三叉路が八つ集合した交差点。
幸福も災厄も八倍集るポイント。
「あめの」「や」「ちまた」に分解できる。
「あめの」は尊称。高貴な。
「や」は八でたくさんあるさま。
「ちまた」は「道股」「みちまた」の「み」を省略した言葉。
ハレと穢は表裏一体で、実は同じポイントに存在している。
チャンスが多ければ、ミスも増える。
人が増えれば事故や出会いの確率は減り、あたかも喜びや成功がそこに集中するように勘違いさせる。ヒトはマイナス面よりもプラス面を見ていたいもの。けれど実際には両方はフィフティフィフティで平等に起きている。上り坂を登れば必ず下り坂が待っている。
それが人生。
だから「やちまた」とは人生の縮図。
駅のようなもの。
ジャンクション。
つまり運命の分かれ道。例えば現代の日本で言えば東京。
しかし、今、そこに猿田彦も塞の神も立ってはいない。
改札を出れば、すぐに穢土。ハレは古代に比べてがっくり減った。