縄文時代には戦争はなく、戦争は弥生時代からである。
もう常識化してしまったこの考え方。最初に論文にした人物は誰だかご存知だろうか?
奈文研の著名な縄文~古墳時代の考古学権威だった故・佐原真である。短命に終わってしまった。もちろん小林行雄同様に、さまざまな論考は傾聴に値するところの多い立派な研究者であったことは否定しようがない。だが、これも小林同様、いくつかの失敗極論があり、そのせいか晩年やまいに伏して亡くなった。
その失敗理論のひとつが実は上に書いた「縄文時代には戦争はなかった」や「装飾古墳の壁画は現代幼稚園児の絵と同等の稚拙なもので、奈良の高松塚などには遠く及ばない」といった極論である。と、いまや言わねばならない発掘が相次いでいる。
高知県居徳(いとく)遺跡では、どう考えてもそれはいくさの痕跡としか見えない縄文人遺骨に突き刺さったり、傷つけられた武器の痕跡が発見された。しかも複数。
土佐居徳遺跡群サイト
中橋孝博『倭人への道』P134~135より
やじりなどで傷ついた骨の破片は全部で25個。頭蓋で二箇所、歯が二本、ほかはすべて大たい骨であった。ではそれらが何人分の骨なのかは識別不能な状態だった。だから、それがひとりのもの、ないしは二人の骨だから戦争のような大げさなものじゃなく喧嘩、内輪もめ、あるいは狩猟最中の不幸な事故と考えることも可能である。確かにこの遺跡そのものはゴミ捨て場のような状況で、獣骨と共に散乱してあった。その後の細かい復元の努力で、人骨は全部で10体だと判明。内訳は男性3体、女性6体、不明1体だと判明する。矢傷を負っていたのは、驚くことに男ではなく女だったこともわかったのである。全部で五人?ほどの骨にそれぞれ極めて深い、中にはやじりの貫通した骨があることが推定された。五人の成人男女が入り乱れて大怪我をした、となると単なる喧嘩では収まりがつきそうにない状況ではないか?中には肉厚な筋肉のある太もも付け根近くに、骨まで達する深い傷。何層にも重なった筋肉のある場所に、それを突き通すほどの強い力で・・・つまり思い切り突きたてた槍の跡が・・・。(まだ戦争だったとは結論づけられないとも書いておくが・・・。)
これを発掘し、新聞発表したのは皮肉にも佐原の弟子の考古学者・松井章(奈良文研)だった。
松井は発表前に、まずはすぐに病気入院中の師匠・佐原に相談する。
佐原はしかしこの時すでに死の床にあった。自分ではそれらを検証することはできなくなっていた。自らが定説化した仮説が覆されそうな弟子の新発見に、師匠も当の弟子も、ともに逡巡したことだろう。定説が覆る瞬間の劇的な出来事だった。
佐原は結局、死ぬまで自説は曲げず、その後そのまま逝ってしまう。松井は病室を目を伏せたまま出て行った。その後姿に佐原はこう声を掛けたという。
「あなたがマスコミに発表したことを、自分の論文で証明していくことが、あなたの学問的生命にかかわってきます。がんばってください」
それがどっちの意味だったか、筆者は知らない。
「研究で自分の定説をくつがえせ!」だったのか、「そうすればあなた自身の縄文人の常識を破壊することになり、あなたの学者生命を脅かすだろう」なのかである。
前者だと思いたい。
偉大な考古学の先達は、最後にそれを運命だと思った。そして弟子に自分の考えを覆す=考古学の将来を託したのだと、筆者は信じたい。
このように、考古学は、いや人間はみな、間違った仮説をすることがある。そしてマスコミはそれを大々的に書くことで、学者自身が自説を修正する勇気をためらわせる方向に時流を向かわせてしまう。それは小林もそうだったし、佐原もそうだったし、昨日書いたmtDNA遺伝子学でも同じことである。少ないサンプルで多くを語ってしまう。いや、語りたいわけではなくとも、周囲はそれを世間に喧伝し、彼はもうあとへひけなくなってゆく・・・。
かつて昭和二十年代に脚光を浴びた各地の先土器時代人の遺骨もそうだった。後年、くつがえされ、自殺した賀来先生。mtDNAバイカル湖説の篠原先生、あるいは三ケ日原人を始めとするわれわれ世代が習い、そう信じてきた明石原人・・・すべて今は過去の間違いだったとされていった。今、日本人の原人化石は存在しないことになり、あるのは沖縄の港川人の複数体だけであることが教科書に書かれるのみである。
しかし、それらの先走り理論が、あのねつ造事件の実態と同じ行為だったとは筆者は一切思わない。意図したねつ造ではなく、それだけのサンプルしかなかったのだ。その段階で言えた意見がそれだったのだ。しかしマスコミや文芸春秋などの雑誌や週刊誌はそれらを喧伝した。そして違うとなると今度は全部ねつ造で、考古学など信用できない。科学もそうだ、小保方も抹殺すればよい・・・手のひらを返し、きびすをかえし、かつて大金をかせがせてくれた死者たちの論考を踏みにじった。
森達博の『日本書紀』構造論さえも、やがては覆されそうされるかも知れない。
学者は前に進めなくなる。失敗を恐れ、容易に成果を口にせず、隠密裏にひそかに新理論を頭の中に収めてしまうようになる。学界は停滞する。新発見は減ってしまう。
筆者はこれまできつく彼らを悪く書いてきた。しかし、それは学界の古い体質、徒弟制度へのアイロニーでしかなく、是正して本物の、恣意的ではない、過去の権威の定説をひっくり返すことこそが研究者の正義ではないのか?という疑問のつき付けだった。特に小林の近畿史学界のピラミッド構造には厳しく書いた。もちろん彼の若い頃の古墳研究、装飾古墳分類編年などは、前人未到の賞賛すべき仕事である。しかし、学者として、人間としてではどうだったのかは極めて疑問がある。東大・明大考古学を蔑み、罵声で論考をさえぎったような行為は、とてもフェアプレイだったとは思えない。
そして読者の歴史に対する、権威持ち上げ、追随も極めて嫌いである。マスコミに踊らされ、新発見に飛びつき、すぐに判断を加える。勝手に定説化し、もっと新しい意見に耳を閉じる。常識からなかなか離れられず、過去の定説の虫になったまま・・・。しかし自分にもそういう部分はある。そしていつも愕然とし、眼から鱗を落とされる日々。
学者にもイデオロギーや保身はある。
ロシアの学者や中国・韓国の学者には、国家・自国中心、愛国といった性格が、日本の学者よりも強烈で、白人・西欧先進文化への反発心や、国家の方向性の強い影響、そう言わねば殺されかねない国の主義にも影響される。そういう意味では九州よりも大和のほうがそのような傾向はこれまで強かった。それらはだめである。科学とは言えない。フェアプレイではない。ブラウン博士がV2号や原爆を作ったのと同じ行為である。してはいけない。一般人の小さな犯罪やサギとは次元が違う。歴史学の将来がかかったことだからだ。
大きなことを書いてしまった。わが身とて。いつ魔がさすかわかないのが人間である。