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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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背後から殺傷するのは儀礼・生贄再論 アイスマン、銅鐸、春成仮説

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過去記事『アイスマンはやはり生贄』
イタリア北部、アイスマンが見つかった地点ボルザーノから少し離れたアルグンドにあった石碑には彼のハンドアックスにぴったり合致する手斧の刻印がある。(石碑左上、人物の顔の真横)海外のアイスマンビデオより

イメージ 1
ここに背後から矢を射る儀礼についての壁画があった。


「生贄は背後から殺す」



イメージ 2




春成秀璽
「(上黒岩岩陰の女性の寛骨には)へら状骨器で後から二回刺した痕跡があり、出産時に死亡した女性に対する儀礼的処置の可能性がある」公式会見席上で。


◎女性を刺突したのは儀礼行為だった
 そして最後に骨器が刺さったままにしておかれたのは、「むしろ意図的なものであって、なんらかの病気で亡くなった女性に対する儀礼行為としての処置だったのだろう」と結論付けている。
 寛骨に妊娠痕が見られることから、この女性は出産時に死亡し、それに対して女性の霊などがさ迷い出ないように封じ込めたのでは」
国立歴史民俗博物館研究報告書




武家社会以降、うしろから殺すのは卑怯者というのがわれわれの常識。しかしそれは儀式だったとは常識が覆りそうな話。

そういう仮説を以前二度にわたってここに書いたことがある。今回はそれに春成の報告を付け足した。


「産後、産中出血死」はかなりあるそうだ。
上黒岩岩陰の女性のうちには眼窩に貧血特有のマークが見えるものもあった。
そして女性たちはかなりの重労働をしていたらしく、下半身がたくましく、脊椎や首骨に重量の重いものを長期間運んでいた圧迫変形が見られた。

背後から二度二箇所も骨角器で骨盤を突いた・・・背後からなのは本人に見えないようにという心やりかも知れぬ。カーボーイが足を痛めた馬を目隠しして殺していたように。するとそれは母の夫自身だったかも知れないとなるが。だがほかに例証はない。なぜ春成がそういう見解を書いたかよくわからない。どこかほかに例証があるのだろうか?まさか筆者の記事から?まさか。

いずれにせよ、先史時代にはそうした儀礼もあったかも知れないが、なにしろ証明が難しく、あれから数年立つのにいまだに「背後から矢 儀礼」検索でヒットしたのは筆者の記事だけだった。

実は以前、古墳の壁画の直弧文が再生禁忌の模様だと何度も書いてきたが、同じ事を言っていた学者が身近にいたことがある。しかしまさか、ここからとは思えない。


学者がしろうとに影響されちゃいけません。

これに対して人類学の中橋は別の結論を出している。もうひとつの孔は、改葬時につけられた破損穴であり、利器で開けられたものではない。先端の丸いこの骨角器では肉のある部位は突き通せない。という。



ではなぜ改葬時にへら状利器を突きたてたのだろうか?しかも角度的には春成が言うとおり背後からである。なんのまじないだろうか。それが女性をあらわす骨盤のかん骨だったことと関係があるのだろうか?また、各地の縄文~弥生遺跡であったと考えられる「女性死者だけがその脳みそを食われていた痕跡」とは何か関係は?

驚いたかも知れないが弥生の青谷上寺地でも脳みそが出ているし、やはり女性大たい骨に鏃が突き刺さっていたからである。

何か意味のある行動だったのか?あるいは考えすぎか?

先端が丸い骨角器でへらのような・・・まるでカニへらのようである。


イメージ 3



あなた、うまいもの・・・カニなんか必死でせせったあげく、満足して「ふ~~~食った食ったあ~~~」とか言いながらカニの甲羅にへらを突き立てたりしたことありませんか?やりとげたって感じで・・・。あるでしょう?それじゃないの?







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