邪馬台国はなかった。
地名が邪馬台国ではなかったからなかったのではない。
魏志を書き残した西晋(魏の次に成立した古代中国国家)の為政者にとって、そこはなくてもよかった土地なのである。
ただ、記録上、そこは敵対した呉の東にあると思わせればよい、架空の国だったのである。
魏志の倭人伝の道程記事で、帯方郡から南下して、渡海して末盧國から竹志國の伊都國、奴國までは順当に道のりが追えるが、なぜかそのあとの「不弥國」からさっぱり足取りがつかめなくなる。
ここでおかしいと感じなければならない。該当する地名が残っていないのである。
これまでのすべての論理論考は、常に、邪馬台国はどこにあったのか?に向けられてきた。しかし、筆者の論考は、それらの真逆の発想で、「邪馬台国をどこに置けば中国は安心だったか?」に向けられる。
地名が邪馬台国ではなかったからなかったのではない。
魏志を書き残した西晋(魏の次に成立した古代中国国家)の為政者にとって、そこはなくてもよかった土地なのである。
ただ、記録上、そこは敵対した呉の東にあると思わせればよい、架空の国だったのである。
魏志の倭人伝の道程記事で、帯方郡から南下して、渡海して末盧國から竹志國の伊都國、奴國までは順当に道のりが追えるが、なぜかそのあとの「不弥國」からさっぱり足取りがつかめなくなる。
ここでおかしいと感じなければならない。該当する地名が残っていないのである。
これまでのすべての論理論考は、常に、邪馬台国はどこにあったのか?に向けられてきた。しかし、筆者の論考は、それらの真逆の発想で、「邪馬台国をどこに置けば中国は安心だったか?」に向けられる。
続きを読むためには?
1 ヤフーID
2 ヤフー仮ブログを作り
3 民族学伝承ひろいあげ辞典をお気に入りに登録
4 本当に読みたいならさらに友だちになって
5 会員申請メッセージして
6 Kawakatuと交信し
7 入会してやっと読める
これについて文句があるならいつでもコメントどうぞ。
ぼくはこのブログが今後来訪者ゼロになっても、過去記事の主力をすべて会員制へ動かしてもいいと思っている。すでに全公開ブログにぼくは興味はない。
つまり、会員にならない人々に向けて記事を書く続けることを、徐々にやめていくつもりである。ぼくの記事の視聴者は数十人のファンだけでもかまわない。そのほうが楽である。