Quantcast
Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1881

海外先史時代発掘異聞

$
0
0

海外先史時代人異聞



イメージ 2

○デニソワ人
「デニソワ人(デニソワじん、Denisova hominin)は、ロシア・アルタイ地方のデニソワ(Denisova)洞窟(ロシア、中国、モンゴルの国境に近い地域)に約4万1千年前に住んでいたとされるヒト属の個体および同種のヒト属の人類である。デニソワ洞窟は、アルタイ地方の中心都市バルナウルから約150km南方に位置する。
2010年12月時点の最新研究では、ネアンデルタール人と並んで、我々現生人類であるホモ・サピエンス・サピエンス (Homo sapiens) に最も近い化石人類である。また現生人類の一部(メラネシア人など)と遺伝子情報を部分的に共有する可能性が高いとしている。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%8B%E3%82%BD%E3%83%AF%E4%BA%BA

「第3の人類「デニソワ人」は、アジアでネアンデルタール人や初期の現生人類と共存していたようだ。後の二者は多くの化石や人工物を残している。デニソワ人のものとわかっているのは、小指の骨のかけらと2本の臼歯だけだが、人類史を塗り替える発見となった。」
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/1307/ancestor/family-tree.html

「ネアンデルタール人やデニソワ人はその後絶滅してしまったが、アフリカ土着のネグロイドを除く現在の現生人類遺伝子のうち数%はネアンデルタール人由来である。中東での現生人類祖先とネアンデルタール人との交雑を示す研究成果は2010年5月に発表されているが、2010年12月にアジア内陸部におけるデニソワ人とも現生人類祖先は交雑したとする研究結果が出たことから、この結果が正しければ、過去には異種の人類祖先同士の交雑・共存は通常のことだった可能性が出てきた。
なお、アジア内陸部でデニソワ人と交雑した現生人類祖先は、そののち長い期間をかけてメラネシアなどに南下していったと考えられる[要出典]。また、中国方面に移住したグループは漢民族となり、高地に移住したグループはチベット人となったともされる[7]。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%87%E3%83%8B%E3%82%BD%E3%83%AF%E4%BA%BA





○古代都市パルミラ
シリア


イメージ 6

紀元前90年代に女王国家があった遺跡。
その後、3世紀頃に新たにギリシア・ローマ建築にそっくりなオリエント建築が登場し王国が築かれた。地域的に水に大量のフッ素を含むため、虫歯が極めて少ない遺骨が出る反面、古代から現代に至るまで人々は骨粗しょう症や異常骨格、変形骨格、あるいは脆くて茶色く変色した歯に悩まされている。中国漢代記録にシリアに将軍を派遣したとあり、それに帯同した女性らしき弥生人そっくりの扁平な顔つきの頭骨が出土した。




○ネグリート

イメージ 3


黒色人種系の非常に背の低い種族
アフリカのサンのような原種が出アフリカ後に東南アジアやポリネシアン・アボリジニ原種のような人々と交雑したものか?ネグロイドとオーストラロイドをつなぐミッシングリンクの存在。
一時期沖縄の旧石器時代人骨である港川人と骨格概観がよく似ているとして関連が言われたが、遺伝子DNA分析結果では無関係とされている。しかし、骨格の特徴にかなりの類似点もあり、今後の直しも考えうる存在。
 

イメージ 5







○古代カンボジアのアマゾネス?カンボジア・プンスナイ遺跡巨人女性

イメージ 4

 <カンボジア>紀元前後の大規模集落確認 女性が支配者か
11月14日20時13分配信 毎日新聞
  カンボジア学術調査団(団長=安田喜憲・国際日本文化研究センター教授、東京財団主任研究員)は14日、カンボジア北西部のプンスナイ遺跡で、紀元前後に成立した、環状の堀に囲まれた大規模集落を確認したと発表した。これまでベトナムのオケオ文化(5~7世紀)が東南アジアの文明の源流と考えられていたが、それ以前に高度な文化があったとみられ、議論に一石を投じそうだ。
  調査は07年1~3月に実施された。南北3キロ、東西4キロの楕円(だえん)の堀(深さ約1.5メートル)を確認し、その内側5地点を発掘したところ、37個の墓から紀元前1世紀前後の人骨35体や土器167個分相当の土片、青銅1000点、鉄200点、ガラスやこはくなどでできた玉100万個を発見した。
  人骨は、5体が女性で、いずれも体のわきに鉄製の武具があったことから、安田教授は「女性の戦士の人骨で、支配者も女性だった可能性が大きい」と話している。」
http://plaza.rakuten.co.jp/artaxerxes/diary/200711180000/


 「カンボジアのシエムレアプから北西約60キロにある環濠集落跡「プンスナイ遺跡」で、抜歯した女性の頭骨や青銅製の腕輪などが見つかり、東京財団(東京)が14日、発表した。女性の骨は鉄製武器とともに埋葬されており、同財団は「女性戦士」とみている。
  遺跡から出土した土器片は、放射性年代測定で紀元前後から5世紀のものと判明。1999年に発見されたこの遺跡を大規模に発掘するのは初めてという。
  遺跡は、直径約3キロの環濠集落とみられ、財団が今年1-3月に5カ所を調査。計37基の墓跡から35人分の人骨が出土した。
  少なくとも5体が女性で、上あごの側切歯2本を抜歯した頭骨もあった。5体とも剣ややり先などの鉄製品が一緒に埋葬されていた。
  土器片や青銅製の腕輪も多数見つかった。青銅の腕輪は含まれる鉛を分析した結果、中国・華南地方産出の原料で作られたとみられる。」
http://www.shikoku-np.co.jp/national/culture_entertainment/20071114000383







抜歯風習がここでも見つかっている。
女性は身長が高く、肩章、騎馬、戦闘痕跡がある軍人?かと。
抜歯風習は言霊の封じ込めで倭人風習に同じ。
言霊の封印とは、忌むべき言葉を口に出せば忌み事が現実化してしまうという思想。

また、甕棺風習の発信地はインド南部海岸部からインドシナ海岸部(サーフィン文化)で、ここから北上してアジア海岸部地域の風習。日本へは江南の長江奥地人たが持ち込んだと考えられる。この分布はちょうどアジア・オーストロネシア語の分布に合致してしまうのである。


イメージ 1




Viewing all articles
Browse latest Browse all 1881

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>