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ぼくの戦後70年談話

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「ぼくの戦後70年談話」


テレビから、終戦記念日を前に護国神社へ参った老婦人の声。

きわめて控えめに、

「今考えてみれば・・・こんなことを言うとあれですけども・・・あの戦争は・・・間違っていたんじゃないかと・・・」


われわれにとっては、何をいまさら言っているのか、ではあるが、彼女の世代、戦前に皇国史観の刷り込み教育を受けた世代には、いまだにそういうことなのだと、ため息が出てしまう。


負けた段階で、すでに過ちは決定している。
そこから70年が過ぎた。
だが、彼女たちにはいまだに自分たちが国策にささげた青春時代が、はっきりと間違っていたとは認められぬまま時間ばかりが過ぎたのであろう。

それが人間。
人間が、自らの失敗、国の失敗を認めるための時間が、それだけかかるということなのだ。

いくさはしないにこしたことはない。
してはならない。
あの戦争は、この国がしかけたいくさだった。
ヒロシマ・ナガサキを忘れるなと被爆者たちは叫んできた。
けれど米国ではそれ以上に「リメンバー・パール・ハーバー」と叫ぶのが8月なのである。喧嘩は両成敗。どっちが悪いとか言った所で、過去の歴史である。

彼女の言葉を聞いて感じたことは、
首相が戦後70年談話を出すだろうが、日本国民全員がそれぞれ、各自で戦後70年についての意見をブログなりに記しておくべきだということである。

右や左の洗脳を受けてしまっている人々は、いわずもがなで過激に書くことだろう。
しかし肝心の、ノン・イデオロギー、ノンポリ、浮動票層が・・・つまり日本国民の大半を占めている「良識ある」「一般民衆」がそれをしなければ意味がない。

総括である。


ぼくは「戦争を知らない子供たち」の世代である。
父は陸軍将校だった。
もし、少尉までもが戦犯にされていた場合、ぼくはこの世に生まれていなかったことになる。そんな父は、死ぬまで、一言も自分の戦争体験を語ろうとはしなかった。
つまりそれほど過酷ないくさであり、理不尽な戦いであり、国策だったのであろう。
あきらかな状況判断の大失策である。

明治以来、日本は何度かの国辱的失策を犯している。
まず白村江の大敗北。日露戦争で勝っても、なんらロシアから利益が得られなかったという小村の失態。先の大戦を始めたという松岡の失策。南京陥落後、軍部が大虐殺を行い、それが感染してさらに日本軍が暴走を始めたこと。原爆を落とされるまで敗戦をみとめられなかったという世界に冠たる陸軍幹部の大失態。そして3・11大津波を予見できなかった東電と自民党政府の原発政策による想定外の太平洋広範囲汚染、及び福島県海岸部を100年間以上も誰も住めない土地に「今も汚している」大失態である(前振りとしての東海原発流出事故も)。

今回の安保見直し、憲法の一部見直し、そして集団的自衛権は、では100年後、どのような結果をもたらし、どういう評価を得ているのかは、誰にもわからない。

ただ思う。
自民党の古参議員がまだまだ残存している。
彼等は皇国史観をいまだに振り回しかねない世代である。
そして国立競技場などの問題から見ても、その金銭感覚はまるで昭和の田中角栄時代の土建屋の親分そのものである。

彼らが、日本の教育を、文科系にありがちなおおざっぱなくくりでとらまえ、まるで戦前のような感覚で、科学をもてあそび、金をもてあそび、そして再びいくさを起こす火種になる影響力ある立場におかれていることが、自民最大の大問題であろう。獅子身中の虫は彼らの世代である。

護国神社で、今頃になってもまだ、あのいくさは間違っていた「かも知れない」とつぶやいてしまう世代。両極端な意見を言う世代。右翼の罵声と左翼の反作用によって戦後、振り子のように価値観が狂わされてしまった世代。アイデンティティのない世代。とにかく戦争らしき影に全部反対というものと、いや戦争は勝てば官軍、リベンジだというものの両極端しかいない世代。

自由とはなにかを実はちゃんと教わってこなかった世代・・・。


法案は必要だ。しかし彼らにだけはそれを動かさせてはならない。



ぼくらより前の世代は、右か左しか選択肢がない世代、あとの世代は国歌も国旗の意味も過去も、「さくらさくら」も、唱歌も、日本近現代史も、満足に教えられず、あまつさえ日本の敗戦もアメリカと戦ったことすらも知らない世代である。イデオロギーとしてのみ日本国憲法は絶対遵守せねばならぬことくらいしか知らされていない、どちらも別の意味で偏った教育を受けた世代である。

ぼくは、本当の自由主義教育を受けられた世代は、昭和20年~40年までに生まれたわれわれだけだったのではないかと思っている。現行憲法とは守らねばならない部分と守らなくてもいいはずのことまで書いてある部分とが混在した文書であると思っている。そもそも『日本書紀』『古事記』にしてもそうであるが、人の手になった文書で欠陥のないものなどありえない。

方言まるだしで、言葉もくぐもりがちな佐藤議員のビデオ上の解説などは、説得力も何もない。説明する肝がわかっていないのである。首相の説明も同じく、文科系的なおおざっぱなやりかたを「わかりやすい」と勘違いしたものでしかなかった。

もっと具体性が必要である。
理科系的な、すべての状況に対応したノウハウ、マニュアルでなければ国民のすべては納得させられまい。「たとえば」ではなく、「韓国が攻められた場合」「アメリカが攻められた場合」そしてどこまでが隣国なのか。それとも西側諸国のすべてまで含むのか。などなどを、成立させておいてから法案提出すべきだった。だからあたら戦後派やゆとり教育派たちを混乱させた。説明がへたすぎる。

