およそ言葉において、~せよ、~しなさいといった基本的言葉はなかなかその地域では変わらないものではないかと思う。語彙比較を歴史や地域で考察するときに、基礎語彙を比較するのがまっとうな方法で、あとから入った言葉や、あとからできた言葉は用いないのは当然である。
基本の語彙とは、名詞なら「さかな」「そら」「うま」などの古くからある単語。
大阪の和泉地方(奈良時代より前は河内国。堺市などの泉州地域)の言葉に「食べり」と言う命令形がある。堺市で働いたことがあるので、若いバイトの女子も使っていた古い言葉である。およそ西日本には奈良時代くらいから続く古語が多く残存し、伝統的にいまだにそれらが伝わって実用されているので助かる。
古語との比較がやりやすい。
「食べり」は「~しり」というのが基本形であろうが、「食べなさい」という泉州独特の言い回しである。
この知識があって九州に帰った筆者は、最初に筑豊出身者のイントネーションがどことなく、部分的に、大阪弁、関西弁の抑揚に似ているなと感じて暮らしてきた。
すると筑豊、豊前の一部などの出身者がやはり「食べり」と大阪弁のイントネーションを交えながら使うのを、会社の従業員から聞くことが有ったので、これは泉州と筑豊は往古から人の行き来があったかと常々感じてきた。
すると今度は最近、テレビの朝ドラ「あさがきた」でもその「食べり」という筑豊方言が出てきたので、ふっと思い出したのである。
弥生時代、筑豊の遠賀川周辺遺跡の人骨は半島南部人の骨格に類似し、在来縄文人との混血が薄いまま東へ移住し、遠賀川土器類似品は東北まで行っていることや、大阪の瓜生堂遺跡やらからも初期の九州遠賀川系土器、人骨、遺物が出ていることも思い出したのである。
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瓜生堂遺跡や久宝寺遺跡からは弥生初期の九州系土器が出ている。博多の西新町系土器や、九州の突帯紋土器と稲作遺跡がほぼ同時代的に存在するし、少し泉州より南の河内八尾市では九州と同じ吉備型土器も出てくる。どうやら唐古・鍵や纏向に人が集まる以前に、北部九州の那珂川~遠賀川地域(言い換えれば奴國地域)の人々は、弥生初期、大阪湾南部にやってきていることは間違いないのである。しかも甕棺に類似する棺容器も出ている。
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瓜生堂遺跡出土甕棺型土器
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「食べり」の「~り」で終わる使い型は、「ここに座り」「もっていき」「はようやり」などすべての命令形で関西弁に定着しているが、ほかに岡山県や長野県、山口県など九州に縁ある土地でも使用されているのが「食べり」である。九州では筑豊に限らず博多でも使うところはある。すると「~り」はかなり広く、瀬戸内・日本海沿岸で使用されており、「~しろ」「~しれ」「~しよ」「~なさい」よりも古かった可能性がある言葉なのではないか?どっちにせよ、紋切り型で打ち留め型の「り!」という命令形は、九州と関西を吉備経由でつなぐ使用法かも知れない。
ちなみにわが大分では「~しよ!」が一般的である。
ま、ひまつぶしに研究してみてね。