。混合している。
膠着語とは、語尾を付着させて変化させる言語。 日本語における膠着語とは、語幹に語尾をいろいろ変化させて付着させていく言葉をいう。進む。~まない。~めば。
オーストロネシア言語とはこの文法に、子音+母音。語頭がNで始まる単語を持つ。日本語の「うま」はもともとは中国語の「マー」であるが、それが伝わるときに、古くは「んま」でこれは馬伝播に関わった島嶼言語の発音の影響である。それが「むま」から「うま」に落ち着いたと考えられる。
一方、北方からは半島経由の「こま」が東北あたりに入った。これらは外来語である。
一方、北方からは半島経由の「こま」が東北あたりに入った。これらは外来語である。
例えば青森県の三内丸山から小船に土器を乗せて海へ放流する。
海流はそれをベーリング海から北米、南米へと回遊して、南太平洋を経て、またアジアに戻るだろうと思う。そういう遭難した舟の縄文土器が、南米あたりに漂着したという学者もいる。しかし、それでは後世までとても残るとは考えにくい。誰かが一緒に持っていかねば海の藻屑で終わるだろう。誰か南米人が拾う・・・万に一つの確率であろう。先の大津波で持ち去られた品々が北米やメキシコで粗大ゴミとして漂着している。
イースター島には、1500年ほど前にニューギニアあたりから連れて行かれた犯罪者?が入植された。
アボリジニは単独の分岐民族で、ひとりオーストラリアまでたどり着いた民族。
ミクロネシアの「越えられない海峡」を超えたのは、古代アボリジニと太古の原人ホモ・フローレシエンシスだけだろう。中国江南あたりには、彼らの伝承が聞こえていたのではなかったかと思う。いわゆる侏儒國とか黒齒國である。黒齒国は間違いなく南米突端の倭種である。
遺伝子で元をどんどんたどってゆけば、われわれ人類はみなアフリカのサン(ブッシュマン)に行き着く。今のところそうなっている。ただ、北京原人や柳江原人の派生元もそうなのかどうかは、サンプルがないから判別しようがない。ただそれだけである。遺伝子学ではサンプルが出なければ何百年待っても新説の出しようがない。つまり今は現在の説を用いるしか手はなく、それ以外は妄想扱いになるだろう。
Kawakatu’s HP 渡来と海人http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/
かわかつワールド!なんでも拾い上げ雑記帳
http://blogs.yahoo.co.jp/hgnicolboy/MYBLOG/yblog.html
日本史世界史同時代年表http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nennpyou.html
公開ファイルhttp://yahoo.jp/box/6aSHnc
装飾古墳画像コレクションhttp://yahoo.jp/box/DfCQJ3
ビデオクリップhttp://www.youtube.com/my_videos?o=U
かわかつワールド!なんでも拾い上げ雑記帳
http://blogs.yahoo.co.jp/hgnicolboy/MYBLOG/yblog.html
日本史世界史同時代年表http://www.oct-net.ne.jp/~hatahata/nennpyou.html
公開ファイルhttp://yahoo.jp/box/6aSHnc
装飾古墳画像コレクションhttp://yahoo.jp/box/DfCQJ3
ビデオクリップhttp://www.youtube.com/my_videos?o=U