アレロパシー/フィトンチッド/コンパニオン・プランツ 秘伝か共有か
前のヒガンバナのアレロパシー効果ついでにその他の植物のアレロパシー成分について豆知識を書いておきたい。アレロパシー(英語: Allelopathy)とは、ある植物が他の植物の生長を抑える物質(アレロケミカル)を放出したり、あるいは動物や微生物を防いだり、あるいは引き寄せたりする効果の総称。邦訳では「他感作用」という。ギリシア語の αλληλων (allēlōn 互いに) + παθος...
View Article炊いたか蒸したか 米
「ご飯には、米を直接水にひたす「炊く」方法と、水蒸気を利用する「蒸す」方法がある。炊く方法は軟らかくできるから姫飯(ひめめし)、蒸す方法は硬めにできるから強飯(こわめし)という。強飯の言葉は、赤飯などの「おこわ」に残っていて、結婚式などの祝いの席で食べられる。...
View Articleやはり100%が垂れ流された 福島原発
想定どおりの結果が出た。2号機の核燃料 70%~100%溶融か 9月26日 6時30分 「福島第一原発の事故で放射性物質の大量放出が起きたとされる2号機について、東京電力はこれまで、核燃料の一部は原子炉の中心部に残っていると推定していました。...
View Articleハザードマップを過信しない/本当の日本人のふるさとは京都ではなく
ハザードマップはあくまでも官憲からの危険地帯基礎知識でしかないと自覚し、居住地に住んだのは自己責任であると理解して、周辺の地形とその危険度、過去の記録などに当たっておくほうがいい。たとえばこのサイトにいくと、全国各地の要所の縄文海進図を見ることができる。これもおおまかに参考にはできるだろう。温暖化で日本はこう沈没するhttp://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/special/267...
View Articleわかりやすい「日本人史」まとめその1 旧石器~縄文中期
今の日本人ができあがるまでの流れを簡単に。1 今から約3万年~2万五千年ほど前までに、日本人の最初の祖先である先土器(旧石器時代)時代人が、つながった氷の道を南北から列島に訪問。2 1万6000年ほど前に※1ハインリッヒ・イベントによって起きた寒冷化(オールデスト・ドリアス期 古ドリアス期...
View Articleコウケンテツが行く中国・雲南「生薬の里を訪ねて」に倭人の食を見る
今朝のNHKBS1コウケンテツが行く中国・雲南「生薬の里を訪ねて」は倭人の食生活の参考として非常に示唆に富んでいたように思う。雲南省の女性たちは「野菜を生で、花椒の実を炒めたドレッシングで食べていた」し「ごはんを湯立て法で作り、そこにトウモロコシの粉をまぜて蒸して食べていた」。魏志倭人伝には「倭人は野菜を生食する」とあるから、まさに雲南の調理のままである。まさに思惑通りの画像だった。コメにトウモロコ...
View Article海進で覆われていた平野が現れたからといってすぐには耕作できない
今から2800年前ほどに、縄文海進が数度の冷涼化を経て後退すると、次第に今の平野が現れる。台地や内陸で展開されて来た貝塚遺跡や環状集落の人々が、その湿地平野に降りてくる。大陸でも民族大移動が世界中で起こり、東アジアでは前漢・後漢から三国志への動乱期。大陸から日本列島に逃避してくる渡来はどんどん増えた。しかし、だからといって平野ですぐに水耕稲作は始まらない。なぜなら、その平野はそれまで長きに渡って海水...
View Article棚田の始まりと寒冷化
倭族の水田の特徴のひとつが棚田である。その始まりも寒冷化にある。漢民族によって四散させられた倭種・倭族たちの一部は山間僻地へ追いやられ、山・谷での隠棲生活をするようになった。そこで平地。河川沿いでやっていた水田稲作をする場所は山を削るしかなかったのだ。この事情は日本でも時代時代に追いやられた「敗者」による棚田開発として同じである。多くの扇状地近くや山奥の谷あいには、そうした敗者の子孫たちが代々移り住...
View Articleマゲイア カタデスモイ 魔術と呪いの符
マゲイアMageiaとも。古代ギリシャ(ヘレネス)の伝承で魔術のこと。 マゲイアはヘレニズム時代に人気があり、オリエントの、東洋の要素が豊富だったようだ。 誰かの愛情を得る、敵に危害を加える、といったことで使われた。 方法にはエポダイEpodai(呪文)、カタデセイスKatadeseis、カタデスモイKatadesmoi(呪い)などがあった。...
View ArticleHierakonpolis, tomb 100
エジプト ヒエラコンポリス第100号墓 彩色壁画ヒエラコンポリス Hierakonpolisエジプトのルクソールの南方 80kmのナイル川西岸にあった古代都市。現コムエルアハマル。ヒエラコンポリスはギリシア名で,古代エジプトではネケヘンと呼ばれた。先史時代から先王朝時代にかけての重要な都市で,その遺跡はエジプトの歴史時代初期を知るうえで重要。...
View Articleノーベル街道に見る渡来・職人文化圏派生の謎
このたびのノーベル賞、また日本人が二名が受賞という快挙。それもどちらも理科系での受賞。これに関連してニュースなどが北陸~岐阜にまたがる「ノーベル街道」をとりざたしている。...
View Articleアテン神・一神教の誕生と地球環境と多神教日本人の生きる道
一神教の誕生 アメンホテプ4世 Imen hetep 生年紀元前1362年?~没年紀元前1333年?、在位期間は紀元前1353年?~紀元前1336年? 息子はツタンカーメン。多神教であった従来のエジプトの宗教を廃し、「唯一神アテンのみを祭る世界初の一神教を始めた」事が挙げられる。ただし、著名な宗教学者のエリアーデは、アメンホテプ4世の宗教を評し、「実際には二神教であった」としている。...
View Article日本人は新羅系韓国からなにひとつ学ばなかった
われわれが受け入れてきたのは多くは長江文明人、それを引き継いだ伽耶・百済文化人といういわゆる倭種倭族の文化だけである。わずかながら後世には黄河文明による漢民族文化も仏教とともに、天武持統期に国家統一のためにのみ受け入れては来たが、日本人の思想の根底に、縄文~現代まで一貫してあるのは、彼ら広葉樹林帯文化とも言うべきウエットな死生観や生活感と稲作漁労文化の生き方なのである。つまり統一新羅の畑作牧畜文化の...
View Article筑紫君磐井と八女古墳群を敗者の考古学で切る・八女古墳群のグループ分け
八女古墳群のグループ分けとその年代と氏族想定 参考 柳沢一男『筑紫君磐井と「磐井の乱」岩戸山古墳』2014 新泉社柳沢のこの最新著作から判断できるのは、この古墳群には時代別に複数氏族が混在して統率していたということだ。その氏族や部は、在地海人族系・吉備系・大和派遣靫負氏族・大和派遣為政者などが混在している。八女古墳群は筑紫君一族だけの居住地ではなかったことが考古学ではっきりしてきた。1...
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