八女古墳群のグループ分けとその年代と氏族想定
柳沢のこの最新著作から判断できるのは、この古墳群には時代別に複数氏族が混在して統率していたということだ。その氏族や部は、在地海人族系・吉備系・大和派遣靫負氏族・大和派遣為政者などが混在している。八女古墳群は筑紫君一族だけの居住地ではなかったことが考古学ではっきりしてきた。
1 八女・久留米にまたがる八女古墳群には、筑紫君以外の集団の墓もある
2 海人系装飾古墳と吉備系直弧文や円筒埴輪を持つ古墳、武装石人を持つ古墳、大和由来の地域首長墓に欠かせない河内系大型須恵器を持つ古墳が時代を追って混在する。
3 時代的に4世紀に遡る古墳から終末期7世紀まで、数グループが交替して勢力を持ってきた可能性が強い。
石人の一部に、吉備の盾築墳丘墓の弧帯文石の顔面とよく似た構図の破片が見られる。
こうしたことから考えられる結論は、
1 継体大王が筑紫君磐井を滅ぼして、高槻の今城塚古墳に磐井の裁判や別区を模した。つまり事跡を奪い取って創作された大王が継体ではないか?
2 継体=磐井(磐井反乱のでっちあげか、逆に継体のでっちあげ)
いずれにせよ、・・・