そのあいまいさが、結局は、またぞろ先の戦前のような事態を・・・と杞憂させてしまうのである。日本人は高い教育を受けている。戦前や戦中の人々とは理解度に雲泥の差がある。少々こまかになってもちゃんと大事な法案は理解しようとする能力がある。政治家は国民の能力をわかっていない。肝のところはもっと詳細に、事細かに、口すっぱくして解説すべきだった。現代の若者ならそうして欲しいはずである。そこから各論がはじまり、より具体性を帯びた法案にできただろう。


そのおおざっぱさ、おやふやさこそが曲者であることは、国民は痛いほどしらされて来たのだ。詐欺まがいで通る時代ではないだろう。



安倍首相が決めたことを、あとの世代がその意味を理解していけばいくさはおこるまい。しかし、彼らに果たしてそのおもちゃがうまくあやつれるかどうか。


ゲームと株と物質でしか動いてこなかった彼ら。
実感のない、生活感覚のない彼ら。
頭の上からドローンや飛行機やヘリコプターがいつ落ちてもおかしくない今、災厄の世代がぼくらを挟み込んでいる。


自由は今、この国から徐々に失われていこうとしている。

しかし同時に、今の国際的均衡はそうたやすく戦争を生むことがないのも事実である。いくさは起きても小戦争しかできない状況である。CO2問題、資源枯渇、食料枯渇などなどの環境諸問題によって、世界中が手かせ足かせを受けている中で、大きな戦争などできようはずもない。



あとのことなど知ったことじゃない。
われわれは地球の、最も平和でよかった時代に生まれた世代だ。
そんな過酷な未来のことなど想像できるはずがない。


言える事は、憲法は自前であるべきものである。
アメリカの22歳の大学出たばかりのおねーちゃんが書いた憲法が絶対だ!などとよく平気で叫べるものだとは感じる。強く。変えるべき所は変えねばならない「敗戦時用の」一時的欠陥暫定憲法なのである。本当は日本人自身の手によった、すべてが自前の憲法をGHQ撤退後にすぐ作らねばならなかった。言うならば、戦中派、戦後派のためだけに書かれた憲法でしかないのだから。

自民党の説明も具体例があげられておらない。
こうなったときはこうするの、すべてが実例で持って書き出されたマニュアルを早急に作るべきである。

平和とは血で贖われるもの。
そして自ら勝ち取るべきもの。



ひとりの為政者に経済も平和もなにかも実現せよなどというつもりなど毛頭ない。

誰かがやらねばならないことがひとつ、70年かけてようやく成立しようとしている。教科書に載るだろう歴史的な出来事であることだけは確かだ。そしてこれはセオリーであるが、この法案によって日本の経済は間違いなく安定期を取り戻すことになるだろう。大人国家の責任はしかし、非常に重く、あとの世代にのしかかる。うまくやっていただきたい。平和世界・自由世界の本当の実現のために。


やがて韓国の不況はさらに悪化するだろう。中国はバブル崩壊時期にさしかかる。世界が恐慌にもなりかねない波乱含みの時代である。日本の経済は確実に復興している。西側諸国と日本が彼らの商品を買い控えている限り、彼らの今後の一人がちはおこらない。IS問題はしばらくは東アジアからかなり遠い話である。しかもそれすらイスラエルとアメリカの金の動きに左右されるものであり、すでに彼らの戦いは世界よりもイスラム世界内部の宗教派閥統一運動という本来の姿にもどり始めている。経済が動かす戦争に過ぎなくなった。それらはもはやこれまでの恒例のどんぱちだと言える状況である。せいぜい小競り合いを繰り返すことで経済を動かす効果しかないのである。

つまり近々、世界戦争が起こるような状況にはないと判断できる。ということはこの法案は実際に適応されるケースはきわめてまれであろう。集団的自衛権もまた当分は転ばぬ先の杖である。


敵が襲ってきてから法案を考えるなんか、どう考えてもおばかさんの国がすることである。歴史を振り返れば、日本はずっとそういう国だった。むしろ弥生時代や飛鳥時代のほうが、明治時代以後よりもずいぶん外敵を意識した時代である。あの元寇にしても、ペリー黒船来航にしても、幕府はいつもその場限りであった。だから江戸幕府は滅びたのだ。そのこともお忘れなく。


敵が登場してから軍艦を作るのか?なのである。
備えあれば憂いなし。たったそれだけの理屈がわからんかなあ?


騎馬軍団が目の前にせまってから火縄銃に点火していて、国が守れるはずがないじゃないですか。

巨大な古墳作っただけで世界が倭を国家として認めますか?
元寇の防塁をつくろうよ、じゃあ作り方をマニュアル化しときましょうよ、という話でしょう。高麗の反対勢力は日本に援助を求めてきた、あのときは。しかし日本はそれを無視した。高麗は滅びてしまった。するとどうなったか?山ほどの高麗人が日本に逃げてきたんでしょう?友好国が滅びたら、そうなるわけでしょう?

じゃあ、滅びさせちゃ結局困るのはぼくたち日本人の民間じゃないですか?

白村江で天智が負けて、山ほど渡来人が逃げてきた。しかしあのとき逃げてきたのは王族とその家来だった。平民は見殺しで逃げてきた。だから日本の文化は世界に冠たる技術国家の礎となった。今度滅びたらそうはいかない。民衆まで逃げてくる。船の規模や技術や数が違う。だからそうならんように韓国も守ってやらにゃならんでしょう。

ひとりだけ繁栄して、世界のこと、貧民社会のことなど見向きもしない。そんな企業を許せますか?金が有るなら寄付でもしろ、社会貢献しろと言うじゃないですか?
日本国家だって同じことです。


一切合財反対するのは子供の考えです。



















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