
民族学伝承ひろいあげ辞典に貼り付けておいた左右半々のご神文について、Kawakatu的な解釈をしておこう。
この大分県日田市天瀬町出口(いでぐち)字中村1183にある老松神社は天満社で、平安時代の創始。地名の出口は、かつては「くにち」という民俗芸能があったように、そう読むべき地名かも知れないが、同時に、ここは山の上の曽田地区に大きな湿地とそれを利した堤池が二つあり、「そだ」=祖田で、祖人が造営した田の用水であり、それが取水されて下の水田を潤す、その取水口という意味のある地名でもある。
ご神体は菅原道真である。
しかしこの神文のあるのは神社本体ではなくそばに寄り添うように置かれる小さな祠にあった。
つまり摂社である。
老松神社という名前の社は、全国にいくつか点在するが、この祠はそれとは関係がないだろう。
ちなみに老松神社の神文は「三段松」で、つまり高句麗系、あるいは百済系渡来氏族の三松を意味しており、大元は高句麗の古墳や、日本の三角縁神獣鏡に見える三段の蓋(きぬがさ)、あるいは傘松文をあらわすと考える。(ちなみにすぐ裏手の民家敷地内に古墳らしきマウンドがあり中国遺跡と呼ばれている。(^^))
地元の通称は播磨塚古墳だが、学術的にまだ発掘もなく、古墳と認められていないので中国遺跡だそうだ。遺物はいろいろ出たんだが・・・。
http://blogs.yahoo.co.jp/kawakatu_1205/56440144.html

そもそもは南朝に関係した神文であろう。
魏志倭人伝には蓋のことを黄幢(こうどう)と書いてあるが、同じものかどうかはわからない。ただし、黄幢は戦闘用のきぬがさで、蓋は王家のシンボルの日傘であろう。いずれにせよ象徴である。
それを三段松にするのは大阪府枚方市にある百済王一族である。ゆえに百済王家末裔は、今は「みまつ」家と名乗っている。
いずれにせよ、高句麗、百済、倭国(大和)の王族は、この呉のデザインを一時期珍重したことがあった。
さて、それさておき、祠には「金」の印が掘り込まれている。これは九州中西部に見られる阿蘇氏一派の「金凝彦命 かなこりひこのみこと」を意味していると地元の郷土史家は言う。読んで名の通り、金凝彦とは冶金業者の神であろう。鍛冶屋の神である。ほかに凝のつく神は地方にかなりある。祖母山には下凝男命(しもこりお)があり、『日本書紀』では石凝姥命(いしこりどめ)は八咫鏡製作者だとされる・・・。